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財団法人日本ユニセフ協会
 



東日本大震災緊急募金 第134報
岩手、宮城、福島で「EYE SEE(私たちが見たもの)」プロジェクトを実施

【2011年12月21日 東京発】

日本ユニセフ協会は、東日本大震災被災地支援の一環として、11月5日から約1ヵ月にわたり、岩手、宮城、福島の各県で、ユニセフが世界各国で実施している「EYE SEE(私たちが見たもの)」プロジェクトを実施しました。

© UNICEF/Japan 2011/Makiko Imai
ジャコモさんと子どもたち

「EYE SEE」は、紛争や災害、貧困などに苦しむ世界各国の子どもたちに、写真撮影を通じて、自分の考えや感情を「表現」し周囲と「共有」する体験を提供することを通じて、子どもの社会参加を促すことを目的とするプロジェクトです。2006年、パキスタン大地震発生から約1年後に実施されて以来、これまでに、リベリア、ルワンダ、マダガスカル、南アフリカ、エチオピア、マリなどの国々で実施されてきました。

3月11日に発生した東日本大震災は、東北の被災地の子どもたちにも大きな影響を与えました。発生から9ヵ月が過ぎた今も、元あった「日常」を回復するための支援が必要とされています。こうした中、子どもたち自身が、震災を振り返り、地域の復興を考える機会をつくる取り組みが、NPOやボランティアの方々によって進められています。私たちも、こうした支援の一環として、今回、20年以上にわたってユニセフの写真を撮り続け、「EYE

SEE」プロジェクトでも第一回目から子どもたちの指導にあたっているイタリア人写真家のジャコモ・ピロツィさんを招聘し、このプロジェクトを実施しました。

© UNICEF/Japan 2011/Kaoru Sano© UNICEF/Japan 2011/Giacomo Pirozzi
瓦礫瓦礫を撮影する女の子

ワークショップ初日、子どもたちは、瓦礫の風景を多く撮影しました。やはりここが出発点でした。

「以前遊んでいた場所だったのにこんなになっちゃった」とか、「悲しい」といった言葉が、キャプションと呼ばれる撮影した写真の説明文にも使われました。

© UNICEF/Japan 2011/Juri Fujiwara
はらがま市でたこ焼きを焼くお母さん

しかし、「ここで止まらないように、過去だけでなく今を写そう」とジャコモさんに促された子どもたち。福島県相馬市では、相馬の「今」を撮影できる場所として、子どもたちは、以前の場所で商売ができなくなった方々が毎週末開いている市場を選びました。この写真の「たこ焼き屋」さんのお母さんは、撮影した子どもの友達のお母さんだったようです。たこ焼きを焼く手を止めずに、撮影に来た子どもたちといろいろな話しをしてくれていましたが、これまでのご苦労などを思い出されたのでしょうか、一瞬涙を浮かべる瞬間もありました。でも、「がんばらないとね」とおっしゃりながら、子どもたちに笑顔を見せていらっしゃいました。

子どもたちは、このお母さんの姿を撮影した写真に、次のようなキャプションを付けてくれました。

「もともと浜の方で生産会社をしていたそうですが、津波によって仕事を失ってしまったそうです。自宅も被害にあわれて、近々とりこわしを考えているそうです。」

「お仕事中もお客さんとの会話を続けています。この震災で相馬は明るく、絆も深くなったと思います」

最初、子どもたちは、「知り合いのお母さん」くらいにしか思っていなかったかもしれません。しかし、身近な方から改めて震災の話を聞き、自らを奮い立たせている姿を見て、何かを深く感じている様子でした。

© UNICEF/Japan 2011/Toshinori Sano
営業を再開したガソリンスタンドのご夫婦

こちらの写真は、岩手県の大槌町で撮影されたもの。営業を再開したガソリンスタンドの前に立っているのは、撮影した子どものクラスメートのご両親です。「大槌の今やこれからを表す時に誰を撮りたい?」という私たちの問いかけに、子どもたちが「ガソリンスタンドのおじさん!」と言い出して撮影に向かいました。

