メニューをスキップ
公益財団法人日本ユニセフ協会
HOME > ニュースバックナンバー2015年 > ストーリーを読む
 

エボラ出血熱緊急募金 第73報
リベリアでのエボラ終息宣言
感染ゼロを導いた取り組みとは

【2015年5月12日 リベリア発】

今月9日、リベリアでエボラの終息宣言が出されました。エボラの感染拡大が特に危機的状況であった昨年8月後半から9月上旬、リベリアでは週に400を超える感染のケースを記録しました。しかし、その後年末にかけて行われた取り組みが、リベリアの状況を一変させました。この成果を上げた取り組みとは何であったのか、ユニセフのエボラの広報調整官であるパトリック・モーザー(Patrick Moser)が報告します。

* * *

コミュニティの力

モンロビア市長クララ・ドウ・ムボンゴさん(左)
© UNICEF/NYHQ2015-0112/Ryeng
モンロビア市長クララ・ドウ・ムボンゴさん(左)

5月9日に正式に感染者ゼロ宣言を出したリベリア。コミュニティに寄り添ってエボラとの戦いに挑んだモンロビア市長のクララ・ドウ・ムボンゴさんから話を聞きました。

数カ月前、ムボンゴ市長は「行動しよう!エボラを止めよう!」と書かれたキャンペーンTシャツを着てコミュニティを周り、命を奪うエボラ・ウイルスの感染拡大を阻止するためにできることをする必要がある、と訴えて回っていました。

リベリアで4,600人以上が命を失ったエボラとの闘いにおいて、ムボンゴ市長は、国際社会からの支援が非常に重要であったとともに、コミュニティの貢献が勝因であったと語りました。「今日のリベリアの成果の真の貢献者が誰なのかを知りたいのであれば、コミュニティのリーダーや草の根活動を支えた人々を見てください」と、壁にある町の地図を指しました。

数カ月前、リベリアでエボラ対策に関する方向転換が行われましたが、その後もモンロビア郊外のズマ・タウンでは症例の報告が続きました。市長は一時も無駄にせず、ユニセフの支援による社会活動家たちとともに街頭に繰り出して住民に語りかけ、どうすればエボラ感染を予防し、反対にどうすれば感染が広がるのかを伝え続けました。

ソーシャル・ワーカーのルーシー・ジャグベさん(53歳)
© UNICEF Liberia/2015/Sarah Grile
ソーシャル・ワーカーのルーシー・ジャグベさん(53歳)

「私たちは3日間にわたりズマ・タウンでキャンペーンを行いました。地域のボランティアやその地区のリーダーたちの協力の下、毎日そこに赴きました。およそ10日後、新たな発症例が確認されなくなり、潜伏期間である21日を待ってもなお新たな発症例が確認されなかったため、ついに感染ゼロを達成しました」(ムボンゴ市長)

安全な手順を学ぶ

ムボンゴ市長だけでなく、数え切れないほど多くのリベリアの人々が、自分たちの国からエボラをなくし、エボラ感染によって起きる苦しみを和らげるために懸命な努力を重ねました。そのうちの一人であるソーシャル・ワーカーのルーシー・ジャグベさん(53歳)は、エボラの影響を受けた家族を訪問し、できる限りの方法で家族をサポートしてきました。

ルーシーさんや他のボランティアの人々は、当初、命を奪う恐れのあるエボラ・ウィルスから身を守るための具体的な措置−例えば、感染の疑いのある人とは身体的な接触を避け、安全な一定の距離を保つなど−について、何も知りませんでした。

食事を準備するために、市場から食料を購入するロイマさん
© UNICEF Liberia/2015/Sarah Grile
食事を準備するために、市場から食料を購入するロイマさん

「その当時、私たちは、身体に触れることによってエボラが広がるとは知りませんでした」とルーシーさんは言います。「そして、私が感染して死ぬかどうかも分かりませんでした。でも、ただ助けたかったのです」ルーシーさんはその後、エボラ対策の手順についての訓練を受けました。

私たちが支援した女性の一人である、ジャグベさんに会うために車でモンロビアの郊外に運転して向かった際、「エボラは殺人者だ」と書いて警告する巨大な看板の横を通過しました。流行が始まった当初は、多くの人がエボラは作り話であると信じていたため、そのような人々に警告を促すものでした。看板はその当時を思い出させますが、それと同時に、隣接したギニアやシエラレオネでエボラの感染が続いている限りはエボラが脅威であり続けるという警告でもあります。

我々がクパラ・タウンに到着したとき、ジャグベさんは、どんな逆境の中にあっても強い親族関係を保つことができた、ある母親の物語を紹介してくれました。

友人の子ども6人を養子に

木炭を販売したり裁縫をしたりしながら生計を立てている32歳の母親のロイマさんは現在、昨年エボラで亡くなった友人の子ども6人の世話をしています。そしてエボラによりロイマさんの兄弟とその妻が亡くなり、ふたりの7人の子どもはロイマさんの別の兄妹の家族の一員となりました。

エボラ孤児となった子どもたちは、皆同じ集合住宅に住んでいます。私が訪れたとき、彼らは数家族で共有している開放型のキッチンの外にあるほこりだらけの地面の片隅で遊んでいました。ロイマさんは大きな笑みを浮かべ、「時には将来について心配することもあるけど、子どもたちのおかげでとても幸せで、子どもたちといると笑いが絶えないの」と言いました。

食事を調理してそれぞれの子のために盛り付けするロイマさん
© UNICEF Liberia/2015/Sarah Grile
食事を調理してそれぞれの子のために盛り付けするロイマさん

3,320人以上の子どもたちが、エボラで両親のいずれかを亡くしたことがわかっています。このうち884人の子どもたちは、両親をともに亡くしました。しかし、そのほとんどは孤児院にいるのではなく、親戚やコミュニティの他のメンバーの保護の下で暮らしています。こうした人たちはエボラの恐怖に立ち向かい、そして時には経済的な困難を抱えながらも、家を、そして心を、恐ろしいウイルスによって孤児になった子どもたちに開放しているのです。

ロイマさんの最年長の養子であるジェリーさん(16歳)は、木炭の売買を手伝っており、学校に通う余裕はありません。他の子どもたちは地元の教会の学校に通っています。「学校が再開した時、子どもたちが手を洗い、体温を測るなど、学校は間違いなくエボラに対する予防措置を取っていることを確認しました」(ロイマさん)

ロイマさんが暮らすコミュニティでは、エボラで16人が亡くなりました。全国的に行われた啓発キャンペーンの期間中、コミュニティを訪れた啓発活動チームは、エボラから身を守るための方法を人々に伝えました。手を洗うこと、感染の疑いのある人を見かけたら保健センターに報告すること、専門のチームが安全な埋葬を実施できるようにすることなどです。ロイマさんは、啓発活動チームから聞いた通りに行動しています。

「私は子どもたちが安全であってほしい」
ロイマさんは無邪気に遊ぶ子どもたちを指さして、そう語りました。

トップページへ先頭に戻る

>