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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

イエメン:国境で行き場を失った子どもたち

【2011年2月1日 イエメン発】

「ご自分の順番がくるまで並んでお待ちください。」イエメン北西部にある埃っぽい国境の町ハラドにある出国管理センターで、青い帽子をかぶった国際移住機関(IOM)のスタッフがこう呼びかけています。アフリカに暮らす人々の移民登録が行われているのです。

約30人の男性たちが、門の前の人々を掻き分けてセンターの中に入り、登録が行われている大きなテントの前で列を作っています。その中には、間近に迫った故郷への帰還に興奮している人もいますが、大抵の人々は、数週間も続けてきた困難で危険な旅路に疲れ果て、悲観的な表情を浮かべています。

危険な旅
© UNICEF Yemen/2010/Gudmarsson
イエメンで、IOMのスタッフに、母国帰還支援の説明を聞くエチオピア出身のハッサンさんとモハメッドさん。

この列の中に、エチオピアのコレ出身のハッサンさん(16歳)と、同じくエチオピアのワラ・バボ出身のモハメッドさん(17歳)の二人の男の子がいました。

故郷のエチオピアの高い失業率と先行きの見えない状況がつくづく嫌になった二人は、より良い生活への希望を抱いて、それぞれサウジアラビアまでの長く危険な旅に出る事を決意したのでした。近隣や友人からお金を借り、ジブチからイエメンまで、70人以上の移民を乗せた小さなボートに何とか乗り込みました。二人は、このボートの上で知り合い、友達になりました。

「船に乗っている間はとても怖かったです。ずっと真っ暗でした。海は荒れていて、船には水が入り込み続けていました。」「岸に辿り着くと、陸地には私たちを待ち構えている人がいました。ポケットの中身から、金目のものは全て奪われました。殺されるんだと思っていました。」(モハメッドさん)

異国の地で無一文になり途方にくれていた二人は、サウジアラビア国境までの約400キロの道のりを歩いていくことにしました。「民家を訪ねて、食べ物がほしいとお願いしました」と、ハッセンさんはその時のことを思い出して話します。「ほとんどみんな良い人でした。何か食べるものがあれば、僕たちにも分けてくれました。」

異国の地で行き場を失った二人
© UNICEF Yemen/2010/Gudmarsson
3000人以上の移民が、昨年からイエメンのハラドで立ち往生しています。その多くは子ども。ユニセフは、子どもの権利を実現するべく活動しています。

モハメッドさんとハッセンさんは、結局、絢爛豪華なサウジアラビアの都市を目にすることは一度もありませんでした。サウジアラビアとの国境で警察に捕まり、刑務所で数日間過ごした後、イエメンに送還されたのです。今は、ハラドの薄暗い路上が、彼らの住まいです。モスクで眠るときもありますが、たいてい路上で夜を明かしています。

「毛布もなく、ただこのままの格好で寝るので夜は寒いです。」モハメッドさんはこう話します。

イエメンには、長年にわたって、モハメッドさんやハッサンさんのような移民、またアフリカの角地域からやってくる避難民のために、サウジアラビアやその他の豊かな湾岸諸国へと続く主要な通過ルートが存在していました。しかしながら、サウジアラビアは、イエメンとの国境を数ヵ月前に封鎖。国内の不法移民を、一斉に国外退去させ始めました。

イエメンには、今、こうして国外退去させられた人々に加え、アフリカからの移民の流れも続いています。この結果、過去数週間で、約3,000人のアフリカの移民がハラドで足止めされることになったのです。彼らの多くは、長くつらい道のりを経て体調を崩していて、8月から現在までに30人が命を落としたと報告されています。

“悲しみの門”
© UNICEF Yemen/2010/Gudmarsson
ハラドで行き場を失ってしまったエチオピアのアワル・イドリスさんは、「海に遺体を投げ捨てなければならなかった」と話します。

エチオピア人のアワル・イドリスさん(20歳)は、IOMの出国センターでの登録を受ける順番を待っています。アワルさんにも、イエメンに辿り着くまでに経験した辛い思い出があります。アワルさんは、120人の移民の人々ですし詰め状態になった小さなボートに乗ってやってきました。その中で、脱水症と疲労で命を落としていく人々を目にしてきました。

「遺体は、海に投げなければなりませんでした。」アワルさんは、震える声で説明します。

ボートがイエメンの岸に近づくと、ボートの乗客のひとりが、泳いで岸にロープを繋ぎ、人々は上陸を果たしました。

アワルさんは、幸運にも生きて辿り着くことができました。超満員でぎゅうぎゅう詰めのぼろぼろの多くのボートが、紅海とアデン湾を分かつ「悲しみの門」と呼ばれているバブ・エル・マンデブ海峡を越えることはとても難しいのです。1月の第一週には、イエメン沿岸で、アフリカからの移民を載せた二隻のボートが転覆。少なくとも80人が溺死しました。

積極的な働きかけ

こうした状況を受け、ユニセフを始めとする様々な人道支援団体は、昨年10月からハラドで立ち往生している移民を支援するべく活動しています。こうした移民の多くに、避難所や食糧、医療などの支援が提供されました。国連難民高等弁務官事務所に難民申請をしない人々は、IOMの支援を受け、自発的に母国に帰還し始めています。これまでに、約1,500人が本国に帰還しました。

ユニセフは、ハラドの出国管理センターに飲料水を支援した他、子どもと女性たちを守る地元の子どもの保護センターにテントを提供。また、イエメン当局と密接に連携して、移民の人々に心理社会的な支援を行うべく準備を進めています。

ユニセフが最も重視している活動のひとつは、単身、あるいは家族と離れ離れになった子どもたちの権利を守るべく訴えていくことです。この活動の結果、約160人が臨時のケアを受け、家族と再会するために本国への帰還を果たしました。また、こうした子どもたちのうち約75人が、タイズとホデイダの刑務所に拘留されていましたが、ユニセフが関係当局に積極的な働きかけを続けた結果、解放されています。

母国への帰還

「子どもたちが刑務所に拘留されていたこと、また、イエメン政府が子どもたちがそうした状況でとても傷つきやすい存在だということに気がついていなかったことは本当にショックでした。」ユニセフ・イエメン事務所のガダ・カチャチはこう話します。「ユニセフがパートナー団体と協力して行った働きかけの結果、子どもたちは釈放され、必要なケアが施されました。同時に、エチオピアとナイジェリアのユニセフ事務所と協力して、子どもたちの母国への帰還を進めました。」

モハメッドさんとハッサンさんは、まだ帰還を果たせずにいますが、すぐに家族と再会できると望みを思っています。しかし、例え母国に戻ったとしても、二人の将来は、まだ不透明です。理想としては、学校を修了して、安定した職に就きたいと願っていますが、エチオピアの経済状況が影を落としています。

しかし、一つ確かなことがあります。それは、この数週間の辛い経験をもう二度と繰り返したくはないということです。「エチオピアに居た方がいいです。イエメンでひもじい思いをするよりも。」(ハッサンさん)

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