アンドレイはまだ5歳。やっと幼稚園生の仲間入りをし、笑って遊ぶことも覚えました。それでも口数は少なく、会う人ごとに言うことは「パンちょうだい」です。モスクワでお母さんと物乞いをしている1年半の間に覚えた言葉です。心を許してくれると、アンドレイは昔のことを語ってくれます。「ぼく、なぐられてたんだ、モスクワの男に」
アンドレイがモスクワに売られたのは2歳半のとき。お母さんのアナも一緒でした。貧しく仕事もない子持ちの母親は、人身売買業者のかっこうの餌食だったのです。
背が小さく、恥ずかしがり屋のアナは、髪を男の子のように刈り上げ、25歳には見えません。アナは孤児院育ち。8人兄弟姉妹。みんな別々の施設で育ちました。酒好きの両親は、子どもたちの面倒を見ることができなかったのです。
16歳で孤児院を出たアナは、姉と一緒に住していましたが、すぐに男の人と恋におち、その人と結婚しました。でも、この幸せは長続きしませんでした。「妊娠しても、夫はわけもなく私に暴力をふるいました。5ヵ月に入ってからウンゲニの産院に入院し、子どもが生まれるまでそこにいたんです」アンドレイが生まれてから1年はウンゲニの産院にいましたが、その後はコルネスティの別の病院へ。「でも、それ以上いるのは難しく、姉のところに戻ったんです」とアナ。
お姉さんに負担をかけまいと、がんばりましたが、子持ちでは仕事も見つかりません。「アンドレイに着せる洋服も食べ物もありませんでした」
チシナウでポテトの仕分けの仕事があるというので、姉の助言にしたがって、男の申し出に応じることにしました。子どもを一緒に連れて行くのが条件でした。チシナウに着くと、行き先はモスクワだというのが分かりました。「モスクワへ発つ2日前、ほかの4人の女性と一緒に家の中に監禁されました。みんな子持ちです。中にはオムツもとれていない小さな子どももいました。そのとき初めて、物乞いをするためにロシアに連れて行かれるのだということに気付いて、逃げ出そうとしました」…が、無駄でした。逆に死にそうになるくらいなぐられました。計画が台無しになったらアンドレイを引き離して、二度と会えないようにしてやると脅されました。「パスポートは税関でしか手渡してもらえませんでした。2度逃げようとしました---一度目は列車から飛び降りようとして、二度目は税関の役人に訴えて。でも…どちらも見つかって、トイレの中でなぐられました」
モスクワでは、女性全員がひとつのアパートに押し込まれました。晩秋で、とても寒くなっていました。それにも関わらず、「オーナー」は、女性と子どもを朝早くから夜遅くまで、物乞いのために通りに立たせ、見張りをつけました。ロシア語も知らないアナは、通行人に泣きついてお金をせびりました。アンドレイを抱いたまま地下鉄で、あるいは路上で、「みなさま、お願いです、この子にパンを買いたいんです。お恵みを!」
「物乞いは恥ずかしく、人々に罵声を浴びせられるので、なかなかお金になりません」とアナ。食べるものと言えば、通りすがりの人が同情して投げてくれたパンだけ。「稼ぎがないと、オーナーは『稼ぎが少ないから』と言って、お湯しかくれません」1日のノルマはひとり4,000ルーブル(約15,000円)。「何度か警察に行って助けを求めました。でもオーナーがお金で取り戻しに来るのです」
半年後、通行人の助けによりアナは逃げ出し、修道院でかくまってもらうことができました。修道女がモルドバ出身で、子どものアザを見てびっくりしたのです。必要な書類を手に入れ、モルドバに帰還するのを手伝ってくれました。
モルドバに帰還後、アナはユニセフが支援するウンゲニにある社会サービス・プログラム“モルドバのすべての子どもに”の支援を受けました。「もう絶望視していましたし、助けてくれる人もいなかったので、ほんとうに救われた気分でした」とアナ。
ひどいトラウマで病院に入院すること5カ月。リハビリの間、アンドレイは養父母の手元に置かれました。その頃のことをアンドレイはうれしそうに話します。「マイアさんのところでは毎日、ずっと遊んでたんだよ。いいところだった。パサハおばあちゃんは、たくさんの動物を飼っていて、どれもすごくかわいかったんだ」とアンドレイは話します。ウンゲニ地域委員会は、昨年の7月、アナにホステルの一部屋を提供してくれ、雇用も手伝ってくれました。
これと同時に、アンドレイは無料で幼稚園に通い始めました。5歳になって初めて、アンドレイはほかの幼稚園生と同じように、遊び、笑うようになりました。
ウンゲニのこのモデルプロジェクトは、ユニセフによって支援され、「“モルドバのすべての子どもに”(NGO)、並びに地元当局の協力で実施されています」と語るのはユニセフの子ども保護担当官、キルステン・ディ・マルチノです。プロジェクトは、子どもの遺棄の防止、暴力、人身売買の防止、子どもの住居付きケアの提供に重点を置いています。2002年9月から2003年11月まで、91家族、282人の子どもが、心理社会的、財政的支援などを含めた家族支援サービスを受けることができました。アンドレイはそのサービスを受けた、幸運な子どものひとりなのです。
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