メニューをスキップ
HOME > 世界の子どもたち > ストーリーを読む
財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

2003年4月16日

ウムカスルの病院:医薬品をさがし求める女性と子どもたち
<イラク>


午前10時。男性、女性、子ども、多くの人びとがウムカスル総合病院の中のあちこちで待ちつづけています。廊下は奇妙なほど静かで、何人もの人びとが、立ったり、座ったり、歩き回ったりして、医者と看護師、いや単に何でもいいから情報を探しています。アクラム・ヤセール医師は、すでに100人の患者を診ています。多くが母親に連れられた幼い子どもたちでした。今、ここには、たった2人の医師しか勤務していません。戦争が始まる前には、6人の医師がいましたが、この地域のいたるところで略奪が横行するようになってから、そのうちの4人は故郷に戻ってしまったのです。
5万人が暮らす土ぼこりの街ウムカスルは、イラク南部の状況をあらわす典型的な場所ではありません。多くの点で、ここはまだいい方なのです。ある意味でまだ安全の意識があります。特にイギリス軍によって略奪から守られているこの病院の中ではそうです。より北の地域やこの地域の中心都市であるバスラでは略奪がもっと見られます。ここでは、ユニセフの給水車や、主要な水道によって、給水も続けられています。しかし、必要とされている量にはほど遠い現状です。

1歳になるジャミラ・フセインちゃんは、ウムカスル総合病院に入院できることになりました。ジャミラちゃんは、暮らしていたバスラで戦闘がはじまる前に腎不全と診断されました。母親は略奪と治安の悪化のためにバスラで薬や支援を探すことができませんでした。ユニセフは、南部イラクのもっとも水を必要としているコミュニティに送った給水車に載せて、病院に追加の医薬品キットを送りました。ジャミラちゃんの母親(25歳)シハンさんは、この写真を撮る前に娘の服を着替えさせました。

多くの女性や子どもたちが30〜50kmも離れた街からはるばるやって来ています。ウィア・サラムさん(20歳)と彼女の生後6週間の娘ザーラちゃんにとってもバスラからここへ来ることが唯一の選択肢でした。「バスラの病院にたどり着いたとき、そこはすでに略奪者によってすべてを奪い去られた後でした。でも、ちょっとした薬までは略奪者も興味がないだろうと期待していたのです」夫のアデルさんに付き添われ、彼女はウムカスルの病院なら娘の下痢を治療してもらえるかもしれない、と知りました。

ザーラちゃんがもし特別な治療が必要で入院することになったら、きっと生後5ヶ月のバトゥール・アサドちゃんとその母親ハムディヤ・サラさん(27歳)と一緒に過ごすことになるでしょう。バトゥールちゃんの下痢は深刻で、点滴を受けなければならない状態です。しかし、摂取した水分もほとんどすべて、すぐに排出されてしまいます。

開戦前、5歳未満のイラクの子どもの半分が下痢にかかっていました。この数は、毎年この季節になると増えます。気温が上がり、子どもたちはより脱水症状に陥りやすくなるのです。ウムカスルでの状況が一過性のものであったとしても、下痢は、南部イラクにおいて、現時点で、もっとも子どもたちの命を脅かしているだろうと思われます。校の午前だけで、ナサル医師は、40人の下痢の子どもを診察しました。昨年に比べて、この数は驚くほど増えています。昨年は、病院全体で4月の1ヶ月間に6人の医師が治療した子どもの下痢症は30例だったのです。

当然のことながら主要な原因は水です。イラク南部には常に水の問題がありました。北部の地域よりも供給量が少なく、また質も平均より低いのです。戦争は、子どもの命を奪うこの病気の危険性をさらに高めています。いくつかの給水施設が被害を受け、人びとは基礎保健サービスへのアクセスもない状況でした。その上、略奪者が、彼らが頼っていたもの、そして病院の医薬品の在庫など残されたわずかなものまですべてを奪い去ってしまったのです。

初めてユニセフの給水車がウムカスル総合病院に到着したとき、給水車にはORS(経口補水塩)のパッケージが詰まった箱も積まれていました。病院の院長はドライバーにもっとも必要な53種類の薬のリストを手渡しました。2日後、もう1台の給水車が、基礎的な医薬品が含まれている保健キットを運んできました。このキットは、3ヶ月間1万人の人びとの保健のニーズを満たすことができるように考えられたものです。ユニセフの水と衛生担当官イスマエル・エル・アザーリとNGOノルウェー・チャーチ・エイドの働きにより、今、病院には2つの大きな給水タンク(ふくらますかたちのもの)が備えられ、給水車は毎日病院とコミュニティーに到着しています。

子どもを脅かしているもうひとつの危険が急性呼吸器感染症(ARI)です。ラミア・カヘムさん(26歳)は、気管支炎と下痢で苦しむ生後4ヶ月の娘ハイラちゃんを、25km離れたサフワンの街から連れてきました。「サフワンでは、ハイラのためにお医者さんができることは何もなかったのです。ウムカスルに行けばチャンスがあるかも、と言われ、すぐに出てきました。娘の容態が悪くなるのではと心配でした。この戦争と治安の悪さで、病院が通常のかたちに戻るには、まだ長い時間がかかると思います」とラミアは話しました 。

ラミア・カヘムさん(26歳)と4ヶ月の娘ハイラちゃん。ウィア・サラムさん(20歳)と夫アデルさん、生後6週間の娘ザーラちゃん。ウムカスル病院で処方を待っています。ラミアさんはサフワンから、ウィアさんはバスラからやって来ました。数えきれないほどの子どもたちと同じようにハイラちゃんとザーラちゃんは、気管支炎と下痢に苦しんでいます。ユニセフは病院にORSを届けました。

 

アクラム・ヤセールさん医師とラミアさん、ウィアさん一行。

 突然の薬の不足によって、ラミアは家を離れ、ウムカスルまで治療を求めて来なければなりませんでした。これは、普通ならサフワンでいつもの場所に立ち寄って薬をもらうだけですむところを、非常に危険な中を2日間もかけて移動しなければならなかったということです。気管支炎や下痢をそのまま放置すれば、特に乳幼児にとっては取り返しのつかない結果につながります。それは、ザーラちゃん、バトゥールちゃん、ハイラちゃん、こうした子どもたちが子どもの保健についてのぞっとするような統計—子どもの死の70%は下痢や呼吸器系疾患による—の一部となってしまう危険を意味しているのです。

子どもと女性たちは、ウムカスル総合病院で2人の医師のうちの一人に診てもらえる順番を辛抱強く待っています。彼らの多くは、危険にさらされ、極限の状況に置かれています。彼らの苦境は「基礎保健サービスの不足」が、戦時およびその後の何万人ものイラクの子どもたちの生死を左右するかを示す典型的な一例です。

ウムカスル、イラク南部
2003年4月13日(UNICEF)
広報官 マルク・ベルガラ

トップページへコーナートップへ戻る先頭に戻る