撮影した子がこの写真に付けたキャプションは、「もとの町に戻るために、今がんばる。それが復興につながる」という、ご夫妻の言葉でした。

「仕事を再開してどうですか?」という子どもたちの質問に、お父さんからは、「やっぱうれしいよね〜」という返事。
子どもたちは、「父ちゃん、かっこいいなぁ」という、感想とも歓声ともつかない言葉を連発しながら、ジャコモさんに促され、下から横から上から、いろいろなところから夫妻を撮影していました。こうしてがんばっている身近な人たちの様子を見たり話を聞くことから、子どもたちは確かに何かを感じ取っているようでした。

子どもたちは、家族の写真も沢山撮影しました。

© UNICEF/Japan 2011/Juri Fujiwara
津波の絵を描き続ける弟

福島県相馬市の中学三年生の女の子は、震災後、津波の絵を描き続ける年の離れた弟を被写体に選びました。この子は、実際に津波の現場を見てはいないそうです。なのに、テレビで見続けた様子を、今もこうして絵に描き続けていると言います。

「お絵描き中です。普通の小学生は"好きな車”とかそういうのを描くんでしょうね。」
「あの頃はテレビでどのチャンネルも津波ばっかりでした。あとは原発。楽しみにしていたプールも今年は、二回しか入れなかったんだよね。」
「手前の絵が一枚目に描いてくれた津波の絵です。この後も津波にのまれた家が燃えている絵を描いていました。こんなに小さい子が平然とこういう絵を描くんです。」
「衝撃が大きすぎました。知らなかった頃には戻れないもんね。」

彼女は、こんなキャプションを付けてくれました。かわいい弟を撮りたいという気持ちと、直面している複雑な現実に対する思いが絡み合っていたのではないでしょうか。

© UNICEF/Japan 2011/Juri Fujiwara

原発事故があった福島では、複雑な状況の中で、子どもたちも自分達なりの視点を持って、問題を捉えていたようです。除染で除去された土や放射線測定の様子など、直接的な表現だけでなく、近所に咲く植物を撮影した一見なにげない写真に、「ここにも放射能があるのかな」「放射能なんて関係ないように咲いた」というようなコメントを添えたりして、放射能への不安に揺れ動く心情を表現した作品もあります。

子どもたちが撮影した写真を見て、ジャコモさんは、「とてもパワフルだ!」という言葉を何度も何度も発していました。子どもたちは、震災がもたらした様々なリアリティを、そのまま受け止めているようです。「何を表現したかったのか?」とか、「どういう意味なのか?」などの質問をしても、クリアな回答はなかなか出てきません。彼らの中にも、まだ明確な「答え」は無いのでしょう。だからこそ、私たち自身が、彼らが撮影した「写真」そのものを、子どもたちの「目」になってそのまま見つめること、感じ取ること、そして子どもたちの声を聞き、感じ取ることがとても大切なのだと思います。

© UNICEF/Japan 2011/Giacomo Pirozzi
撮影中の子どもたち

私たちは、今回子どもたちが撮影してくれた写真を、ホームページや国内各地、そしてニューヨークのユニセフ本部で開催する写真展などを通じて紹介してまいります。

東日本大震災の支援活動に取り組む事を決めた時、私たちの頭の中には、ユニセフの中で共有されている「Build Back Better」という言葉がありました。「元あった状態よりも良くする」こと。これは、元々多くの子どもたちが予防可能な病気で命を失い、学校に行けない子どもたちが多い開発途上国で発生した自然災害や紛争にユニセフが対応する時、緊急支援活動をきっかけに、元あった状況よりも良くしていこう、そのための取り組みを応援してゆこうという考え方です。

被災地の多くは、震災前から他の地域より経済的に厳しい状況にあり、少子高齢化が進み、若い世代の流出も続いていました。子どもたち、特に、未就学の子どもたちや子育てのための社会的なサービスは、心細い状況だったのです。そこを襲った今回の大震災。子どもたちや子育てを支える環境が、以前より更に深刻な状況に陥ってしまったことは説明を要しないでしょう。

「子どもたちに優しい街」、子どもを生み育てやすい街は、子どもたちだけではなく、全ての年齢の人にとって優しい街であるはずです。

被災地の復興が、子どもたちに優しい形で実現するよう、被災地の子どもたちが発している声に、是非耳を傾けていただければと思います。

※この内容は、12月20日のNHK教育「視点論点」で菊川穣東日本緊急支援本部プログラムコーディネーターが報告しました。

ジャコモ・ピロッツィ氏特別講演会と東日本大震災支援活動報告はこちらから »

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