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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2002年10月30日掲載>

「子どもの希望空間」で変わったパブロ
<ブラジル>


 パブロ・ダ・ロサ(12歳)は小さい頃から、暴力的な環境の中で生きてきました。その原因は貧困や麻薬取引です。あれは彼が2歳のとき…リオデジャネイロ市内のカンタガーロにある自分の家での出来事した。かたき側の麻薬取引人が家の中に押し入って、銃でパブロの父を殺したのです。6年後にもまったく同じことが起き、今度は母親を失いました。

 面倒を見てくれるほど年の離れた兄姉もいないので、彼は叔母と住み始めました。反発心旺盛な彼は、路上で暮らす決心をし、ときどき叔母のところに戻ってくるという生活をしていました。生きていくために、リオの繁華街の交差点で、曲芸を披露し、運転手たちからお金をもらう、そんな危険なことをしていたのです。ところが、昨年、ついに交通事故にあってしまいました。幸い、回復するまで叔母が面倒を見てくれました。

 10カ月前、パブロは友人から「子どもの希望空間」の話を聞きました。1、2度そこに行ってみましたが、すぐになじむことはできませんでした。ほかの子を蹴とばしたり、殴ったりと、勝手なことをしていたのです。見かねた指導員の人たちは、彼と一対一で接して、彼が興味を持ちそうなことは何か、あれこれやらせてみました。やがて、パブロはサッカーに興味を持つようになったのです。コーチがよかったからです。彼はどんどんサッカーに引き込まれ、足しげくサッカーのクラスに参加するようになりました。

 するとどうでしょう。彼の生活態度も変わってきました。殴る蹴るが、笑いと愛慕に変わっていったのです。
 幼い頃に彼が体験した悲劇は、彼の心を傷つけ、学習能力さえも削いでいました。彼が生まれ育った暴力的な環境、リオの路上で生き延びるために得た知識、普通の生活から疎外された生きかた…こうした生活環境が彼の情緒的な部分に影響し、学校に戻るのを難しくしていました。教室でじっとしているのも大変でした。先生のいうことを聞き、授業に集中することがなかなかできなかったのです。
 今、彼は指導員たちを助け、いろいろな活動に参加しています。14歳になる兄がひとりいますが、その兄も放課後に「子どもの希望空間」に通っています。

 「子どもの希望空間」の専門職員たちは、叔母がパブロを養子にし、法的に子どもとして認められるよう支援してくれました。これは2カ月に1回、子どもの問題に通じた法的な専門家が「子どもの希望空間」を訪れてくれるからこそ実現したことです。
 「ぼくは手を染めてないよ」パブロは、麻薬の取引関係者とはいっさい関係がないと言いきります。「今はサッカーをプレーする側にいるけれど、大きくなったら教えられるようになるといいな」顔に満面の笑みを浮かべて彼は言います。

「子どもの希望空間」とは?

 「子どもの希望空間」とユニセフの関係、それは、ブラジルでは一番大きな放送局である「グロボ・テレビ」とユニセフがパートナーシップを組んだことからはじまりました。その両者のパートナーシップのもとで行われている募金キャンペーンによる支援が「子どもの希望空間」にも届いています。ユニセフは、プロジェクト案にもとづいて、コミュニティの信頼を得ているNGOの活動に支援を行います。子どもたちが自分たちの権利を享受できるようにするための活動を促進し、改善させるためにユニセフは貢献しているのです。このキャンペーンはユニセフとグロボ・テレビがパートナーシップを組んで17年間続いているもので、年に1回、「子どもの希望テレソン」という番組で全国放送されます。募金者が募金する額は数レアル(ブラジルの通貨/1レアル=約33円)ですが、そのお金がこうしたプロジェクトに使われ、募金者にも分かるようなかたちで成果を見せられるようになっているのです。

 2001年現在、ブラジルで「子どもの希望空間」という名称を使っている場所は2カ所。一つはリオに、もうひとつはサンパウロにあります。それぞれ2,000人から1,400人の子どもたちを対象に活動しています。水泳、ドラマ、サッカー、バスケットボール、ダンス、体操、基礎的なコンピュータ技術、アート、学校の宿題の面倒を見ることまでやっています。このほかにもベロ・ホリゾンテとサルバドルの2カ所に設置される予定です。ここでは、低所得層の子どもたち向けに、彼らが興味を持ちそうな活動をいろいろと提供したいと考えています。こうした活動を通して、子どもたちが楽しみながら、「市民としての権利」を育てられるようにしたいのです(市民=ポルトガル語でcidadania、尊厳をもって権利を享受でき、自尊心を持ち、それらの権利と待遇を要求できる自信のことを言います)。

 ユニセフでは、それぞれのプロジェクトに、年間23万米ドルの支援を行っています。そのほかに、技術的なアドバイスも行っています。つまり、基本データや技術手法の開発に参加したり、「希望空間」の子どもや青年たちに提供する活動の優先順位を決めることに参加したりしています。リオでは、州政府の支援も受けており、「ビバ・リオ」という長年の歴史を持ったNGOがプログラムを実施しています。サンパウロでは、「インスティテュート・ソウ・ダ・パズ」というNGOが、低所得で、暴力にまみれた町ジャルダン・アンジェラとの間を取り持っています。

リオデジャネイロ、2002年10月5日発

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