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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

人身売買防止ビデオ制作日記
<中国>

撮影日記

教育を通じて正しい情報を伝えることが、人身売買予防にもつながる。(写真は本文とは直接関係ありません) 中国では、女の子の人身売買が横行しています。正式な統計では、毎年1万人以上の女性と子どもが中国国内で人身売買されています。ユニセフ中国事務所は、新進気鋭の映画監督ニン・イン(寧瀛<女性>)を起用して、中国の女の子たちが都会で仕事を探すときに注意しなければならないことを警告するビデオを作成することにしました。

◆7月27日 成都

 激しい雨の中、午後一番に飛行場に到着。カメラ担当のグアン・ドンペイが雨のシーンを撮ります。チェンドゥにある最大の労働市場。撮影がもの珍しいのか、あっという間に人だかりができます。1,000人以上の男女が仕事を求めてこの街に集まり、何時間も、果ては何日も、暑さと湿気の中で待っているのです。ほとんどの人が技術もない農業従事者。喧騒の中、人々は一生懸命何かを質問してくるのですが、なまりがあるので、北京語ができる私にも理解できません。暑さにうだる市場。ニン・インの想像力は駆り立てられているようです。カメラマンは高いアングルからシーンを撮りたがっていますが、ハシゴが見つかりません。撮影の間、女性の待合所に男性が入らないように、市場の責任者はうまくやってくれるのでしょうか?

 かつては工場だったこの市場を立ち去って、バス停へ。そして、労働者向けの寮も何棟か訪問してみます。4日滞在すれば、1晩2元(26円程度)で泊まれる格安の場所。暗い部屋には2段ベッドがたくさん並んでいます。小さな中庭で、人々はテレビを見たり、マージャンをしたりしています。

 日が落ち、もう撮影はできません。そこで明日インタビューする予定の16歳の子へのお土産を探すことにしました。女性連盟のフーさんは、綿の毛布がいいだろうと言うのですが、ふたりの好みが一致するものがありません。シャンプーや毛髪ケアの類はたくさんあるのですが、いったいこんなもの、使う人がいるのかしらと思えるほど。最終的にはスキン・クリームをお土産として買い込んで、3つ星ホテルへと帰ります。しかし、労働市場でノミにやられたのか、かゆくて眠ることができませんでした。

◆7月28日

撮影2日目。8:30…昨日より小さい労働市場にたどり着きました。家政婦さんの仕事を斡旋する場所です。ニン・インはマネージャーと仕事を探している女性たちの何人かにインタビューをしています。ひとりの女性は堂々とした態度で答えています。「人身売買の斡旋者ですって? いい人と悪い人の区別くらいつきますよ。顔を見ればすぐに分かります」

9:30 警察が、数カ月前に保護した女の子のところに連れて行ってくれることになりました。それでも許可を得るのは大変なことで、警察の人と長々と交渉し、待つこと数時間、やっと許可が下りて、彼女が住む村に出発しました。途中、彼女が村での撮影はしてほしくないと言っていることが分かりました。何でも、両親が本当の話をまだ知らないのだそうです。そこで、近くの村で落ち合うことにし、彼女はお兄さんのバイクに乗ってやって来ました。彼女はどちらかというと小柄。少し太っていて、丸顔です。色黒の彼女は髪を三つ網にし、イアリングをしています。典型的な農村部の女の子です。神経質そうにも見えませんし、おどおどしたところもありません。にこやかに私たちを迎えてくれています。

 昼食を食べながら、どうしてこのビデオを製作しているのかを彼女に話します。彼女はこんな話をしてくれました。「お母さんは体が不自由で、畑で働くのが大変なんです。それで私が働くことにしたのです。何が起きたのか、お母さんは知りません。知っているのはお兄さんだけです。だから家に来てほしくなかったんです。ほかの人に役立つことなら、顔を写さないことを条件に承諾します。声はそのままでもいいです」

 彼女をリラックスさせようと、いろいろなおしゃべりをしました。食べ物、中学校で習った英語のこと、ここらの名物など。きれいな北京語で歯切れ良く話す彼女は、きっと優秀な生徒だったに違いありません。

 昼食後、インタビューを撮影するために喫茶店に行きます。問題はどうやって、お客と警察を店から締め出すかということでした。ユニセフの倫理ガイドラインがあるからと説明する場所でもないのですが、プライバシーを確保するには仕方がありません。彼女は話を始めました。自分の身の上話になると、さっきまでの口調から一転変わって、平坦な口調になりました。生気がなくなり、まるで報告書を読み上げるような調子です。働き口があるよとだまされ、レイプされ、屈辱を味わい、性的産業に身売りされた…そんな悲しい話が続きます。
 「家を出たときは人身売買について知っていたの?」と彼女に質問をぶつけてみました。「聞いたことはありました。テレビやニュースで。でも、自分にそんなことが起きるとは思ってもいませんでした」人身売買の斡旋者はどんな人たちだった? 「すごく親切そうで優しそうでした。ですから、全然疑いませんでした。今振り返ってみると、どうして見ず知らずの人の車になんか乗ったのだろうかと不思議なのですが…。どうして叫ばなかったのか、助けを呼ばなかったのか、分からないんです。いろいろなことが起きて、逃げるチャンスもあったはずなのに、逃げなかった。なぜかは分からない。でも、言うことを聞かなかったら、山奥に連れて行くと脅されて…。何がなんだか分からなくて、怖くて、どうしていいか分からなかった」女性や子どもたちにはどんな権利があると思うか、と彼女に聞いてみると、彼女は理解していないみたいでした。「権利」という概念は、あまりに抽象的すぎて、彼女には分からなかったのです。

