公益財団法人日本ユニセフ協会
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ソマリア干ばつ緊急募金 第25報
“いつでも水が使えるなんて、ありがたいことです。”

【2011年10月5日 ケニア発】

「最後に雨が降ったのを見たのは、5年前です。」ファティマ・スシィさん(50歳)はこう話します。8人の子どもの母親であるスシィさんは、ケニア北東部にあるダダーブから15キロ離れたラビスゲレ村で暮らしています。ソマリアから避難を余儀なくされた40万人以上の人々が避難しているダダーブは、今、世界で最も収容人数の多い難民キャンプとなっています。

しかし、このキャンプに居る人々だけが、干ばつと政情不安の被害者ではありません。この地域で長年牧畜を営んできた人々も、同様に苦しんでいます。多くの人々が家畜という生計を立てる手段を失い、新たな生き方を見つけざるを得ない状況です。

「以前は、ここから歩いて2時間ほどのところにあるワラハ・ラビシガレ村で暮らしていました。」スシィさんはそう説明します。「200匹以上のヤギと50頭以上の牛を飼っていました。全てを失いました。飼っていた動物も。動物たちは、干ばつでみんな死に絶えてしまいました。」

ユニセフが支援するプロジェクト

© UNICEF Kenya/2011/Monier
ケニア北東部のラビシガレ村にユニセフの支援で建てられた低学年対象の学校。今回、新たに、深井戸が作られ、学校の子どもたちだけではなく、近隣の人々も、その恩恵を受けている。

幸い、スシィさん一家は、ラビシガレ村で暮らす親戚のところに身を寄せることができました。「私と同じように、ラビシガレ村にやってくる困難な状況の家族がたくさんいます。」「幾分恵まれた状況の家族もいますし、頼る人が誰もいない家族もいます。私たちは、水を求めてここにやってきました。」

何世代にもわたり、この地域で牧畜を営んできたスシィさんは、生まれ育った村を離れざるを得なくなりました。そして今、スシィさん一家は、ユニセフが、干ばつの影響を受けたラビシガレ村の人々の状況を少しでも緩和するべく実施している水道と衛生施設(トイレ)の支援と公衆衛生の支援の恩恵を受けています。また、この村に移ってきたスシィさんの子どもたちは、教育を受ける機会も得る事ができました。

「私はダダーブで生まれましたが、父は、私が学校に行くことを許してくれませんでした。」スシィさんはその当時を思い出して話します。「ラビシガレ村に来た時、村の学校の校長先生が、私と夫に会いにきてくれました。校長先生は、村には学校があり、子どもたちは学校に通うことができると話してくれたんです。今は、8人の子どもたちのうち3人が学校に通っています。」

生まれて初めての学校

今年2月、ラビシガレと近隣の村の子どもたちのために、この村に、就学前の幼児を対象にした学校(幼稚園)が開校しました。現在263名(男の子157名、女の子106名)の子どもたちがこの学校で学んでいます。今回初めて“教育”を受ける機会が与えられた子どもたちばかりでした。

日本政府の支援を受けて、ユニセフが建設したこの学校には、4つの教室と男女別のトイレがあります。スシィさんの子どもたちのように、この学校に通う多くの子どもたちの家庭は、牧民や羊飼いをしている人々です。女の子たちの大部分は、以前は家で、家事を手伝っていました。

ラビシガレ村の子どもたちは、毎日、朝8時から12時までの時間を教室で過ごします。家に帰る前に、全員が昼食をとります。家に帰れば、女の子たちの多くが家事、男の子は家畜の見張り番かコーランを学んでいます。

ユニセフは現在、この学校の敷地に井戸を作るため、掘削作業を進めています。これは、岩の多い厳しい地盤が主体のこの地域では、大変な作業です。井戸が完成すれば、学校の子どもたちだけではなく、地域の人々も、その水の恩恵を受けることになります。順調に進めば、数週間で完成する予定です。

“いつでも水が使えるなんて、ありがたいことです。”

© UNICEF Kenya/2011/Monier
ファティマ・スシィさんと制服を着た子どもたち(左からナスリちゃん(10歳)、ハミドちゃん(4歳)、スシィさん、ビスハラちゃん(6歳)。ケニア・ダダーブ近くのラビシガレ村にあるマンヤッタ(小屋)の前で。

「ワラハ・ラビシガレ村にはもう戻りません」と、スシィさんは話します。「家畜もいません。私には辛い思い出ばかりです。水は生活の全てです。ここには水があります。給水所も学校もとても近くにありますし、良い生活が送れるはずです。いつでも水が使えるなんて、ありがたいことです。」

また、スシィさんは、子どもたちが初めて学校に通うことになったことも誇りに思うと話しました。

「もし私が学校に行って、教育を受けていたら、通訳してもらわなくても話すことができたでしょうね。」スシィさんは、スマリ語でそう話しました。「子どもたちが大きくなったら、重要な仕事をするような人になってほしいと思います。」