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日本ユニセフ協会
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「あさひ幼稚園」が
復興への大きな一歩を踏み出しました

【2016年11月1日  宮城県南三陸町発】

日本ユニセフ協会は、岩手・宮城・福島各県の自治体の要請を受け、地震や津波で全半壊した保育園や幼稚園の園舎、学童保育施設等の大規模修繕や仮設園舎の提供、園舎再建の支援を行いました。3県で計14件実施したこの支援の対象施設のひとつ、宮城県南三陸町の「あさひ幼稚園」は、15メートルを超える高さの津波で園舎が跡形も無く全壊。再建支援には、プロサッカー選手の長谷部誠選手の呼びかけに応えてくださった日本全国のみなさまから寄せられた浄財が充てられました。

震災直後、小学校の空き教室や公民館などを使って活動を再開した「あさひ幼稚園」は、2012年7月に当協会支援による木造平屋建ての園舎が完成したことによって、復興に向けた大きな一歩を踏み出しました。しかし、復興事業の一環として幼稚園周辺の山林で大規模な宅地造成工事が始まったことから、2013年夏から、町内のお寺の駐車場に建てられたプレハブ園舎での活動を続けてこられました。また「あさひ幼稚園」では、より本格的な園活動の再開のため、この間を使い、2012年に完成した園舎に隣接する土地に、独自に確保した資金で新たに建物3棟を増築。ふたつの保育室と職員室、遊戯室(ホール)、図書室の4棟からなる新生「あさひ幼稚園」が誕生しました。

みなさまが繋いだ「復興」

完成した新生「あさひ幼稚園」。保育室2棟と職員室棟、ホール棟の4棟で構成されています。左上のさらに奥が、4年前にプロサッカーの長谷部誠選手の呼びかけで日本全国から寄せられたご寄付で日本ユニセフ協会が提供した建物。

© 日本ユニセフ協会

完成した新生「あさひ幼稚園」。保育室2棟と職員室棟、ホール棟の4棟で構成されています。左上のさらに奥が、4年前にプロサッカーの長谷部誠選手から寄せられた著書の印税とチャリティイベントの収益により、日本ユニセフ協会が提供した建物。

11月1日に執り行われた落成式には、公務のため欠席された佐藤町長の代理として最知副町長が出席。園児や保護者の方々はもちろん、当協会関係者はじめ「あさひ幼稚園」の再建に関わられた多くの方々が参加されました。

「このあたりは、役場、病院、総合ケアセンターなど、町の中心になる場所です。これから住宅が建ちますが、50%が高齢者の予定です。そんな中、園舎から子どもたちの声が聞こえることは、住民の大きな励みなることでしょう。これから未来のある子どもたちを町で育てていきたいと思います」(最知副町長)

「大切にしたかったのは、歴史をいかにつなげていくかということです。4年前に建てた1軒目の園舎は、津波の被害を受け立ち枯れてしまう運命にあった(南三陸町内の)大雄寺の参道の杉の木を使いました。今回の3棟も木材で作られているのはもちろんですが、建具、床材、ボルトに至るまで工場で作られたものはほとんどありません。全国の技術者と南三陸町の職人さんが知恵を絞り、手作りで加工されています。たくさんの人の力と知恵、思いが詰まっている、これが歴史です。この園舎で子どもたちがいっぱい走り回って、元気に育ってほしいと願っています」(設計・施工管理を担当された手塚建築研究所の手塚貴晴・由比両氏)

園児や保護者の喜び

高低差のある土地に建てられた3棟の建物は、こんな素敵な渡り廊下と階段で結ばれています。

© 日本ユニセフ協会

高低差のある土地に建てられた3棟の建物は、こんな素敵な渡り廊下と階段で結ばれています。

「立派な園舎が完成して、とても嬉しいです。細かなところまで子どもたちのことを考えてくださり、近所の職人さんから、単身赴任で頑張ってくださった全国の技術者の方々まで、たくさんの方のお力でこの日を迎えられたことに、本当に感謝しています。この場所だったら、この園舎だったら安心して子どもたちも過ごせます。冒険心をそそられる園舎で、きっと楽しくのびのびと過ごすことができると思います。本当にありがとうございました」(保護者代表のお母様)

最後に園児たちから、鼓笛演奏と元気いっぱいの歌のお披露目がありました。夕方から冷たい雨が降る寒い一日でしたが、この日初めて新しい園舎に入った子どもたちは、縁側を走り回り、木の温もりあふれる床をゴロゴロと寝転んだり、山の斜面に作られた建物をつなぐ階段を上ったり下りたりと、元気いっぱい動き回っていました。

復興へかける想い

園の一角に設けられた「長谷部選手コーナー」。長谷部選手は、震災が起きた2011年から毎年、公民館やプレハブ園舎で不自由な幼稚園生活を送っていた子どもたちに、「元気」を届けてくれました。ボールの右側の「紙製のタコ」も、長谷部選手の“作品”。

© 日本ユニセフ協会

園の一角に設けられた「長谷部選手コーナー」。長谷部選手は、震災が起きた2011年から毎年、公民館やプレハブ園舎で不自由な幼稚園生活を送っていた子どもたちに、「元気」を届けてくれました。ボールの右側の「紙製のタコ」も、長谷部選手の“作品”。

園舎の周りの山は、宅地造成工事によりすっかり切り崩され、平らになったまちの丘の上に、堂々と建つあさひ幼稚園。昼間は子どもたちの元気な声がまちに響き、暗くなると窓からの明かりが、町を温かく包みます。近くには、2015年11月に完成した南三陸病院と総合ケアセンターが建ち、そのすぐ隣では、新たな町役場の建設も進んでいます。この日落成式に出席した方々は、完成した園舎を感慨深げに見上げながら、「この建物が町のシンボルになり、地域を元気にしていってほしい」「チリ地震の時もたくさんの人が被災したが、(当時は)ボランティアも支援もなく自分たちで復興を果たした。時間はかかると思うが、今回これだけたくさんの支えがあったのだから、復興できないことはない」「たくさんの人、たくさんの子どもたちであふれる町にしたい」と口々に話されていました。

あさひ幼稚園の小島園長も、「本当にたくさんの方のお力でこんなに素晴らしい園舎が完成しました。これからも南三陸町の子どもたちを支えて、育ててまいります」と、私たちにみなさまへの感謝と復興への決意の言葉を託されました。

みなさまのご支援で蒔かれた種が、ここでも根を張り、花を咲かせはじめています。

 

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