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No.38
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ネットワーカーのニュース

「熱帯の国」ガーナと、人びとの生活

イサヤ君と品川さん

まぶしい太陽と大地を彩る赤土が印象的な国、ガーナは、アフリカ大陸の西部に位置する熱帯の国です。ガーナの1年には雨季と乾季があり、雨季には大きなバケツをひっくり返したような大粒の雨が短時間で降り注ぎ、その後にはまた太陽が顔を出すといった不安定な天気を毎日のように繰り返します。乾季は文字通り、地上のありとあらゆるものの水分を太陽が吸い上げるといったイメージで、大地は乾き、木々の緑はその勢いを一気に失います。特に、ガーナ北部ではその乾燥の度合いが南部と比較しても著しく、ビチョビチョに濡れたジーパンでも、外の物干し竿にかけておけば1時間も経たないうちにカラッと乾いてしまいます。

さて、みなさんは「ガーナ」という国名を聞いてまずイメージするのは、何でしょうか?おそらく、「チョコレート」と回答される方がほとんどではないでしょうか。確かに、チョコレートの原料となるカカオ豆は、ガーナから世界中の国々に向けて大量に輸出されており、日本でもガーナカカオを原料としたおいしいチョコレートが出回っています。またある人は、ガーナがアフリカ大陸に位置するということで、大草原を歩くライオンやキリン、ゾウやシマウマといった野生動物をイメージするかもしれません。しかし残念ながら、そうした野生動物の多くは東アフリカのケニアやタンザニアに数多く生息しており、ガーナ国内では北部でゾウやサル、イノシシなどが少数見受けられる程度なのです。また、野生動物とは反対に、人びとの生活に密着した動物としては、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ブタ、ニワトリなどで、こうした動物たちは人間と同じようにガーナの道を自由に歩き回っているので、数多く見かけることができます。

私が青年海外協力隊隊員として2年間活動をした、ガーナという国や人びと、そして水の問題について、みなさんにおつたえします。

ガーナ国内には40以上にもなるさまざまな部族と、異なる言語(部族語)を話す人びとが生活しています。公用語は、イギリス植民地時代の影響により英語となっていますが、職場や学校といった場所以外では、人びとはそれぞれ自分の部族の言葉で会話することが多いようです。かつては、部族間の対立もたくさんありましたが、現在はそうした争いもほとんどなくなりました。また、ガーナの宗教は大きく、キリスト教、イスラム教、その他の宗教に分けることができますが、これらの異なる宗教を信じる人同士が争うといったことも、現在のガーナではほとんどありません。

イサヤ君と品川さん

村の人びと

ガーナの人びとの多くは、陽気で明るく、とってもパワフルです。
また、ガーナ人同士だけではなく、海外からガーナにやって来た人びとに対してもとても親切で、何か困っていると分かればすぐに手を差し伸べてくれます。
これは、ガーナの人びとが「人間みなきょうだい」と考えており、お互いに助け合って生きていくという精神がはるか昔から根付いているためといえるかもしれません。その証拠にガーナの人びとは、たとえ初めて会った人同士でも、お互いを「シスター」、「ブラザー」などと呼び合うのです。

メジナ虫って何??

そんなあたたかな雰囲気がただよう国、ガーナで、私は、青年海外協力隊(感染症対策隊員)※1として、2005年から2007年の2年間活動しました。任地はガーナ北部の州都、タマレという町です。タマレは、約20万人の人口をかかえるガーナ第4の商業都市ということもあり、インフラ※2整備もしっかりとしており、首都のアクラにはおとるものの、生活に必要な施設(病院、郵便局、銀行など)や生活用品を買うための商店などは町の中心に集中しています。しかし、ほんの少し町の中心をはなれると、水や電気といった生活にとても必要なものをえることさえ、むずかしくなってしまうのです。ひとつの国がより大きな国へと発展するときに多く見られる、このような都市と農村の生活レベルの差はここタマレでも深刻で、すみやかで効果的な対応が求められているのです。

イサヤ君と品川さん

メジナ虫

私は、感染症の中でも特に「メジナ虫」(「ギニア・ワーム」ともいいます)という寄生虫の撲滅プログラム※3に関わることになりました。メジナ虫という感染症は日本には存在しないので、どんなものなのかまったく想像がつかない方がほとんどだと思います。私自身、協力隊員としてこのプログラムに関わるまで、全く知りませんでした。そこで、まず始めに、このメジナ虫という寄生虫についてかんたんにご説明したいと思います。この問題は、ユニセフもガーナで力を入れている支援活動のひとつでもあります。

