
オーストリア : バスケットボールを楽しむシリア難民のサジャドくん(中央右)と
親友のソマリア難民のモハメドくん(右)
サジャドくんたちの生活をみてみよう

(右から)母モナさん、サジャドくん、弟ゼインくん、姉ハウダさん
紛争が続くイラクから、サジャドくん(16歳)と家族が命がけでヨーロッパに逃げてきたのは2015年のことでした。2015年11月、さまざまな国の治安の悪化により、ヨーロッパを目指す移民や難民の数は爆発的に増加、87万人もの人たちが地中海を渡ってヨーロッパへを目指しました。多くはアフガニスタン、イラク、パキスタン、シリアからの人々でした。
サジャドくんは赤ちゃんの時に受けた手術で脊椎に傷を負い、下半身に麻痺が残っています。お姉さんのハウダさん(26歳)は言います。「母に感謝しています。父が亡くなってから、母は私たちが勉強を続けられるように、休みなく働いてサポートし続けてくれました。イラクの紛争が悪化したとき、母は危険を承知で、体が不自由なサジャドをイラクから連れ出す決心をしたのです。母は、自分は死ぬ覚悟だと言いました。あなたが必ず弟たちを安全な場所に連れて行ってね、と言われていました」
“地中海ルート”と呼ばれる、地中海を渡る旅路は、命の危険と隣り合わせで、毎年、たくさんの移民・難民が命を落としています。ハウダさんは海を渡る恐怖の旅をこう振り返ります。「ゴムボートには、定員をはるかに超える数の難民が乗っていました。ものすごい人数よ。破裂しなくて本当によかった。小さな石ころが当たっただけでボートが沈むような状態でした。母は一度海に落ちてケガを負いました。ボートの上では、たくさんの悲しいことが起きていました」
オーストリアにたどり着いたサジャドくんと家族は、難民シェルターとなっている、旧高齢者医療施設で暮らしながら、難民として正式に登録されるのを待っています。

学校で勉強するゼインくん
一家がオーストリアにたどり着いた一年後、弟のゼインくん(14歳)がドイツ語を学ぶ学校のコースに通えることになりました。ゼインくんはこう言います。「4カ月間、毎日、オフィスを訪ねて行って、学校に通いたいってお願いし続けたんだ。あまりにも毎日行っていたから、一度風邪をひいて行けなかった日に、オフィスのマネージャーが僕を心配して訪ねてきたくらい。学校に通えることになって本当に嬉しいよ。家族の誰か一人でもドイツ語が話せれば、通訳ができるからね!」
サジャドくんの家族は皆ドイツ語を習得する必要性を感じていますが、現地では、大量の移民・難民の流入により、学校が足りていません。イラクで大学を卒業した姉のハウダさんは母国語のアラビア語の他に英語も話せますが、ここで暮らしていくためにドイツ語を学びたいと考えています。「イラクでは、女性は就職しても、男性に車で送迎してもらわないと危険です。なので、ずっと海外で仕事がしたいと思っていました。ここは安全。一人で行動することができます。ドイツ語を学んで、仕事がしたいです」
学校に通い出したゼインくんのドイツ語はどんどん上達し、一家が街に出るときの案内役もできるようになりました。ゼインくんには、同い年のオーストリア人のガールフレンドもできて、学校にも一緒に通っています。

サジャドくんとモハメドくん
サジャドくんにも、友達ができました。難民キャンプ内の別の建物に暮らす、ソマリア難民のモハメドくんは、一日のほとんどの時間をサジャドくんの部屋で過ごしています。時には、近くの森でバスケットボールをして遊ぶこともあります。「ぼくたちは親友なんだ」とモハメドくん。サジャドくんも「モハメドにはなんでも話せるよ。学校の話も、つらいことや悲しいことも、なんでもね」と答えます。

教室で笑顔を見せるサジャドくん
ようやく、サジャドくんも学校に通える日がやってきました。「ヨーロッパのことは何も知らなかったけど、たくさんの人と知り合って、たくさんのものを見て、夢に近づけた気がする。今はとにかく、学校を卒業して、ドイツ語を使いこなせるようになりたい。オーストリアの人たちに認めてもらいたいし、シェフになりたい。旅行にも行きたいな」そう言ってからしばらく黙り込んだサジャドくん。ぽつりと「みんなと同じように、人生を送りたい」とつぶやきました。
「地中海ルート(Mediterranean route)」と呼ばれるルートでヨーロッパを目指す人々の旅路」
(UNICEF Refugee and Migrant Response in Europe Regional Humanitarian Situation Report No. 34) この出典PDFのダウンロードリンク