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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

報告会レポート

戦争は終わっていない
〜イラクの子どもたちの状況と人道危機下でのユニセフの活動〜
ユニセフイラク緊急報告会
ユニセフ・イラク事務所代表 カレル・デ・ロイ氏講演

■日時:2003年6月17日 15:00〜16:00

■場所:ユニセフハウス1階ホール

■スピーカー:ユニセフ・イラク事務所代表 カレル・デ・ロイ氏(Mr. Carel de Rooy)

 イラク戦争の終結宣言が出されてから1ヶ月あまり。イラク国内では、混乱と危険が続いています。子どもや人びとの生活を支えるさまざまな社会基盤は、戦闘によって破壊されたり、略奪の被害にあったりしています。治安の悪化、深刻な水不足、不発弾の残留、法や行政の欠如などが、いっそう子どもたちを危険にさらしています。
 2001年6月から、戦争終結後の現在にいたるまで、ユニセフ・イラク代表として一貫してユニセフの活動を指揮してきたカレル・デ・ロイ氏が緊急来日し、このイラク戦争がもたらした危機と今後求められる支援、ユニセフの活動について、報告しました。

カレル・デ・ロイ氏からの報告

◇戦前の資金繰りの困難

 まず、世界のユニセフの活動に対する長年の日本のみなさまからの寛大なご支援に、また、現在のイラクに対して多大な支援を寄せてくださっていることに、心からの感謝を述べたいと思います。
 この戦争がはじまる前も、私達は難しい局面にぶつかりました。平和の可能性、戦争を回避する可能性が、少しはあったためです。その時点で、各国政府はユニセフやその他の国連機関に資金を拠出することをためらっていました。もしそれをすれば、平和の可能性はないと示すことになる、と考えられたからです。
 そのような状況下で、私達は、わずかな資金で、せまりくる人道危機に何とか備えなければなりませんでした。資金1000万米ドルのほとんどは国連のシステム内からの寄付でした。戦争に使われたお金は620億米ドルです。この格差はとんでもないものです。

◇戦前からの人道危機と戦争直前のユニセフの活動

 イラクでは、戦争以前から深刻な人道危機があったことを忘れてはなりません。5歳未満児死亡率は、1000人の出生あたり131人でした。これは1980年代に56人だったことを考えると2.5倍にも高まっていました。25%は学校に行けず、慢性栄養不良(標準よりも背が低い/小さい)の子どもの割合は23%、急性栄養不良(やせすぎ、消耗症)の子どもの割合は4%でした。
 私達は、もっとも危険にさらされやすい子どもや女性を次の4つに大別し、そこに焦点をあてた戦略を立てました。1)5歳未満の子ども、2)妊産婦、3)孤児や施設で暮らす子ども、4)国内避難民の子ども です。
 5歳未満の子どもたちに対しては、4つの疾病に留意しました。
 ひとつが、はしかです。はしかは、危機が発生した際に人びとが移動している間に広まりやすいものです。そこで、45万人の子どもにはしかの予防接種をおこない、戦争がはじまるちょうど1週間前にその仕事をやり遂げました。
 ポリオの予防接種は420万人の子どもたちに対して実施されました。これは、イラクをポリオフリー(ポリオの発症例がないこと)に保つために重要でした。もしイラクでポリオが発症すれば、人びとの移動によって、近隣のイランやシリアなどにも病気を広める可能性がありました。
 子どもたちの下痢も懸念されていたので、バグダッドの73ヶ所の上下水道施設内にある発電機の修復などを支援しました。60人の技師と契約し、戦時中であっても水道施設が稼動するようにしました。
 冬場に子どもたちに見られる急性呼吸器感染症にも注意しました。保健センターなどに抗生物質を配布し、子どもの死亡を防ぐ努力をおこないました。
 栄養不良対策として、戦争の直前に、軽・中度の栄養不良の子どもたち1ヶ月分の高たんぱくビスケットを備蓄し、また、68の小児医療センターに重症の栄養不良の子どもたち3ヶ月分の栄養強化ミルクなどを運びこみました。
 これらが、260人のイラク人スタッフを国内に残して、50人の国際スタッフがイラクを退避するまでに続けられた活動です。戦争が続く間も、イラク人スタッフは活動を続け、戦争の人道面への影響を軽減することに貢献しました。