現在、メジナ虫は西〜中央アフリカ(ガーナ、スーダン、マリ、ナイジェリア、ニジェールなど)を中心に存在し、その感染率はガーナが最も高いのです(2006年:約4000件)。ガーナでは、1986年のWHO(世界保健機関)世界保健勧告を受け、1989年に国家メジナ虫撲滅プログラムが始まりました。成果はすぐに見られ、プログラムが始まったときには179,556件であった感染者数が、5年後の1994年には8,400件にまで減りました。しかし、その後また感染者数が増え、現在でも完全な撲滅にはほど遠い状況にあります。

イサヤ君と品川さん

池の水を汲む人びと

では、人びとはどのようにメジナ虫に感染するのでしょうか。メジナ虫は水から感染する寄生虫で、特に水道や井戸などのきれいな水を利用することができず、飲み水をため池に頼る人びとが感染しています。よって、感染者は、インフラ整備の遅れている、北部の貧しい村人たちに限られてくるのです。

まず、池やダムなどの水中にいるメジナ虫の卵をケンミジンコという水中の小さな生物が食べます。そのケンミジンコを人間が池の水といっしょに体の中に飲みこみます。人間の体に取りこまれたケンミジンコは、胃からでるつよい液によって、とけて死んでしまいますが、ケンミジンコのおなかの中にいたメジナ虫の卵はそのまま人間の体の中で成長をつづけ、約1年後、30〜90cmくらいの細くて白い、ひも状の寄生虫が産卵のために人間のヒフをつきやぶって、体の外に出てきます。そのほとんどは足から出てきますが、体のどこからでも出てくる可能性があり、はげしい痛みとかゆみがあります。メジナ虫に感染した人びとのほとんどが、日々の生活の中で、水くみや洗濯など、池の中に患部を浸す機会が多いのです。そこで、水に反応したメジナ虫が体外に飛び出し、水中に卵をばらまきます。そして、この池の水を飲んだ人が新たなメジナ虫感染者になるという悪循環が繰り返されているのです。

イサヤ君と品川さん

牛などの家畜も人間と同じ池の水を飲む。

現在、メジナ虫に直接きく薬はなく、出てきた寄生虫を毎日少しずつ巻き取るのが主な治療方法なのです。寄生虫が完全に体の外に出てくるまでは痛みがつづき、畑仕事や学校にいくこともむずかしくなり、村人の生活に悪影響があります。

しかし、メジナ虫が感染者の体の中で成長をする約1年のあいだ、感染者は虫が体の中にいることをほとんど感じません。また、メジナ虫に感染しても死なないことから、村の中では昔から現在まで、メジナ虫を完全に撲滅しようという強い動きがあまり見られませんでした。事実、ガーナにはマラリアやコレラなど、より深刻な症状で、悪い場合には命を落としてしまうような感染症がいまだに流行しているのです。しかし、メジナ虫が人びとの生活に悪影響を与えていることはたしかであり、マラリアなどの重大な感染症とともに、撲滅に向け努力していかなくてはなりません。

イサヤ君と品川さん

メジナ虫撲滅プログラムより無料で配布されている布フィルター。大きなかめに直接結び付けて使用する。

さて次に、私が協力隊員として、実際にどのような活動をしていたのかをご紹介したいと思います。私の日々の活動内容は大きく3つにわけることができます。

1つめは各村を回りながら、メジナ虫感染者の発見と報告、メジナ虫に汚染された水をろ過するための布フィルター、パイプフィルターを村人に配ることです。

この活動は、村の各家庭をひとつひとつ訪問しながら行っていくとても地道な作業で、すでに配られているフィルターに穴が空いていないかを確認したり(穴が空いている場合は新しいものと交換)、フィルターの正しい使い方を教えたりします。村人のほとんどは部族語しか話さないので、部族語がほとんど話せない私は、英語が話せる村のボランティアや、事務所のなかまといっしょに回りました。

