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財団法人日本ユニセフ協会



ハイチ地震緊急・復興支援募金 第8報
遺体の中で、助けを求めることも出来ない子どもたち
ユニセフ広報官の報告

【2010年1月19日 ハイチ・ポルトープランス発】

1月13日に現地入りしたユニセフ広報官タマール・ハーンが、18日、被災地の様子を次のように伝えてきました。

切断された手足や遺体の中で、助けを求めることも出来ない子どもたち
© UNICEF/NYHQ2010-0029/LeMoyne
ポルトープランスの病院で地震で負傷した子どもの様子を見る看護師。

「今朝、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の物流拠点に設置された仮設病院を訪ねました。2つの巨大なテントでつくられたこの病院は、地震で傷ついたハイチの人たちで埋め尽くされています。状況は悲惨そのものです。医師にも患者にも必要な食糧と水はほとんどなく、トイレもないため、尿や排泄物が病院のテントの裏に捨てられています。さらに、治療で切断された手足がゴミの山と化しています。」

「ここには遺体安置所もありません。遺体もテントの脇に山積みにされています。今日、手術室が設置され、主に手足を切断する手術をしています。というのも、多くの犠牲者が地震によって砕かれた手足の傷に苦しみ、さらにその傷から病気に感染し、生命を脅かしているからです。今のところ、病院には、この他の手術をする余裕はありません。あらゆる医療物資が不足しています。」

「患者たちのささやき声や痛みから出る悲鳴の中、5人の子どもたちが折りたたみ式ベッドに横たわっています。周囲には、子どもたちに食べ物を与えたり、身体を拭いてくれたり、手を握ってくれる人は誰もいません。脳性マヒの2歳の女の子が運び込まれました。女の子は、地震でショックを受け、脱水状態で病院に担ぎ込まれました。今、彼女は、ベッドに横たわってひとりで泣いています。女の子には目立った傷はないため家に帰ることもできますが、足についていた小さな紙切れには「女の赤ちゃん」とだけ書かれ、誰も女の子の名前を知らず、家族の居場所も分かりません。」

「7歳のショーンちゃんも同じような状況です。ショーンちゃんは病院に入ってから、ひざを抱えたまま12時間もの間、両親の名前を叫び続けました。彼がほんの少し発した言葉から、看護師は、彼は両親が亡くなるのを目撃したことを察しました。ショーンちゃんの身体にはいくつか擦り傷がありましたが、歩き回って他の患者に話しかけていました。しかし医者は、ショーンちゃんがこれからどこへ行けばいいのか、誰が彼の世話をするのか分からぬまま退院させるのをためっています。」

「ポルトープランスの病院や路上には、飲料水も食糧も手に入れられず、暴力や虐待を受ける高いリスクを負っている子どもたちが、他にも何百・何千といます。たとえ身体的に傷ついていなくても、子どもたちは精神的なトラウマに苦しみ、その傷は一生消えることがありません。栄養不良や病気、性的搾取、人身売買の危機にさらされているのです。」

ユニセフは、ショーンちゃんや名前の分からない「女の赤ちゃん」のような子どもたち200人を一時的に保護する場所として、これまでに2箇所の避難所を確保しました。この避難所で子どもたちに「安心できる空間」を提供し、彼らの最も差し迫ったニーズに対応しながら、ユニセフは、他の支援団体と協力して子どもたちの家族の行方を捜します。子どもたちが、万一家族の元に戻れない場合は、代替となる手段を見つけることになります。

ユニセフの給水活動が始まりました
© UNICEF/NYHQ2010-0031/LeMoyne
ハイチの首相官邸で被災者の話を聞くユニセフのタマール・ハーン広報官。

「昨日から、被災地で飲料水の配布も始まりました。ハイチの人々は、もはや自宅で眠りにつくことはできません。地震で倒壊した家の住民たちは道路に出て、まだ使える布を繋いでテントを作って生活しています。市内にいくつかある公園には、人々が溢れています。首相官邸の大きな前庭も、キャンプ場と化しました。」

「コンクリートの破片だらけの路上には、そうした場所を確保できなかった人々が溢れています。人々は、地べたにそのまま横になって寝ています。」

「道路上で裸になって身体を洗っている女性もいました。トイレがないので、歩道で用を足さなければなりません。大量のゴミが、収集されないまま町の至る所に積み上げられています。ポルトープランスに夜がやってくると、折り重なるようにぎゅうぎゅうになって暮らしているこうした数千人の人々は、完全な闇の中に包まれます。」

首相官邸では、5000リットルの飲料水が、ユニセフが提供した仮設水タンクで配布されていました。この水タンク1基で、1,000人の人々の1日のニーズを満たすことができます。この仮設給水タンクのすぐ後ろ側では、米国国際開発庁によって配布されている衛生キットを受け取る長い列ができていました。人々は、辛抱強く順番を待っていました。

「4人の小さな女の子たちが、私に近づいてきました。様子を尋ねると、笑顔で『大丈夫だよ』と答えてくれました。すると、近くでそのやりとりを聞いていた17歳のスタニアさんは、『大丈夫?大丈夫ってどういうこと?』『大丈夫なんかじゃないわ。恐ろしい状況よ。もう、こんなの耐えられない。』と彼女は訴えました。」

生き埋めになっている夫から「生きている」と携帯メール

「支援が人々に届き始めています。でも、人々が置かれている状況は想像を絶するほど深刻です。全壊したユニセフ・ハイチ事務所の代わりに仮設で急遽設置されたユニセフの活動拠点基地に戻ると、ハイチ出身の運転手の一人のご子息が地震で負傷し、亡くなったという知らせを受けました。彼の3番目の子どもでした。彼の娘さんともう一人の息子さんは、地震で自宅が倒壊した際、命を落としました。」

「地震の悲劇は、ハイチの人々だけに留まりません。現地で活動していたユニセフの職員全員も今回の地震に巻き込まれました。その日着ていた衣服以外の所持品を全て失った職員も少なくありません。全員が疲れ果て、地震のショックを拭いきれていません。一人で居ることが怖くなったり、いまだに毎日のように起こっている余震に神経質になっています。倒壊した国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の事務所の瓦礫の中に5日間閉じ込められていた教育事業担当の職員は、未だに瓦礫の中に埋まっている夫の救出を待っています。夫からは、『生きている』という携帯メールが送られてきましたが、まだ救出されていません。」