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銃弾が飛び交う中で子どもに予防接種を受けさせようだなんて、無謀なことのように思われるかもしれません。しかし、子どもの病気は戦争で使われる武器と同じように子どもの命をたやすく奪います。バキタはこのことをよく分かっていました。 戦いが続く中で、バキタのような母親に予防接種の大切さを伝え、保健サービスを受けられるようにすることは、それだけでひとつの成果です。 「2年前までは、子どもたちは予防接種を受けることはできなかった」と、予防接種プログラムのチーフ、イズマイル・ハミドは話します。1990年代に戦火が広がると、地方の保健サービスは半分にまで減らさざるを得なくなりました。1980年代に、予防接種率は、戦火の拡大を測るバロメーターでもあったのです。ユニセフと世界銀行の調査によって、2000年までにはしかの予防接種率は50%にまで落ち込み、すべての予防接種を受けられる子どもは4人に1人しかいないことがわかりました。戦火がもっとも激しいスーダン南部の地域では、予防接種を受けている子どもはわずか2%しかいませんでした。 ユニセフは、子どもの予防接種率の改善について、決して目標を低くしませんでした。むしろ、スーダンの政府が支配している地域では、予防接種率を90%にまで上げ、新生児破傷風の発生を出生1000件あたり1件にまで下げる、という野心的な目標を掲げたのです。 しかし、平和なくしては、これらの目標の達成は無理です。そこで、ヌバ山地やその他の地域で、ユニセフと地方政府の役人たちは、「子どもの保健」を平和を広めるための方法にしようと考えたのです。国連は、スーダンのすべての武装勢力と交渉し、ポリオ根絶のための「静謐の日々(停戦の日)」を設けようと呼びかけました。保健員たちは、この機会を最大限に利用して、ポリオだけでなく、より幅広く予防接種を実現しようとしました。そうして、2002年1月、ようやくこうした努力が実を結びました。 バキタは振り返ってこう話します。「静謐の日々がやってきて、何だか新しい感じがしました。みんな戸外へ出て、何も恐れなくてよかったのです。警察や軍隊までが、私たちが出かけるのを助けてくれました」
バキタは停戦の間に、3歳の息子をクリニックへ連れて行き、6人の子どもすべてに予防接種を受けさせることができました。13歳の息子マムードは、幼児期に半分の予防接種しか受けられませんでしたが、それでも幸運な方です。村から離れたところに住んでいる子どもの多くは1度も予防接種を受けられなかったのですから。 ちょっとはにかみ屋で印象的な茶色の目をしているマムードは、戦争はいろいろな面で子どもたちに影響を与えている、と話します。「戦争で学校には行けなくなったよ。ときには、何週間も学校が閉鎖されるんだ」 この停戦はまだ不確かなものでしかありませんが、住民に戦争後の将来がどんなものかを想像させました。バキタは微笑んで子どもの手を握りながら話します。「平和が、よりよい保健サービスをもたらして、学校もいつも開いているようになり、私たちを安全にしてくれると願います。いつかそうなると思います。だって、もうそれは始まりかけているんですもの」 ユニセフ・スーダン デビッド・グッドマン |
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