◇略奪と戦後の混乱がもたらす現在の危機

 戦争が終わったとき、今回は、人道的な影響は比較的少なかったのではないかと予測しました。1991年に比べれば、爆撃も慎重でした。水道施設や発電施設などは攻撃されませんでしたし、人道上重要な施設への影響も少なかったといえます。ユニセフは、メディア等を通じて、民間施設への攻撃をしないよう、かなり頻繁に警告を発していました。
 戦争が終わり、もっとも人道上の危機をもたらしたのは、法律と秩序の欠如です。石油省や、石油の精製所、バスラやモスル、キルクークの油田を除いて、ほとんどすべての政府の建物が略奪と焼き討ちにあいました。人びとは、サダムにつながるすべてに対して盗みや焼き討ちといったかたちで、怒りを表したのです。しかし、現実には、学校や病院、保健センター、省庁などが略奪されました。彼らは彼ら自身を略奪してしまったのです。
 現在も、安全は回復されていません。水処理施設は略奪され続けています。レイプや誘拐を危惧する親たちは娘を学校に行かせません。戦前、31%の女子、17%の男子が学校に行けない状況にありました。現在、およそ50%の学齢期の少女が安全上の問題から学校に通えずにいると推定されています。
 もうひとつの問題は、公務員の賃金の低さです。米英による新体制への移行はスムーズではなく、賃金は不払いになり、省庁の運営費も不足し、行政機能の回復が遅れています。そのために、基礎的な社会サービスを回復させることが難しくなっています。
多くの車が略奪され、輸送手段の大半が使えなくなりました。そして、通信省が爆撃を受け、少なくとも中央レベルでコミュニケーション網全体が崩壊しました。バグダッドでは電話が通じず、地方との連絡が取れません。こうしたことが基礎的な社会サービスの回復を難しくしています。
 電力は、爆撃よりも略奪によって被害を受けました。送電線も略奪され、発電されても電気を送電することができません。また、イラクでは、火力発電が大半を占めていますが、燃料が不足しています。すべての社会基盤である電力の不足によって、水の浄化、下水のくみあげ、ワクチンや食糧の冷蔵など、すべてにおいて深刻な影響が出ています。

◇子どもたちへの直接の影響

 こうした状況下で甚大な被害を受けているのは子どもたちです。
 予防接種のためのコールド・チェーン(ワクチンを低温に保って保管したり輸送したりする仕組み)も機能していません。バグダッドのワクチンの中央保管庫10ヶ所のうち半分は回復しましたので、ワクチンの運びこみはできるようになりましたが、基礎保健センターの60%でしか予防接種が行えていません。施設が略奪の被害にあったためです。
 戦争がはじまってから、ざっと20万人の子どもが生まれています。そして、この子どもたちはすぐに予防接種を受けなければなりませんが、この2ヶ月間予防接種ができない状況が続いています。
 特に気温の高い今、下痢の問題が深刻です。4日前にバスラの気温は摂氏49度でした。7月、8月には、58度〜60度にもなります。こうした状況下では、水をたくさん飲みます。そして、その水が汚染されていれば下痢になります。特に小さい子どもは危険です。1990年以前、5歳未満の子どもが1年間に下痢を起こす回数は平均4回程度でした。しかし、イラク戦争の前にその回数は14回、戦争後の現在は30〜45回にもなっています。これは、特に栄養不良の子どもたちにとっては致命的です。迅速に適切な治療をしなければ、命が失われます。
 南部のバスラでは60のコレラ発症例が報告されています。幸いに死亡者は出ていませんが、今年は発症件数が増えるものと予想されます。できる限りコントロールできるよう努力しています。