 「将来は何になりたい?」明らかに質問すべきことではありませんでした。将来のことまで考える心の余裕はまだなかったのです。いらいらした調子で、彼女はこう言いました。「夢なんかありません。こんな私…。昔は婦警さんになりたかったけれど、こんなバカな私…無理に決まっているわ」彼女は泣き出してしまいました。

 いろいろ考えると彼女の立場は難しいことがわかってきました。彼女が誰か、ビデオの中で彼女の正体を隠し通すことはできるのでしょうか? 声だけで彼女だと分かる人もいるのではないでしょうか? 小さな村で彼女が向き合うかもしれない差別を思うと、リスクがあまりに大きすぎました。それでもインパクトのあるビデオが必要です。車の中で、私たちはいろいろなジレンマについて話し合います。

 私たちについてきた警察官が、突然、人身売買の容疑者を撮影してみないかと持ちかけてきました。「それは是非!」そこで拘留所に急ぎます。どんな女の子を探しているのか、どのように近づくのか、そうした人間のワナに引っかからない方法を教えてもらうことにしました。

 小さな白い面会部屋。鉄格子の向こうに容疑者たちが座っています。最初の男はドライバー。「俺は何も知らない。指示どおりに車を運転しただけさ」その次に面会したのが女性でした。斡旋者です。彼女の役割は、ありもしない仕事をネタに女の子たちをおびき寄せること。ボスにひとり手渡すごとに50人民元(450円)をもらっていたそうです。彼女の言い分?「指示された通りのことをやっただけよ」ずんぐりむっくりした体型で、そばかすだらけ。髪の毛も短めで、どこにでもいそうな女性です。3人目はとても若くてきれい。伏し目がちな様子は、加害者というよりまるで被害者のようです。彼女は、何も知らないと言います。単に、友達とぶらぶら歩いていただけだ、と。警察は、しかし、彼女は、その親しみやすさを利用して、女の子たちの心のスキに入り込んだのだ、と言います。年上の女性は説得役でした。興味深いと思いましたが、ビデオで使っていいという許可は下りませんでした。

 ホテルに戻って、今日撮影したビデオを見返します。16歳の女の子とのインタビューは完璧でしたが、どうしたら彼女の正体を隠し通せるかが問題になりました。

 食事の間に、スケジュールを変更し、別の被害者に会いに行く約束はキャンセルすることしました。彼女も顔が出るのを嫌がっていたのです。顔がないインタビューばかりでは説得力のある映像になりません。キャンセルを伝えるためには、人を行かせないといけません。そう、電話がないのです。ニン・インは、アシスタントをつかまえて、16歳の女の子が言ったことを、そのまま吹き替えできそうな女優か誰かを見つけてくれないか、と伝えます。明日、ウェートレスがカメラ・テストに来ることになりました。

◆7月29日

撮影3日目。小さな労働市場を写したほうがいいのでしょうか? こじんまりしている分、混乱も多少は避けられるし、撮影も簡単です。でも、家政婦用の労働市場です。朝、一番大きな労働市場のマネージャーに会いに行きました。群集をどうにかしてくれる、とマネージャーは請け合ってくれます。インタビューをする人には代償としてお金を払うほうがいいだろう、とも。でも、お金は出すことができないので、タオル1本と石けんをお礼として差し上げることにしました。

 適役を見つける算段をつけますが、自分たちが今度は人身売買の斡旋者になった複雑な心境でした。フーさんは女の子を説得するのが得意で、彼女がビデオの目的を話すと、何人かがオーケーしてくれました。最初の数人が決まると、後は簡単。女性たちの側から話し上手なフーさんに近づいて来るのです。それぞれが経験話を持っているようでした。仕事探し、人身売買業者との遭遇…。文字が読めない女性たちは、警察に訴えることさえ難しいのだ、と言います。報告書を書かないといけないのではないか、と思い込んでいるのです。製作アシスタントのヒア・クイピンは、免責条項にサインをするよう、女性たちにお願いをします。

 30件のインタビューを終えたところで、ニン・インは撮影を止めます。クルーはもう疲れきっています。お昼を買って、ホテルに戻り、今日のビデオを見返します。新しい問題が持ち上がりました。カメラマンの背が高すぎたために、ニン・インが意図していた高さでインタビューが撮れていないのです。それに、背景の雑音がうるさすぎるのでした。内容は最高なのですが、撮り直しをしなければなりません。ニン・インはアシスタントを呼んで、カメラマンが座って撮影ができるよう、椅子を買ってくるよう指示します。ニン・インはほっとした顔で言います。「最初の数日は心配でした。自分には自信があるのに、いつもこうなの。でも、もう大丈夫。任せてちょうだい。うまく撮れる自信がついたわ」

 もう、あとは任せても大丈夫だ、と私は思いました。ニン・インも、これからは自分で解決策を見つけていくことができるでしょう。ビデオはきっといい出来になるはず。実践的でありながら、きっと感動的なものができるに違いありません。初めて都会に出て、仕事を探そうとしているこの国の女の子たちも、きっと出来上がったビデオを見て用心してくれるようになるでしょう。このチームの一員になることができて、なんて光栄なのでしょう!みんなでお祝いの夕食をとります。みんなが冗談を言っている中で、私の脳裏には、いつもあの16歳の女の子の姿が浮かんでいました。


2003年11月6日
ユニセフ北京事務所広報担当 三谷純子
(アシスタント・コミュニケーション・オフィサー)

寧瀛(ニン・イン)
1959年生まれ。1978年に北京電影学院録音科に入学、映画の世界へ。1981年奨学金を得てイタリア、ローマへ。イタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987)で助監督。1987年帰国、1990年に『有人偏偏愛上我』で監督デビュー。『北京好日』『スケッチ・オブ・北京』などの注目作がある。


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