世界約190の国や地域で活動するユニセフ。
どんな活動をしているのかな?ユニセフについて調べてみよう!
ユニセフ誕生物語
どのような組織や団体もそれをつくるための理由や背景があり、つくる人の熱意があってはじめてたちあがります。ユニセフはどのような人びとが、どのようにしてつくったのでしょう。そして、その思いはわたしたちにどのようなメッセージをおくっているのでしょうか。ユニセフ誕生の物語をご紹介します。
UNRRA(アンラ)からUNICEFへ
まだ第2次世界大戦終結の見込みがまったくなかった1941年~42年、イギリス首相のウィンストン・チャーチルとアメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが中心となって、“国際連合”という言葉がうまれました。しかしこの時、この呼び名はまだ、アメリカとソ連邦とイギリスの連合を示すだけの言葉でした。戦争が長期化し被害が拡大する中、“国際連合”は、大戦のために飢えや病気で苦しんでいるヨーロッパの子どもたちを助けるためにUNRRA(the United Nations Relief and Rehabilitation Administration - 国際連合救済復興機関)を作ろうと計画し、1943年11月9日、当時連合国側にいた44カ国が加盟して立ちあげられました。
設立後のUNRRAは多くの活動の場を得ます。当時、子どもたちは、戦争の最大の被害者となり、傷つき、飢えに苦しみ、親を失い、体力低下のためにあらゆる病気にかかっていました。終戦後の1945年~46年にかけてUNRRAはその活動の最盛期をむかえます。1万5千人の国際スタッフと3万5千人の国内スタッフを動員し、40億ドルの資金をつぎ込んで、農業復興、医療支援、教育支援、難民保護、子どもの支援といった活動を、特に東ヨーロッパを中心に、中国、フィリピン、エチオピアなど25カ国において実施したのです。
UNRRAはその活動資金のほとんどを米国にたよる機関でしたが、純粋に国際的協力機関としてつくられたものでした。このため、支援を受ける国もできる範囲で余っている食糧や物資を供出するという原則がありました。こうした資金などの拠出の仕組みは、国際的人道支援というこれまでになかったシステムを提示するものだったのです。
ところが1946年になると米ソの対立と東西冷戦のはじまりが各国の間に溝を生じさせ、UNRRAの前途に暗雲が立ち込めてきました。米国議会はUNRRAのスタッフの管理ミスや援助を受ける側の政府の役人の姿勢について批判を繰り返していました。その背景には、援助をするのは米国や西ヨーロッパの諸国で、援助を受けていた国の多くが東ヨーロッパを中心とした東側の諸国であるという事情がありました。米国はUNRRAの支援は東側を利するもの、と考えたのです。東西冷戦の影響下で、米国という最大の拠出国の反発にあい、UNRRAの活動は1946年末をもって幕をおろす結果となってしまいました。
そうした事態の中で、せめて子どもたちだけにでも支援を続けられないかと考えたのがハーバート・フーバー前米国大統領でした。トルーマン大統領の指示を受けて、1946年ヨーロッパを視察したフーバーは、2000万人の子どもたちが栄養不良におちいっている上に、結核、くる病、貧血などに苦しんでいる状況に大きな衝撃を受けました。フーバーは、ヨーロッパを救い、そのたて直しを行うのだとすれば、まず子どもたちに援助の手を差し伸べねばならない、と世界にうったえました。
もうひとり、同じように考えた人がいました。当時ポーランドのUNRRA代表を務めていたルドウィク・ラフマンです。世界でもトップクラスの公衆衛生専門家だったラフマンは、UNRRAの解体が決まり、最後の会議が開かれたとき、子どもたちに対する食糧・医療援助は国連で続けなければならない、とうったえ、活動を継続するための新しい国連機関をつくることを提案しました。この提案はユニセフの原形となり、この功績からラフマンはユニセフの創設者とみなされています。
だれがこの新しい機関の代表になるべきか、ラフマンはある考えを持っていました。東西冷戦の政治状況の中でどのような国際機関もその影響を受けざるを得ない、そのことはUNRRAの例を見ても明らかでした。だから、代表には米国および西ヨーロッパから反対を受けない人を選ぶ、特に米国人から選ぶ、ということが最良の方法のように思われたのです。特に国連に対して批判的であった米国共和党の支持を得られる人材が適任との判断から、フーバーの下でヨーロッパでの援助活動で手腕を振るったモーリス・ペイトを推薦し、合意を取りつけました。