◇保健分野でのユニセフの活動

 予防接種は行われ始めていますが、通常の予防接種活動を一刻も早く再開できるよう活動を進めています。また、全国規模で基礎保健センターの調査を行い、必要なスタッフや資材を準備しています。 
 妊産婦のケアのプログラムにも取り組んでいます。戦前も妊産婦死亡率は、10万の出生に対し297と世界でももっとも高い数値を示していました。出産時の母親の死亡率が非常に高かったため、このリスクを低減させるための活動が行われています。
 予防のための保健活動を重視しており、特に下痢疾患に注視しています。
 3月27日からは、巨大な水のタンクをクウェートから運びこみはじめました。1日あたり300万リットルの水をイラク南部へ運び込むことができるようになり、これは文字通り南部で暮らす人びとにとっての命の水となっています。また、下痢になった子どもたちには脱水症状を防ぐ経口補水塩(ORS)を提供しています。
 その他、水処理施設の修復を支援したり、300トンの浄水用塩素ガスを提供したり、住民に対して水と衛生についての意識啓発などをおこなったりしています。
 バスラでは、水質調査も行っていて、これは他の地域にも拡大しつつあります。これによって、水の供給ネットワークのうちのどこを修復していけばよいかがわかります。バグダッドでは、500ヶ所のうち400ヶ所のネットワークの断絶を修復しました。同じことがバスラでも行われています。

◇子どもたちを学校に戻したい〜教育分野における活動〜

 イラクの教育は、戦前もひどい状況にありました。5000校が不足していると推定され、8500ある学校は過去15〜20年、補修されていません。水もトイレもない、電気もないという状況、そして、気温が50度にもなる教室の中で、扇風機もなく、60人もの生徒がひとつのベンチに4人が腰掛けてひしめきあっているようすを想像してみてください。学校が不足しているために、2〜3時間の授業を受けて子どもたちが交代する1日3交代制で授業が行われていました。教科書も質の悪いものです。
 教員の給料は1月に5〜8米ドル程度です。バグダッドでにわとり1羽が1.5米ドルですから、8米ドルでは肉も食べられないということになります。
 
 20年間、教育カリキュラムは改定されていません。教育の質が非常に悪いことから、子どもたちは学校を離れます。そして、家庭の経済的な問題のために、幼いうちから労働市場に出される子どもが増えています。
 戦時中、戦場になった学校もあります。こうした学校には、不発弾などが多く残っていて、除去作業をしなければ使えません。空爆や略奪の被害にあった学校もあります。
 
 教育面での最優先課題は、子どもたちをもう一度学校に戻すことです。日本政府や日本のみなさんのご支援のおかげで、この事業は進みつつあります。戦争で多くの子どもたちが心の傷(トラウマ)を負っており、これに対処するために有効な方法が、通常の学校生活を取り戻すことなのです。
 9月15日(新学期)には大々的な“バック・トゥ・スクール(学校に戻ろう)キャンペーン”を実施できるように準備を進めています。具体的には、80人の子どもと2〜3人の教員の学用品や教材が詰まったスクール・イン・ア・ボックス(箱の中の学校)を提供したり、学校の修復のための調査をはじめたりしています。
 
 教育省はいったん崩壊しましたが、機能を回復しつつあります。しかし、教育省の建物自体は完全に略奪され、役人たちも何もない中でどうすることもできないような状況です。
 カリキュラムの改革については、イラクの行政機構と米英の連合暫定当局との対話が始まっています。イラク人自身が新しい教育の理念を決め、その考え方をカリキュラムや教科書に盛り込んでいけるように支援しています。
 また、今年の進級試験を実施できるように、1500万部の試験用冊子の印刷を支援したり、教員に対して、トラウマを負った子どもたちに対処するための心理社会的なトレーニングや、地雷の被害を回避するための教育トレーニングも行われています。

