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《2003年2月12日掲載》
裏切られた子ども時代 <スリランカ>17歳のニサンサラは同年齢の若者と少しも変わるところがありません。夢をいっぱい抱いて、何にも悩まされることなく、のびのびと生きていきたいと思っているのです。でも、実際は、重い責任を背負わされ、とてもそれどころではありません。ほかの女の子たちが十代の日常と学校生活を思い切り楽しんでいるというのに、ニサンサラはトタン屋根と板張りでできた粗末な家の中で、マニーシャの面倒を見て過ごしているのです。マニーシャはニサンサラの子どもです。3歳になります。彼女を産んでからというもの、彼女に食べさせるもの、着せるものなど、必要なものを調達するのでさえ大変な状態です。 母親は子どもにとってのお手本で、一番大切な存在です。でも、ニサンサラの母親はお手本にはなりませんでした。なったとしたら悪い見本です。ニサンサラが苦しい生活を余儀なくされたのは母親のせいなのです。母親の愛人がニサンサラに性的暴力をふるい始めたのは彼女が11歳のときでした。母親に促されるように愛人はニサンサラに性的暴力をふるい続け、ついに彼女を妊娠させてしまったのです。まだ思春期も迎えていない頃でした。 人形と遊んでいたい年頃に、ニサンサラは母親としての義務を果たさなければならなくなってしまったのです。彼女自身がまだ子どもですから、母乳など出るわけがありません。 17歳になった今も、ニサンサラにとって人生は苦闘の連続です。せめてもの救いは、母親もその愛人も刑務所に送られたということでしょうか。それでも、ありあわせのもので生活していくのは苦しく、毎日が必死です。 性的暴力は、たいていの場合、家庭の中でおきます。だからこそ発覚しにくいのです。しかし、子どもの権利についてみんなが知るようになり、ユニセフのメディア・キャンペーンによりホットライン 444444 (性的搾取を訴える電話)が設置されたことが知らされ、警察にも子どもへの暴力に対する担当デスクができたことで、子ども自身が実情を訴え始めています。 2000年最後の四半期に、警察の「女性と子ども問題局」は、子どもへの暴力に関するものだけでも247本の電話を受けました。そのほか、性的・身体的暴力、レイプ、近親相姦、児童労働の事例もありました。しかし、これとて氷山の一角に過ぎません。
ニサンサラの場合、最初のうちは、性的暴力を受けた子どもとして、近所の人たちや村人たちの噂に耐えなければなりませんでした。協力者や理解者はおらず、彼女が通りすぎるだけでみんながひそひそ話をし、侮蔑の言葉をあびせられたり、ひどい噂を広められたりしたのです。 こうした状況に耐えて、今、ニサンサラは父親チャンドラダサ(42歳)と住んでいます。父親はニサンサラを始め、妹弟たちの経済的な面倒を見ています。大工仕事をしたり、そのほかの雑用をしてお金を稼いでいますが、定職はなく、何日も何カ月もお金が入らない状態が続いたりします。 海岸地帯に住んでいる人びとの生計の糧は、主に大工仕事、農業、漁業です。でも、父親の稼ぎが少ないので、今、ニサンサラは裁縫を学んでいます。習得すれば少しは生計の足しになる仕事ができるのではないかと思ったからです。娘を養子に出したりするようなことはしたくありません。一緒にいられるように、子どもを預かってくれる施設を見つけるのはとても大変です。 3歳になるマニーシャの遊び相手は、ニサンサラの妹弟、そしてニサンサラのお父さんチャンドラダサだけです。そのためマニーシャは、チャンドラダサのことをみんなと同じように「Thathi (お父さん)」と呼びます。 ニサンサラのような子どもたちが、性的搾取や暴力にあうのは、家族やコミュニティの理解不足、受身で見てみぬふりをする態度によります。だからこそ、ユニセフは、暴力や搾取の事例が多い海岸地帯を中心に、理解促進のための支援プログラムを展開しています。このプログラムが対象としているのは、アルコール中毒、栄養、環境、衛生、子どもへの暴力など幅広い問題です。
ニサンサラにとって、解決しなければならない問題は山のようにあります。娘のマニーシャは、周囲の苦しみをよそに、自分の名前を発しては無邪気に笑っています。この子の未来はどのようなものになるのでしょうか?
スリランカ:コロンボ 1月31日発
ユニセフ コロンボ事務所 |