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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2004年4月9日掲載>

1人の孤児がもたらす希望
<モザンビーク>


 リスボア・アニバル・ジョン・ベックは、モザンビークに暮らす19歳の青年。自分の生まれ故郷ナマタンダで親を亡くした子どもたちが直面している問題について積極的に語ろうとするその姿からは、平穏な人生を歩んできた青年であるようにしか見えません。自信に満ち溢れた態度と親しみやすい性格からは、過去のトラウマが全く感じられないのです。

 「学校に通っていない孤児たちは、本当につらい思いをしているんです」とベックは言います。ベックの努力にも関わらず、今年は11人の孤児たちが学校に入ることができませんでした。「貧困証明書」を取得することによって、学費免除の資格を得ることはできましたが、学校は定員一杯で、彼らを受け入れる余裕がなかったのです。

 ベックはまた、孤児たちの出生登録を進めようとしています。ナマタンダでは、約113人の孤児たちの出生が登録されていません。そのため、たとえ親が亡くなったとしても遺産を相続する権利すらないのです。出生登録がなされれば、その他にもさまざまな権利が保証されるようになります。ベックはこうした孤児たちの出生登録を実現しようと、地元の議会に働きかけています。

 ベックのこれまでの活動の中で一番の成果は、80人の孤児たちにペンやノートブックを配れたことでした。その子たちは今も勉強を続けています。貧困証明書があれば、薬もただでもらえるようになります。今、ベックは11人の幼い子どもたちが予防接種をちゃんと受けているかどうかモニタリング調査をしています。これまでのところ問題はありません。

 教育や保健サービス、出生登録を受ける権利など、親をもたない子どもの権利が侵害されることのないよう、ユニセフは、モザンビークの15の地域で12万米ドルを投じたプロジェクトを行っています。ベックはこのプロジェクトで活動する39人のうちの1人です。それぞれが子どもの権利について1週間のトレーニングを受け、1台の自転車とおこづかいを支給されています。毎月のお給料は100万メティカ(約40USドル)。

 うだるように暑い日も、どしゃぶりの雨の日も、ベックは自転車に乗って町を走り続けています。ナマタンダの町のでこぼこ道を1日20km、週5日走り続け、両親や片親を亡くした142人の子どもたちの状況をモニタリングすることが彼の仕事なのです。

 ナマタンダのあるソファラ州は、モザンビークの中でも最もHIV/エイズの感染率が高い地域の1つです。成人人口の約25%がHIV/エイズに感染し、孤児の数が恐るべき速度で増え続けています。

 「ナマタンダは僕の故郷なんです。みんなが僕のことを知ってる」。ボロボロのスニーカーを履き、鮮やかなオレンジ色のTシャツとカーキ色のズボンを履いた、活発な青年、ベックの顔には、温かい微笑みが浮かんでいます。

 インタビューの当日、ベックは木陰に座って、7人の孤児とおしゃべりをしていました。7人の子どもたちに初めて会ったのは、12月15日のこと。子どもたちの父親が亡くなり、母親もひどく体調を崩していた頃でした。一番下の子は、まだ4歳にしかなりません。

 「お母さんは1月6日に死んでしまったの」 長女のマーガレット・フォアはうつむきながらそう話しました。ですが、ベックの話題になるとフォアは顔を上げました。「ベックが来てくれるのがうれしくて」。フォアは現在、6人の兄弟と3歳になる一人娘ロサと一緒に暮らしています。「この子のお父さんももういないのよ」

 「一度学校をやめてしまった弟や妹たちを、ベックはもう一度通えるようにしてくれたんです。学用品まで揃えてくれて」「ベックは定期的に私たちを訪ねてくれて、いつも本当に親切に接してくれます」

 ベックがこうした活動に携わるようになったのは、自分自身の悲惨な体験があったからです。彼自身、両親がいません。父親はベックが11歳のときに倒れ、13歳のときに亡くなりました。その2年後には、母親も亡くなりました。「2人とも、ずっと長い間体調を崩していたんです。結核にかかって、ひどい咳をして。他にもいろいろな症状がありました。2人は何も言わなかったけど、両親ともHIVに感染していたんだと思います」

 「両親が家のことを何もできなくなってからは、僕と妹が家を切り盛りしてきました。水を汲んだり掃除をしたり、それに食事の準備も。両親から採血したり検査用の標本を採って、検査のために病院に送ったりもしました」

 「ある日、お母さんが僕を呼んで言ったんです。『私はもうすぐ死んでしまう。これからはお前が兄弟の面倒を見てあげてね』って」弟は当時7歳でした。母親はその後すぐに亡くなりました。「外で遊んでいたら姉が僕のことを呼んだんです。家に戻ったらお母さんの周りに家族が集まっていて。お母さんはもう動かなくなってた。でも僕のことに気づいたとき、お母さんは手を伸ばして僕の手を握ってくれた。そして死んでいったんです。信じられなかった。逃げ出さずにはいられませんでした。だから、ただみんなの前から走って逃げたんだ」

 6年生だったベックは、母親の死後、学校をやめて、弟と一緒におばさんのもとで暮らすようになりました。

 ですが、ベックを待ち受けていた運命はさらに過酷なものでした。昨年8月に献血をしたとき、こんどは彼自身がHIV/エイズに感染していることが分かったのです。18歳でした。「エイズなんて、本当は存在しないものだと思ってた。両親がエイズで死んだなんて知らなかったんだ」「ガールフレンドがいたけど、一度もコンドームを使ったことはなかったんです」

 「あまりにもショックで、家の中に3ヶ月間とじこもって、何もしませんでした」

 やがて彼は、今の状態から抜け出さなければならないと思うようになりました。カウンセリングを受けた後、HIV/エイズとともに生きる人々の集まる非営利組織、クルピラに参加した彼は、そこで親を亡くした孤児のための活動をはじめるようになったのです。

 「仕事は大変だけど、やりがいがあります。でも親のいない子どもたちのためにもっとたくさんのことをしたいんです」とベックは言います。「僕の人生は変わった。だから、彼らの人生も変えてあげたい。今は働いて得たお金で、夜間学校に通ってるんです。将来は医者になりたい。夢は、あきらめなければ必ず叶うものだから」

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