◇下水整備とごみの処理が急務

 水の供給は電力に頼っています。現在、かつての3分の2の電力しか供給されておらず、電力状況の改善がなければ水の状況の改善もありません。
 水と衛生の問題が深刻な南部では、そのダメージは略奪によって起こっています。
 バグダッドでは、下水とごみの処理が大きな問題となっており、ユニセフがその解決のために活動しています。2ヶ月以上ごみの収集システムが稼動しておらず、バグダッド全体がごみの山といった感じです。下水処理施設にも支援が必要です。
 ユニセフは、安全な水を給水車で運び、ごみ収集をする自治体を支援し、下水処理施設の調査を行っています。
 また、上水道と下水道のバランスも考えなくてはなりません。例えば、下水が機能していないのにトイレを流せば、バックフローが起こり、下水道があふれます。気温が高いなかで、足首まで下水があふれかえっているようすを想像してください。非常に危険な状況です。

◇栄養分野でのユニセフの活動

 汚染された飲み水や危険な衛生状況によって、下痢の発生率が高まり、下痢によって栄養不良が深刻化するという悪循環が起こっています。料理のための燃料も不十分で、衛生的で適切な調理ができないことも、栄養不良の原因になっています。
 もうひとつ大きな問題が、政府によって2450万家庭に毎月提供されているフードバスケット(食糧配給)です。この中に母乳の代替ミルクが含まれています。ユニセフは長年にわたって母乳育児を推進しています。母乳を与える代わりに、代替ミルクを汚染された水で溶かして飲ませれば、子どもが下痢になります。代替ミルクが子どもに危険をもたらすこと、そして、フードバスケットから代替ミルクを外してほしいという要請を、より強く行っています。
 
 私達はこれまで何年もかけて3000の子どもケアユニットのネットワークを構築してきましたが、今回の戦争で、700ユニットが破壊され、残りの2300ユニットは機能不全になっています。これらの子どもケアユニットは子どもたちの栄養不良の状況などを把握するために重要です。軽・中度の栄養不良の子どもを特定し、高たんぱくビスケットを配布したり、重度の栄養不良に陥っている子どもを突き止め、全国68ヶ所ある小児病院に報告し、この子どもたちが栄養強化ミルクを与えられるようにしなければなりません。この子どもケアユニットの機能を回復するための活動が続けられています。

◇過酷な状況に置かれる子どもたち 〜子どもの保護〜

 孤児、ストリートチルドレン、法を犯した子どもなど保護を必要とする子どもたちについては、労働・社会問題省が担当していますが、この省は、戦前からすべての省庁の中でもっとも力の弱い省でした。戦後、労働・社会問題省が機能するようになるには、まだ難しい状況です。
 多くの孤児院や知的障害や身体障害のある子どもの施設まで略奪されました。信じられないようなひどい状況です。戦時中、私達は食糧などを提供していましたが、今の課題はこうした施設をどのように復旧していくかということです。
 国内のあちらこちらに爆弾やミサイル、銃弾、爆薬、地雷、それにクラスター爆弾までが、大量に残されています。これによって、子どもたちが大きな危険にさらされています。
 また、国中で、子どもたちが誘拐されたりして行方不明になっています。親は心配して子どもを学校に送ることができません。 
 ストリートチルドレンも課題です。路上で生活しているというのではなく、路上で生活のために働き、家に帰って眠っています。戦前にくらべてその数は増加しています。

 戦争は子どもたちに甚大な影響を与えました。あるイラク人スタッフの9歳の子どもは、家の至近距離にミサイルが落ちて、ショック状態に陥りました。家中の窓ガラスが割れ、何時間も泣きやまず、鎮静剤でようやく眠ったそうです。テレビでご覧になったでしょうが、爆弾が四六時中落とされていたのです。どんなに多くの子どもたちがショックを受けたかご想像ください。こうして多くの子どもたちがトラウマをおっているということも大きな問題のひとつです。
 子どもたちが安全な場所で遊べるように“バック・トゥ・プレイ(遊び場に戻ろう)キャンペーン”が行われています。不発弾のない、ブランコやすべり台のそろった遊び場や公園を確保し、遊びを通じてトラウマから回復できるようにすることが目的です。
 子どもの保護にとっての最優先課題は、法秩序の回復です。なぜなら多くの施設がいまだに略奪されているからです。労働・社会問題省を支援し、活動を再開できるようにしなければなりません。また、省が回復するのを待つ以前に、現在、支援を必要としている子どもたちに、食糧や必要な物資を提供しなければなりません。子どもの保護の分野で活動している多くのNGOなどとの連携が必要です。
 また、子どもたちへの機会の提供にも取り組む必要があります。学校に通えない子どもたちに、職業訓練、学校外教育や識字教育の場を設け、教育を受ける第二のチャンスを与えることが、今後の重要な課題となります。

