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財団法人日本ユニセフ協会



ハイチ地震緊急・復興支援募金 第47報
子どもたちの希望をつなぐ学校−ジュディスさんの場合

【2010年5月14日 ハイチ発】

© UNICEF/2010/Van den Brule
授業を受けるジュディスさん。ユニセフの支援で、ポルトープランスの多くの学校が授業を再開しました。

ジュディスさん(15歳)は、4ヵ月前、ハイチを襲った破壊的な地震で母親を失いました。今、ジュディスさんはじめ多くの子どもたちは、ユニセフの支援で活動を再開した学校に通い、悲しみを乗り越えるために、お互いを支えあっています。

ジュディスさんが震災の経験と、将来への希望について自分の言葉で語ってくれました。

「その日、ランベール校長先生は、私たちを早く帰宅させました。私は、普段はよく放課後に、校庭のゴミを集める手伝いをしていましたが、その日は、ランベール校長先生が聞いた話によると、私たちの学校からそれほど遠くないところで、大学の先生が亡くなり、暴動が起きる心配があるということでした。ランベール先生は、私たちに、早く家に帰るように、そして、町でうろうろしないようにと私たちに言い聞かせました。」

「家までは、歩いて約35分掛かりました。焼けるような暑さで、背中にブラウスがくっついていました。すると突然、私たちは真っ白になってしまいました。頭からつま先まで埃まみれになりました。何が起きているのか信じられませんでした。」

崩れ去った私の世界

「その瞬間、何もかもが変わってしまいました。家で留守番をしていたお母さんは、瓦礫の下敷きとなって足を骨折し、身動きが取れなくなりました。私の家族は、必死に瓦礫をどかそうとしましたが、重すぎてなかなか持ち上げることができませんでした。その夜、お母さんは息を引き取りました。」

「町をさまよった後、私たち家族は、女性たちの泣き声を聞きながら、街の角で身を寄せ合って夜を明かしました。」

「住む家も、お母さんも失ってしまいました。私が“頼り”にしてきた2つの“場所”が無くなってしまいました。私の人生が崩れ去ってしまいました。数日から数週間の間、私はずっと泣いていました。時々お母さんの声が聞こえてきました。夢にも出てきました。」

「地震の後、私たちは、数週間レカイの農村部で過ごしました。お母さんにすごく会いたかったです。お母さんは、もう私のそばにいませんが、それでも私に次に進むための力を与えてくれました。今も、テレビの前に座っていたり、音楽番組を一緒に見たりした私の思い出の中で、お母さんは生き続けています。お母さんは、私がいつか世界が注目する才能を発揮するよと、言っていました。お母さんの夢を叶えてあげたいです。」

生きる意味
© UNICEF/2010/Van den Brule
宿題をするジュディスさん(15歳)。ハイチのポルトープランスでユニセフの支援で活動を再開した学校に通い始めました。

「ポルトープランスに戻ってから、家族8人で小さな部屋で暮らしています。お父さんとお兄さんは床で寝て、お姉さんと従兄弟と私は、ふたつのベッドで一緒に寝ています。雨が降ると、雨よけのビニール袋では雨を防ぎきることができず、この部屋はプールのようになってしまいます。」

「今は、毎日2時間、往復6キロの道のりを、歩いて学校に通わなければなりません。疲れますが、勉強を続けなければならないことは分かっています。時々、やめてしまいたいと思うこともありますが、小さな声が聞こえてきて、学校を続けるように言ってくるんです。お母さんのために、そして、私自身の将来のために、学校に通っています。これが、私の生きている意味です。」

「学校が大好きです。学校にはたくさんの友だちがいます。私は、毎日音楽を勉強しています。聖歌隊の一員なので、歌を歌うという夢が実現できる場所でもあります。最近、地震を題材にした歌を作曲しました。」

お互いに助け合わなければなりません
© UNICEF/2010/Van den Brule
ユニセフが提供した学校用品に囲まれて、ランベール先生と話すジュディスさん(15歳)。「ランベール先生は、特別な人です。様々な経験をしてきた方で、笑顔をいつも絶やしません。」

「学校は私を楽しい気持ちにさせてくれる場所ですが、多くの友人を亡くしたところでもあります。地震前、7年生は74名いましたが、今はわずか32名です。多くの友人たちが、地方やアメリカ、カナダに移りました。ランベール校長先生は、お母さんを失った私の良き相談相手となってくれています。ランベール先生は、私が学校に来る前に何も食べていないことまで、心配してくれます。」

「毎週金曜日、ランベール先生は、私たちを集めて集会を開き、震災についての経験や気持ちを共有する場を用意してくれています。そこで私は、お母さんのことを話しました。今、松葉杖をついて歩いているクラスメートの一人は、彼女のお祖母ちゃんがどのようにして彼女の目の前で、彼女の手を握り締めながら息を引き取ったのか話してくれました。」

「この集会が、私たちが、みんな一緒になってこの厳しい状況を生き抜くことを助けてくれています。お互いに助け合わなければならないことを学びました。他に方法はありません。人生で求めるものを手に入れるために、私たちは、がんばらなければならないのです。」