もし学校がなかったら…

「先生、この席、黒板が反射してなんにも見えへん」
「先生、机といすが小さすぎるっちゅうねん。大きいのと交換してや!」
「ええーっ、何で大雨洪水警報やと学校休みにならへんの?」
「あっつー! 汗がとまらん。センセ、もう授業やめよ。」
「センセ、学校おもろないわ。何で子どもは勉強せなあかんの?」

私が大阪市で先生をしていたころによく聞いた生徒たちの文句。みなさんもおんなじことをいったこと、ありませんか?一方で子どもたちのうれしそうな声もよく覚えています。

「今日社会の授業でな、高橋君がむっちゃおもろいことゆうて、みんなアホほど笑ってんで」
「なあ先生、明日調理実習するねんで!先生にも何かおいしいもの持って来たげる」
「なあなあ!今日バスケで1組に勝ってんで!」
「どうしよー、合唱コンクール緊張するぅー、なあみんな、全員残ってもう一回練習しようや」

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みなさんが知っているように、世界には学校に行きたくても行けない子どもたちがたくさんいます。 もしあなたがその一人だったら、どんな気持ちでしょう。先生に文句を言うことも、友達と遊んだりケンカしたり、好きな子に近づいてドキドキすることもなく、みんなで協力してなにかの活動をすることもなく、他のクラスと競争したりすることもない。誰もが1つや2つは必ず持っている学校の思い出がまったくなかったら…。

もし学校がなかったら…。

私が働いている国、エクアドルには地域に学校がないところや、10年以上前に学校が閉鎖したまま開いていないところがたくさんあります。そういう地域の子どもたちは学校に行きたくても行けません。 

もし学校に何もなかったら…。

学校があるところでも、子どもたちは教科書ももっていないし、机もいすもぼろぼろで、触るとトゲがいっぱい手に刺さるような状態です。昼間も教室は真っ暗。でも子どもたちは文句も言わずみんなで教科書を回し読みしながら勉強しています。 先生は1年生から6年生までを全部一人で教えているので大忙し。みんなの質問をゆっくり聞くことができません。大雨が降ると学校が水につかってしまい、また子どもたちは丸太を掘った小さなカヌーを自分たちでこいで学校へやって来るため雨が降って川の水かさが増すと自分たちの力では学校へ行けなくなります。

もし学校に行かせてもらえなかったら…。

みなさんもよく知っているように、世界には学校へ行きたくても行けず、ガムやアメを売り歩いたり、靴磨きなどをして家族のためにお金を稼いでいる子どもたちがたくさんいます。 大人たちは、自分たちは貧乏なんだから、子どもたちが学校へ行けないのは仕方がないことだと思っています。また「学校なんて生きていくのに役に立たないから行かなくていい」と思ってる子どもの親たちや働く子どもたちもたくさんいます。

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私が働く国では、子どものころに教育を受けなかったために、字が読めず、簡単な計算もきちんとできない大人がたくさんいます。

字が読めないってどんなことか、想像できますか? 字が読めないと、世の中で何が起こっているか新聞を読むことも、お店の看板や交通情報の看板を読むことも、イベントやお祭りや大事な村の会議の情報やお金などに関する役立つなども読むことができません。

想像してみてください。 あなたが朝起きたら、家の外がアラブの国だったら…。何を見ても何がなんだかわからない。いちいち人に聞かなくてはいけない。聞いた人が悪い人で、あなたをだまそうとしても、その情報を読んで確かめることができない。 

今学校へ行けていない子どもたちの将来は? 字が読めず、計算もできず、分からないことがいっぱいの世の中を恐れ、誰かにだまされ、また教育がないのできちんとした仕事につけず、道端でくつ磨きの仕事などを続ける…。そんな彼らも結婚し子どもができて…。

学校がなかったら、学校に行かせてもらえなかったら、貧乏だったら、学校が生きていくのに役に立たないと感じたら、学校に行かなくていいのでしょうか? 私たちにできることは?

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