こうした地道な政治的努力が実り、1946年12月11日、国連総会の第1回会合において、UNRRAの残余資金とスタッフを引きつぐかたちでユニセフ(the United Nations International Children’s Emergency Fund- 国際連合国際児童緊急基金)の設立が満場一致で採択されました。事務局長に就任したペイトは、救援物資をどこに送るかはユニセフが独自の判断で決定することを条件としました。つまり、どの国の干渉も受けずにもっとも支援を必要としている子どもに支援を届けることを約束したのです。また、設立に際して" Emergency -緊急"の名前が大きなポイントとなりました。当初、ユニセフは、緊急的な活動を一定期間(3年間)実施する目的で設立された一時的な機関だったのです。
「ヨーロッパと中国の子どもたちは、ここ数年間の悲惨な年月の中で、食料を奪われてきただけではない。かれらは常に恐怖の中で暮らし、一般市民の虐殺を目撃し、科学戦争におびえ、社会的品行がますます悪化する状況にさらされてきた。国連が直面している緊急の問題はこれらの子どもたちの生存をどう確保するかということである。世界の希望は次の世代に託されているのだから、子どもたちのケアの問題は国際的な視点から取り組まれなければならない。そしてその解決策も国際的な基盤に基づいたものでなければならない。」
国際連合国際児童緊急基金の設立
国際連合総会第3委員会報告
1946年12月9日
現在のユニセフへ
予定された活動期間の終わりが近づいた1950年、UNRRAの終えんと同じような状況があらわれました。1950年10月6日、国連の会議で米国の国連代表であったエレノア・ルーズベルト元大統領夫人は「ユニセフはすでに任務を終えた」として、資金の拠出を停止したいとの考えを表明したのです。これに対し、パキスタンの国連大使で、会議の副議長をしていたアハメド・シャー・ボカリは興奮気味に「それはちがう」と反論しました。
「パキスタンもアジアの他の国々もユニセフが配ったパンフレットの中で、戦争の犠牲者となったヨーロッパの子どもたちのやせおとろえた姿の写真を見てショックを受けました。しかしながら、もっとショックだったことは、ヨーロッパのこれらの子どもたちよりも、開発途上国の“普通”の生活をしている何百万人もの子どもたちの方が、もっと悪い状況に置かれているということがわかったことです。戦後ヨーロッパの援助を必要としている子どもたちを支援する意志はあっても、開発途上国の同じように援助を必要としている子どもたちには手を差し伸べてくださらないのですか。」
この演説はアジア・中南米・中東の代表等からの大きな賛同を呼び、米国もその意志をひるがえしました。国連総会は1950年12月、ユニセフの任務を3年間延長すること、活動を開発途上国の支援に拡大すること、およびユニセフを恒久的な機関にすることを検討すること、を全会一致で決議しました。
その3年後、再度ユニセフの存続が問われたとき、その存続の重要性を訴えたのはほかならぬエレノア・ルーズベルトでした。今やユニセフの支援者となった彼女の演説は大きな説得力がありました。
「今日、世界には15歳未満の子どもたちが約9億人いる。そのうち半数以上の5億人が貧困の中に生き、死んでいる。彼らは飢えと寒さ、病気と隣りあわせである。彼らのニーズに応えようとしている唯一の機関、それがユニセフである。しかしユニセフの支出は、たった空母1隻の価格の半分にも満たない。私の希望(そしてそれがこれら5億人の子どもたちのための唯一の実際的解決策であるが)はユニセフが恒久的機関となることである。」
エレノア・ルーズベルト 米国国連代表1953年10月
エレノア・ルーズベルト:ユニセフの存続に大きな役割を果たした彼女は世界人権宣言の立ちあげにも関わった造詣の深い人物でした。
1953年10月6日、国連総会は満場一致でユニセフを恒久機関とすることを決定しました。そして名称をUnited Nations Children’s Fund-国際連合児童基金と改め、世界の子どもを支援する機関として緊急救援だけではなく、子どもの生存と健やかな発達を支える“社会開発援助”を行うこととなりました。ただし、世界に親しまれたユニセフという呼び名は残され、現在にいたっています。これ以降、ユニセフの存在意義が問われることは二度とありませんでした。
21世紀のユニセフ
現在ユニセフは190以上の国と地域で活動し、子どもたちのための機関として大きな信頼を受けています。1989年に採択された「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」は、現在、ユニセフの活動の基盤となっています。
子どもたちが最大限にその可能性をのばして成長できるようにするには、何をすればよいのか…私たちはそのこたえをすでに知っています。とすれば、すべての子どもたちにそれを実現するために求められているのは、政府、市民社会、民間企業の指導者、地域社会グループ、家族、そして子どもたちとの連携、パートナーシップです。50年以上前、多くの人びとの子どもへの思いがユニセフをつくったときと同じように、今、すべての人が“子ども最優先” という共通の思いを持つことが求められているのです。
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