イサヤ君と品川さん

小学校でのメジナ虫予防教育

2つめは、小学校での衛生教育です。

多くの途上国では、水くみは女性や子どもの仕事となっています。ガーナでも、とても重たい水が入ったバケツをバランスよく頭の上に乗せて、女性や子どもがいっしょうけんめいになって池から家まで運びます。よって、メジナ虫に汚染された池の水を、飲料水として利用する前にフィルターでろ過するという作業を覚えてもらうのもまた、女性や子どもが主な対象となるわけです。小さな子どもたちに、このメジナ虫の複雑な感染経路を説明することは簡単なことではありません。そこで、絵や写真を使ったり、人がメジナ虫に感染するまでをドラマ(劇)にして見せたり、メジナ虫の歌をうたったりと、子どもたちに出来るだけ興味を持ってもらえるような衛生教育を試みています。

3つめは、メジナ虫に汚染された池の水に薬を散布することです。

もちろん、薬の散布量を導き出すために、事前の測量も行われます。

以上の3つが私の主な活動内容でした。

しかし、完全な撲滅を目指すためには、やはり感染流行地域となっている村の人びと自身が撲滅への意識を高めていかなければなりません。そのためには、次に挙げる基本的な事柄を確実に実施していくことが非常に重要です。

  1. メジナ虫に感染した人は、2次感染を防ぐために池に近づかないようにする。
  2. メジナ虫に感染した人を発見した場合(または自身が感染した場合)は、早急に村のボランティア、またはプログラムのスタッフに報告し、適切な治療を受けるようにする。
  3. 感染を防ぐための布フィルターやパイプフィルターを適切に使用する。

メジナ虫は日本にはない感染症であったこと、また、私自身が医療や公衆衛生に関する専門的な勉強をした経験がほとんどなかったことなどがあり、活動を始めたばかりのときは、まずメジナ虫についての情報を収集し、勉強することから始まりました。村人とコミュニケーションを図るための部族語もままならない状況ですし、活動をどのように進めていけばよいのかといったことを常に事務所のなかまや村の人びとに相談しながら、また、本当にたくさんのことを教わりながら、無事に2年間を終えることができました。

2年間を通して、ガーナの人びとのために自分が何かすることよりも、ガーナの人びとに助けてもらって、学ぶことの方が多いという毎日でした。そんな自分の存在意義が全くわからなくなって、時々悩んだりもしましたが、そうやってガーナの人びとと協力しながら、ほんの少しでも自分が貢献できることがあったなら、という気持ちで毎日を過ごしました。よく協力隊員の立場として言われていることですが、やはりたったの2年間で、現地に何らかの影響や変化をもたらすことがどれだけ難しいのかということを、身を持って実感したのです。

大学を卒業してすぐに協力隊に参加した私にとって、親元を離れた一人暮らしも全く初めての経験でした。便利な日本の生活からかけ離れたガーナでの一人暮らしを通して、改めて親のありがたさを実感し、同時に自分の未熟さを思い知らされました。また、お金や物が十分になくても、厳しい環境の中で毎日必死に生き、家族の輪を何よりも大切にする村人の姿に、人間の底力やたくましさ、せわしない日本の中では忘れ去られてしまった、人間が幸せを感じる瞬間を見た気がするのです。活動を効果的に進めていくことももちろん重要ですが、ガーナで生活するそのこと自体が、私には大きな意味がありました。ガーナで暮らした2年間を、ガーナの人びとにもらったやさしさを、私は生涯忘れないでしょう。

写真・文章:広報室スタッフ 斉藤有香
(元青年海外協力隊 ガーナ隊員)

※1 青年海外協力隊:
自分の持っている技術・知識や経験を開発途上国の人びとのために活かしたいと望む青年を、派遣するJICA(国際協力機構)の事業です。派遣期間は原則として2年間。協力分野は農林水産、加工、保守操作、土木建築、保健衛生、教育文化、スポーツ、計画・行政の8部門、約120種と多岐にわたっています。(青年海外協力隊HPより)

※2 インフラ (インフラストラクチャーの略):
 (下部構造の意)道路・鉄道・港湾・ダムなど産業基盤の社会資本のこと。最近では、学校・病院・公園・社会福祉施設など生活関連の社会資本を含めていう。(広辞苑より)

※3 メジナ虫撲滅プログラム:
1989年にガーナの国家プログラムとして開始され、現在でも活動中。現在、ガーナで実施されているメジナ虫撲滅プログラムには、ガーナ保健省をはじめとして、unicef(国連児童基金)、WHO(世界保健機関)、JICA(国際協力機構)、カーターセンター(アメリカNGO)など、数多くの組織が関わっている。

 

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