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財団法人日本ユニセフ協会



ハイチ地震緊急・復興支援募金 第36報
地震が奪ったもう一つの命綱

【2010年3月2日 ハイチ・ポルトープランス発】

© UNICEF Haiti/2010/Valcarcel
ポルトープランスの避難所のテントの中で、ユニセフのミミ・トリビエHIV/エイズ担当官と一緒に座るジーンさん(仮名)。

ジーンさん(仮名)は、ハイチの首都ポルトープランスに設置された臨時避難所のテントの中に敷かれたマットレスの上に座っています。テントのビニールの壁の隙間から午後の日差しが差し込む中、ジーンさんは話し始めました。

ジーンさんは28歳。HIVと共に生きています。現在妊娠6ヵ月です。1月12日、壊滅的な地震がハイチを襲ったその日、ジーンさんは市場から自宅に戻る途中でした。地震が発生したとき、一番に考えたことはお腹の赤ちゃんのことでした。お腹の赤ちゃんを守るため、落ちてきた瓦礫を避けようとした際指を骨折しました。ジーンさんは、この地震で父親や夫、そして、かつて彼女の身の回りにあった全てのものを失いました。しかし、ジーンさんの赤ちゃんは無事でした。

「赤ちゃんの名前を考えていますか?」と、ジーンさんに尋ねました。

「いいえ。考えることができません。地震の後、そういったことを考える余裕がありませんでした。今でも気が動転して、頭が混乱しているんです。」(ジーンさん)

地震に奪われた命綱
© UNICEF Haiti/2010/Valcarcel
ハイチに設置されたユニセフの臨時事務所となっているテントの前に立つ、ユニセフのミミ・トリビエHIV/エイズ担当官(右)と、報道機関への対応などのために応援に駆けつけたスペインのユニセフ国内委員会のダイアナ・ヴァルカーセル(左)。

地震でジーンさんの自宅が崩壊したため、抗レトロウイルス薬(ARV)による治療も受けることができなくなりました。地震発生から数日後、ジーンさんはなんとか保健所で薬を手に入れることができました。HIV母子感染を防ぐための治療も受けています。しかし、抗レトロウイルス薬(ARV)治療が中断してしまったことは、HIVと共に生きる妊婦さんたちにとって不安の種でした。

ジーンさんがHIV陽性と診断されたのは、2006年6月のこと。ジーンさんは、ユニセフが支援している地元NGOの活動を通じて、抗レトロウイルス薬(ARV)治療の存在を知りました。そして、ジーンさんのプライバシーが厳守される民間の保健センターで、治療を受けるようになりました。

仕事を失った今、ジーンさんには、民間の保健センターで治療を受ける余裕はありません。かと言って、ポルトープランス総合病院で治療を受けると、HIV陽性であることが周囲に知られてしまうのではないかと恐れているのです。

ハイチ保健省によると、ハイチでは、12万人の人々がHIVと共に生きています。そのうち、約6万3,000人が女性で、7000人が妊婦、8,500人が子どもです。若者のHIV感染率は驚くほど高く、特に若い女の子の感染率は、男の子の2倍にも達しています。

HIV感染の予防

ユニセフは、2006年から地元NGOと協力し、ハイチの中央高原地帯でPMTCT(母子感染予防)活動を展開し、これまでに、2,000人以上の女性がその恩恵を受けました。ユニセフはまた、首都ポルトープランスで、この国最大の規模でHIV/エイズの外来診療を行っている病院で、乳児から若者を対象にしたHIV/エイズの診断、予防、治療活動を支援してきました。

この国の人々が大地震で多くのものを失った今、ユニセフは、HIVと共に生きる人々が、医療的なケアを受け、抗レトロウイルス薬(ARV)を処方され、治療が中断されることのないよう活動しています。特に農村地域に焦点をおいたPMTCT(母子感染予防)活動を拡大するため、保健省を継続して支援していく予定です。また、地元NGOと協力して、若者向けのHIV予防活動も積極的に支援し続けていきます。

今年5月、ジーンさんは、新たな家族となる赤ちゃんを出産する予定です。ジーンさんは、自らのために、そして赤ちゃんのために非常に重要な抗レトロウイルス薬(ARV)治療が受け続けられることを願っています。