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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2004年3月24日掲載>

子どもたちを暴力から守る場所”学校”が徐々に再開
<ハイチ>


サン・マルクにある、ラ・セイエール地区近郊にある焼けた家。武装した市民によって、およそ120人の人々が殺されたと伝えられています。  サン・マルクの町にある小学校の児童たちは、教室に戻れてとてもうれしそうです。彼らの学校は、市民の暴動が国中に広がり始めた3カ月前に閉鎖されてしまいました。

 普段、この小学校は、何百人もの子どもたちの活気にあふれています。今日、教室に姿を見せたのは、わずか114人でした。最初に紛争が起こったあと、多くの子どもたちは、家族とともに山へ避難しました。そして、暴力を恐れるあまり、ほとんどの人がいまだに戻ってきていません。町の住民によると、2月末に、ラ・セイエール地区の近郊で、子どもたちを含む120人が、武装した民兵によって殺されたといいます。その多くが、家に火をつけられて殺されたそうです。

グエルナ・イノセントは、ポルトープランスの北、約90キロメートルある、サン・マルクの小学校に通っています 今、国の大半で、学校が徐々に再開されつつあります。学校は、子どもたちに、町での暴力から守られる安全な場所を提供します。そこでは、子どもたちが友達と会うことができ、そして教師からのサポートを受けることができるのです。何週間にも渡って、ユニセフは教材やレクリエーション用の物資を、ポルトープランスや近郊の学校に配布しました。しかし、遠隔地にある多くの学校が、依然として、緊急に必要最低限の物資供給を必要としています。ユニセフは、この2,3ヶ月のうちに、全国的な「学校へ戻ろう」キャンペーンを開始しようとしています。物資提供はその一環として行われているのです。

サン・マルクにある小学校を訪問する、ユニセフ・ハイチ事務所のフランソワーズ・グルルース-アッケルマン代表。 ついこの前起こった痛ましい出来事は、まだ子どもたちの記憶に生々しく残っています。小学校で、ある女の子のグループが、彼女たちが目撃した暴力について、たどたどしくも話してくれました。「たくさんの人が殺されたわ・・・。ある男性は首をはねられ、もう一人は焼き殺されたの・・・」言葉では、彼らが体験した恐ろしい場面をとても表現することができません。グエルナは、教室の後ろからそっと手をあげ、おばの家が武装した民兵によって完全に破壊されたことを話してくれたのです。

 サン・ジャスティン・エリー先生は黒板の前に立ちました。彼は最近の出来事に衝撃を受けたままで、何が起こったのかについて、まだ子どもたちと話そうとしていません。「私は状況が落ち着くのを待っているんです」と彼は言います。

 ポール・ジェラン・ラジョワ基金の職員、ジャン・ミシェル・チャールズは、確信を持って言います。「私は恐れてはいない。そして平静を保つようにしている。それが私のできることだから。でも、子どもたちにとっては難しいかもしれない。彼らは多くの暴力を目撃している。精神的な面で子どもたちを助けなければならない」

サン・マルクにあるセント−ニコラス小児病院にて、働く職員と話すユニセフ・ハイチ事務所のフランソワーズ・グルルース-アッケルマン代表。 彼は、ここ最近の紛争は、コミュニティーの子どもたちだけが直面している問題ではないと付け加えました。「物価が上昇し、子どもたちは物が買えない。どんなに必要な物でも手に入らない。この国特有の問題がここにあるのです」

 ほんの2、3ブロック先にある小学校の前で、男の子、女の子たちの小さなグループがおしゃべりをしています。この学校は普段565人の子どもたちを受け入れています。今日は209人だけが教室に姿を見せました。

 サージ・ケノル校長は首を横に振りました。「多くの子どもたちには食べるものがない。家に帰っても食べるものはないんだ」

 最近の紛争の前ですら、ハイチの子どもたちは重大な課題に直面していました。小学校就学年齢の子どもたちの半数近くが、学校へ通っていなかったのです。80パーセントの子どもたちは、中学校へ行っていません。この国の非識字率は55パーセントを超え、南北アメリカの中で最も高いのです。そしてこの危機は状況をさらに悪化させています。

 しかし、今回は、幸せな結果を迎えられるという希望はあるのです。

2004年3月16日
サン・マルク、ハイチ(ユニセフ)
Thierry Delvigne-Jean

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