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公益財団法人日本ユニセフ協会
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エボラ出血熱緊急募金 第45報
エボラ出血熱:ギニア
最初の感染者とされる2歳の男の子
家族を亡くし、笑顔を奪われた父

【2014年10月27日 ギニア発】

現在、西アフリカ地域で猛威を奮っているエボラ出血熱。その最初の感染者とされる2歳の男の子が住んでいたのは、ギニアのゲケドゥーにある小さな村、メリアンドゥ。南アフリカ共和国に本社をおく新聞社The Daily Maverickの記者が、エボラ出血熱の影響をほとんど受けていない南アフリカから遠く離れたギニアのメリアンドゥを訪れ、その道のりと心境を投稿しました。(2014年10月27日同紙に掲載)

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最初のエボラの感染者とされるエミールくん一家の写真。(ギニア)
© UNICEF/2014/Beukes
最初のエボラの感染者とされるエミールくん一家の写真。

エボラ出血熱の危機から遠く離れていればいるほど、その真の恐ろしさにきちんと目を向けられていないというのは本当なのです。私は、エボラの感染拡大の始まりとされる西アフリカのギニアの美しい森の中にある小さな村、メリアンドゥを訪れ、そう感じざるをえませんでした。

南アフリカからギニアへ向かうにあたり、私はたくさんの消毒剤や非接触体温計、予備として旧式の水銀の体温計、マラリア用の薬、抗生物質、手袋、長靴、マスクなどをスーツケースいっぱいに詰め込みました。そして頭の中はエボラに関する報道や悪化の一途をたどる被害状況、感染者や家族を失った人たちの悲劇的な話でいっぱいでした。

目的地:“グラウンド・ゼロ” 感染始まりの地

南アフリカのヨハネスブルグからセネガルのダカールを経由し、まずはギニアの首都コナクリに降り立ちました。その後、国連専用機でキシドウゴウに向かい、7カ所の塩素手洗い所と体温チェックの後、その美しい景色とは裏腹に危険な道のりを車で2時間かけてゲケドゥを目指しました。ゲケドゥには国内2カ所に設置されたエボラ治療センターがあります。

ゲケドゥからエボラ感染の始まりの地とされる村までは、更に道なき道を進みました。その村には、ニュースなどでエボラの最初の感染者と報じられている2歳の男の子が暮らしていた家があります。

最初の感染者とされる男の子の名前はエミール・ウアモウノくん。感染経路は確かではありません。2013年12月に死亡したエミールくんに続き、姉のフィロメーヌちゃん、そして母親も相次いで亡くなりました。

エミールくんの父親のエティエンヌさんは、たった1カ月という短い間に、大切な家族が次々と亡くなっていく状況を目のあたりにしました。深い悲しみのなかにあるエティエンヌさんが、山のようにある古い写真の中から生後数日のエミールくんの写真を見せてくれました。その写真のなかには、若い両親にぎこちなく抱かれた、毛布で包まれたかわいい男の子が映っていました。エティエンヌさんは濁った茶色の外壁の色とは対照的な真っ赤なラジオをつけ、「エミールはラジオを聞くのが好きでした。妻は、エミールをおんぶするのが好きだったんですよ」と語り始めました。

高熱や下痢、出血に苦しみ、残酷な死を遂げる前、エミールくんとフィロメーヌちゃんは庭で踊ったり、ボール遊びをするのが好きだったといいます。かつてこの家は笑顔や笑い声で溢れていました。しかし今は、深く残された悲劇の爪痕が残るだけです。

「以前にまして貧しくなった」

進行が早く、苦痛が伴う症状で知られるエボラ出血熱。しかし、人々に長期的に与える影響は、更に残酷なものです。農業を営むエティエンヌさんを襲うのは、家族を失ったトラウマだけではありません。エボラによる偏見が、経済的な破綻までもたらしました。メリアンドゥで暮らす住民はホウレンソウや小麦、米、トウモロコシ、バナナなどの作物をゲケドゥで売って生計を立てていました。しかし、状況は一変してしまいました。

ゲケドゥにあるエボラ治療センター。(ギニア)
© UNICEF/2014/Beukes
ゲケドゥにあるエボラ治療センター。

「だれもメリアンドゥで作られた作物を買いたいという人はいません」と、村長のアマドゥ・カマノさんが語ります。恐怖やパニックに襲われ、エボラで死亡した人が使用していたマットレスや毛布に限らず、所有物を燃やしているといいます。「みんな、あまりの恐怖にすべて燃やしてしまうのです・・・私たちは今まで以上に貧しくなってしまいました」(カマノさん)

経済的な影響はメリアンドゥだけでなく、ギニアの幅広い地域に及んでいます。世界銀行の推定によると、旅行者や貿易業者、投資家などの間で広がる偏見や誤解により、ギニアの経済的損失は、GDPの最大2.3%にまで及ぶだろうとしています。エボラの感染が確認される以前から、国民の43%が貧困ライン(1日1.25米ドル)以下で生活していたギニアを、世界は事実上孤立させていると言っても過言ではありません。

子どもたちへの壊滅的な影響

メリアンドゥのあるギニア東南部は、昔観た映画のワンシーンのように美しく、人の手が入っていない森林に囲まれています。この密林には、きっと危険な肉食動物が多く生存していることでしょう。しかし、それも、エボラが住民にもたらす脅威とは、比べ物にはなりません。

広範囲に及ぶ壊滅的な被害は子どもたちにも及んでいます。エミールくんやフィロメーヌちゃんのように、子どもたちもエボラに感染し、大変な苦痛を経験しています。それだけではありません。両親の片方、もしくは両方をエボラで失い、孤児となった子どもは推定1,400人。孤児となった子どもたちは、親を失ったことによるトラウマだけでなく、偏見とも闘わなくてはいけません。家族や親せきも、あまりの恐怖によって、孤児となった子どもたちを受け入れられずにいます。

「家族や子どもを見捨て、村から逃げていきます。エボラに感染した子どもや家族を、家族ですら拒否するのです。ユニセフは子どもたちに対する直接的な支援だけでなく、家族が偏見と闘うための支援も行っています」と、ユニセフ子どもの保護担当官のファッソ・イジドー・ラマが話します。

恐怖の連鎖

エボラで死亡した妻のお墓のそばで写真を撮ってほしいと頼むウアモウノさんと娘。(ギニア)
© UNICEF/2014/Beukes
エボラで死亡した妻のお墓のそばで写真を撮ってほしいと頼むウアモウノさんと娘。

ギニアやシエラレオネ、リベリアでエボラの感染が拡大を続ける中、メリアンドゥでは4月以降、新たな感染者は確認されていません。メリアンドゥの住民はエボラの症状や感染の予防法を学び、徐々に偏見も薄まりつつあります。

しかし、エボラによる初の死亡者となった家族の家の横にもうけられた14のお墓が、このコミュニティが経験した、消え去ることも忘れ去られることもない痛みと苦しみを物語っています。そしてメリアンドゥは、現在も対応能力を超えて広がり続けるエボラ出血熱の感染の始まりの地として、永遠に歴史に名を残すのです。

私がこの地を訪れるためにスーツケースや頭いっぱいに携えてきたものは何ひとつ、私の今のこの感情を抑えることも和らげることもできなかったと、村を去るときに実感しました。悲しみに暮れるエミールくんの父親や、エボラの真の姿を目のあたりにして、この地を訪れる前に抱いていたエボラへの考えは崩れ去りました。家族を崩壊させ、コミュニティを破滅させ、人生をくるわせ、子どもたちから笑顔や笑い声すらも奪うエボラは、世界を包み込む大いなる脅威なのです。

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