ルドミラが6歳のとき、母親は井戸に飛び込み、自殺しました。父親が幾度にもわたって母親に暴力を振るっていたからです。その後、父親の怒りの矛先は子どもたちに向けられ、子どもたちは夜、コートを着て眠るようになりました。父親が酔って帰ってきたときに窓から逃げ出せるようにです。それは日常でした。そして、ルドミラが成長し女性らしく見えるようになると、ルドミラの人生はより悲惨なものになりました。父親がルドミラを望むようになったのです。ルドミラはもう20歳。いまだにコートを着て寝ています。
センターで働く心理カウンセラーによると、人身売買の被害にあった女性のほぼ90%が子どものころに家庭内暴力(肉体的暴力、近親相姦、レイプ)の被害を受けています。極度の暴力のために、危険に対する感覚を失い、女性たちは家庭内暴力よりひどいものはないと思うようになります。そして、より悲惨な運命—人身売買—に引きずり込まれてしまうのです。
トルコでの仕事を紹介されたとき、ルドミラは迷うことなく承諾しました。しかし、ほどなく無一文で双子を妊娠してモルドバへ帰国。双子の赤ちゃんは今4カ月で、ルドミラと一緒に社会復帰支援センターの“子どもにやさしい部局”に住んでいます。赤ちゃんは健康で、母親と一緒に普通の生活を送る予定です。
もし、ルドミラが自分ですべて問題を解決しなければならなかったとしたら、どうなっていたでしょうか。粉ミルクを買うだけでも1カ月100米ドル以上。モルドバの月収平均を大幅に上回ります。でも、ルドミラには収入がありません。その上、過去のトラウマのため、心理的に不安定です。人身売買の被害にあった女性は、自分の苦悩や恐れを自分の子どもに向けやすいといわれます。
だからこそ、センターは、妊産婦と若い母親に対する専門的なプログラムをはじめました。母親たちは、子どもを受け入れること、責任感を持つこと、子どもを愛すること、自分の心を埋め尽くす怒りを子どもに向けないことを教えられる必要があるのです。
ルドミラは長い間、赤ちゃんに食事を与えることを拒みました。赤ちゃんが泣いているにも関わらず、ルドミラがそれを無視していることにセンターのソーシャルワーカーは驚きました。子どもを優しく撫でたり、キスをしたり、抱いたりすることさえしませんでした。ルドミラは、愛情を受けたことがなかったので、どう愛情を与えたらよいかわからなかったのです。
でも、心理カウンセラーの長く、懸命な努力が実を結び、ルドミラは今では子どもを愛することができるようになりました。今では、子どもがいない人生など想像できません。実は、センターに来たばかりのころ、ルドミラは別のことを考えていました。子どもを生んで、半年一緒に暮らしたら、子どものもとから去ろう、と。再びトルコへ行き、お金を稼ぎたかったのです。信じられないことに、彼女は自分の運命を再び海外で試そうとしたのです。「他に何ができるの?父親の所に戻って、母親のように自殺する?私の子どもに父親との生活をさせるの?」ルドミラはそう言います。
人身売買の被害にあった女性の運命は、その心の強さ次第です。そして、心の強さは親しい関係の人たちに左右されます。苦痛なことを強いずに助けてくれる人がいれば、悲惨な経験から立ち直るチャンスがあります。もしひとりであれば、心の強さは簡単に崩れ、もう一度運にかけてみようという誘惑にかられるのです。再び国外へ出る人もいます。再び人身売買の被害にあうかもしれないということは考えていないのです。
幸運なことに、ルドミラの人生は違っていました。親戚がそばにいてくれます。ルドミラが再びトルコへ行くことはないでしょう。センターは、ルドミラにシチナウの郊外に小さな家を買うお金を工面する手助けをしました。ルドミラは今、そこで双子の子どもと父親に虐待を受けたきょうだいと一緒に生活しています。
人身売買の被害にあった女性は、売られる前に自分になにが起きるかを知っていた、という根強い思い込みが存在します。しかし、それは事実ではありません。売春婦として働く可能性を理解していたのは、被害者のたった1%のみ。残りは、ベビーシッター、看護婦、家政婦として働くために海外へ行くと考えているのです。しかし、海外にいくと奴隷のような状況で3カ月〜5年もの間、生活しなければなりません。強制収容所に入ったような状況になることもあります。締め切られたドア、鉄格子の窓、飢え、屈辱…、太陽や空を見ることなく、書類も人権もないところで暮らすのです。多くの女性がアルコールや麻薬中毒になります。買春斡旋業者は飲酒や麻薬摂取を強要し、女性たちをコントロールしやすくしようとします。
とにかく、人身売買の被害を受けたとしても、女性たちは生きなければなりません。その中には人身売買により妊娠し、子どもを育てなければならない女性もいるのです。
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