◇イラクにおけるユニセフの役割

 最後に、ユニセフは、イラクで非常に重要な役割を果たしている、ということを強調したいと思います。サダムのかつての宮殿に本拠を構える米英の連合暫定当局の人々(主にアメリカ人)は、宮殿を離れるときは武装した車で武器を携帯して出かけます。彼らがイラクの国民感情を理解することは難しいでしょう。一方、ユニセフは、武器を持って出かけたりしません。私達はより多くイラク国民とのコンタクトを持っています。イラクの行政職の人々も私達をよく知っていて、信頼してくれています。
 だから、彼らはユニセフのオフィスで会合を開きたがります。連合暫定当局からもイラク側からもスタッフがユニセフの事務所にやってきて、直接、さまざまな問題について話し合い、重要なことが決められています。ユニセフは、以前の行政機構から新しい行政機構への円滑な移行を手助けしているといえます。
 ユニセフは、イラクにおいて20年以上にわたって活動しています。この国をよく知っています。そして、アメリカ人もイラク人も私達を信頼してくれており、非常に特別な立場にあるといえるでしょう。


<会場との質疑応答>

Q:

 日本に求められている支援とはどんなものですか? また、現地にいて、戦争は子どもたちに何をもたらすと感じましたか?

A:

日本の皆さんおよび日本政府は、教育の分野で支援をしてくれています。これは重要です。イラクでは、パワーの空洞化という問題があります。バース党政権がなくなった後、社会でもっとも統制が取れているのは宗教グループ、特にイスラム原理主義のグループです。イスラム原理主義の脅威に対する唯一のワクチンが教育です。ですから、イラク政府やイラク国民が教育を支持することはよい選択でしょう。
 短期的には下痢の問題の解決が急務です。水の供給施設の復旧など、ユニセフは水と衛生の分野で主要な役割を果たしています。この分野での支援も大歓迎です。
 また、先ほど申し上げた“バック・トゥ・プレイ”に基づいた子どもたちの心理社会的なリハビリについても、まだ、この問題については効果的な取り組みができずにいますので、関心や支援は非常にありがたいと思います。
 そして2番目の質問ですが、ひとついえるのは、どんな戦争でも子どもにとっていいものはない、ということです。この戦争で子どもが甚大な被害を受けたことは事実です。サダムとか政権の移行とか大量破壊兵器とか、そんなことは子どもの世界の話ではありません。子どもにとって確かに戦前の状況は悪かったでしょうが、でも今よりは良かったのです。迅速な状況改善がなければ、戦争は子どもには悪影響しかありません。

Q:

バグダッド市内で水と衛生の活動をされているということですが、同じ分野で活動しているUNDP(国連開発計画)と競合するようなところはありますか?

A:

 バグダッド市内の下水についですが、バグダッド市には9つの自治体があり、そのうちの7つをユニセフが、残りの2つをUNDPが担当しています。UNDPはまた、固形廃棄物処理にも関心を持っており、いくつかのプロジェクトを実施しています。UNDPは、バグダッド以外の地域において水と衛生に関するプロジェクトは行っていないので、長年にわたってユニセフが、特に問題の深刻な南部の各県などにおいて、水の事業を担当しています。

Q:

地方事務所との連絡はどのようにされていますか?

