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財団法人日本ユニセフ協会



ついに学校に戻った子どもたち

 【2006年10月16日 レバノン、アンサリエ発】

© UNICEF Lebanon/2006/Debbas
数百もの学校を損壊させたヒズボラとイスラエルの紛争が終わってから、初めて教室に戻った子どもたち。

「紛争中は、とても怖かった。」と、10歳のファティマ・アッバスは話します。「毎日、もう死ぬかもしれないと思っていました。爆撃はひどく、もう普通の生活に戻ることはできないと思っていました。」

レバノンで34日間続いた紛争は、8月14日に停戦を迎えましたが、1,200人近くが命を落とし、インフラに多大なダメージを与えただけでなく、レバノンの人々に精神的な苦痛を与えました。子どもたちもその例外ではありません。しかし今、ファティマや彼女の同級生は、まだ爆撃の爪あとが残るものの授業を再開した、レバノン南部のアンサリエ公立学校に戻ってきたことで、少しずつ気持ちの変化を感じています。

「学校に戻ると、普通の生活を取り戻せる日はきっと来ると思えるんです。」と、ファティマは言います。「学校で友達と一緒に勉強できるようになって、本当にうれしいです。」

復興へのあゆみ

© UNICEF Lebanon/2006/Debbas
紛争によって受けた被害を目の当たりにする幼い女の子。アンサリエ公立学校にて。

今日多くの地域での学校が再開したことは、レバノンの子どもとその家族にとって復興に向けた大きな一歩となりました。

「私達は、モハメドを今年学校に通わせることはできないのではないかと心配していました。」ティールに住むマリワ・ムグニエは、息子のモハメドについてこのように話しました。「でも、モハメドは学校に通えるようになり、本当に安心しました。」

政府の調査によれば、紛争中40〜50校もの学校が完全に破壊され、300近い学校が一部破損の状態になりました。倒壊を免れた学校のうちいくつかは、プレハブの教室が届くまでの間、校舎の中でもより安全な場所で子どもたちのための活動や授業を続けていくことになっています。

紛争によって、多くの子どもたちが慣れ親しんだ学校に通えなくなっただけでなく、人々は精神的にも苦しめられました。紛争の死者の3分の1、避難民の約半数が未成年であったことを考えると、このような精神面でのダメージは特に子どもたちの間で深刻だといえます。

「この前、雨が降ってきて、雷が鳴ったんだ。とっても怖かった。」と、11歳のザイナブ・ハッサンはいいます。「また爆撃が始まったんじゃないかと思ったんだ。」

「希望が見えた日」

© UNICEF Lebanon/2006/Debbas
子どもたちが待ちわびていた学校の再開に立ち会うため、レバノン南部のマーラケ公立学校を訪問したユニセフレバノン代表のロバート・ローレンティ。

教育を紛争後のレバノン復興の中心に置いた上で、ユニセフはレバノンの人々、特に教育省と緊密に連携し、学校の再開に向けて活動してきました。

既に配布が完了した南部や東部のベカ峡地域を含め、レバノン全国で子どもたちに通学カバン40万個を提供した他、ユニセフは、公立校に計7,000セットの「スクール・イン・ア・ボックス」キットを配布しました。このキットひとつには、1教室分の授業をするのには充分な、学用品や教材が詰っています。

ユニセフは、子ども達が心に受けた傷を癒すための支援のほか、不発弾の危険についての知識を広める活動をすすめています。教師達は、地雷の危険について教えるための技術や、紛争を経験した子どもたちがいるクラスの指導の仕方について学ぶ研修を受けています。

「学校に戻ることができてうれしいです。ここにいると少し安心します。」と、16歳のヨセフ・ムスタファはいいます。ヨセフはティール近郊のマーラケにある学校に通っています。

アンサリエで行われた開校式に参加したユニセフ・レバノン事務所代表、ロバート・ローレンティはスピーチの最後にこう付け加えました。「今日は、復興への希望が見えた日です。学校は子どもたちに精神的な安らぎを与え、紛争の経験を乗り越える力を与えるのです。」