A:

 バスラやモスルなど地方事務所との連絡には、一方通行ですが、携帯電話などが使われています。また、高周波無線も使われています。V-sat(衛生通信システム)を使い、E-mailも可能になっています。徐々にですが、改善されてきています。

Q:

Old Administration(旧行政機構)" とは、誰あるいはどのレベルを指しているのでしょうか?

A:

 現在のイラク行政官であるブレマー大使は、バース党の高い地位の人びとすべてに政府・行政からの離職を要請し、彼らは去りました。今残っている人たちはというと、かつてから働いていた私達には古くからの人びとではありますが、新体制の中の人たちといえます。それ以外で、政治的な意味合いを含めて使っているわけではありません。
アメリカ人からこんな質問を受けたことがあります。「こんな状況でどうやって仕事できるんだ? どうやってバース党の人びとと仕事しないようにできるんだ?」
私はこう答えました。「簡単だよ。清掃担当のスタッフと話をするといい。彼らはバース党なんて関係ないから。」
 現実には、ある程度重要な仕事をしていた人びとはみなバース党員でした。味方なのか対立する相手なのか、それらは、以前と変わらないシステムであることを理解しなければなりません。人間関係を把握することは複雑でリスクもあります。サダムのシンパを排除するのはいいでしょうが、バース党の党員すべてを排除するのは危険です。能力のある政府の役人がだれもいなくなってしまうでしょうから。

Q:

ラマーディやファルージャのあたりでかなり治安が悪くなっていると聞きましたが、治安面でのユニセフの配慮などを教えてください。

A:

ファルージャは、抵抗派の拠点になっています。ここ数日、ひどい攻撃も起こっているようです。しかし、武力で対抗することがよい解決方法なのかは分かりません。ファルージャでは、重要な部族の長が戦争中に家族を失ったそうです。アラブの慣習でいえば、座って話し合い、時には血の代償を払わなければなりません。しかし交渉で解決できる方法が見つかるかもしれません。こうした問題に武力で対抗するのはよい方法とは思えません。

Q:

戦争が終わってから、イラクの女性や子どもたち、民間の人たちの情報が報道されなくなりました。実際、ユニセフの活動を行う中で、こうした民間の人々の状況をどのように直接に把握しているのでしょうか?

A:

講演2

 ユニセフは、現地でメディアに強力に働きかけています。多くのメディアがユニセフの支援活動をフォローしてくれていますが、残念ながら報道が英語のことが多いです。日本のメディアが入って、直接日本語で報道できるのが一番なのでしょうが、言語の障壁もあるのでしょう。今日、私がここにいるのも、日本の方にイラクの状況やユニセフの活動について、直接お伝えしたいと考えたからです。
 現在のイラクの状況でもっとも重要なことは、予想される大きな人道危機を回避することです。イラク国民は、何年もの間、フードバスケット(食糧配給)に依存しており、食料が買えないほど低賃金です。もし、完全に配給が滞ったら、大変な人道危機が起こります。これを回避しなければなりません。
 世界銀行は、今後5年間に、石油の対価として、1000億ドルを提供するとしています。しかしこのためには、1日200万バレルの採油量を600万バレルまでひきあげなければなりません。ですから、石油の売上は、当面はそのほとんどが石油施設の修復などに使わなくてはならない状況が続くと見込まれます。イラクが自らの足で立つことができるようになるまで、国際社会が人道的な支援を24〜30ヶ月間続ける必要があります。



<プロフィール>
カレル・デ・ロイ 氏

オランダ出身、51歳(1952年生まれ)。1984年にユニセフに入り、ナイジェリア、コートジボワール、コロンビアの各ユニセフ現地事務所(水、衛生、環境部門担当)勤務などを経て、2001年6月より現職。戦争勃発直前の2003年3月18日までバグダッドに残り、イラクにおけるユニセフのすべてのプログラムを統括。戦争による退避後も、アンマン(ヨルダン)からユニセフのイラク緊急人道支援を指揮。イラク戦争後の5月1日にバグダッドに戻り、イラク国内での本格的な人道・復興支援活動を再開した。

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