(財)日本ユニセフ協会  

手作りのレイとお花を受け取ったアンジェリークさん

 8月6日、ユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使で、現在、世界のポップミュージック界で最も斬新的な活動をしている歌手の一人とされるアンジェリーク・キジョーさんが、11歳の娘のナイーマちゃんと一緒に、ユニセフハウスを訪れました。
 ガールスカウトの子どもたちからお花と手作りのレイを受け取った2人は、アンジェリークさんがユニセフに捧げた歌「ムトト クワンザ」(アンジェリークさんの母国ベニンのミナ語でChildren First・子ども最優先)の合唱で迎えられました。

展示スペースで質問にこたえるアンジェリークさん

 ユニセフ親善大使として訪れたタンザニアで、エイズ孤児の保護施設を訪問した際にこの歌は生まれました。彼女は、そこに居る子どもたちの境遇に圧倒され、そこで子どもたちに歌い掛ける力さえ失いかけたのですが、ある少年が、「希望がわく子どもの歌を作って」と訴えたのです。この歌は彼女の子どもたちへの愛が詰まっています。

 ユニセフハウスの展示コーナーでは、ボランティアさんの説明に熱心に耳を傾けました。また、アンジェリークさんは、ガールスカウトの子どもたちに、自らの子ども時代の話などを例に、アフリカにおける子どもたちの厳しい状況を語ってくれました。
 最後にキジョーさんは訴えました。「どんな犠牲をはらっても、世界の子どもは守らなくてはいけないのです。みなさん、お互いに助け合いましょう。私も頑張るから!」


「ムトト クワンザ」の曲の入ったアルバムにサインをいただきました。

【当日の様子が本部ホームぺージでもご覧になれます。こちらをどうぞ。】

■アンジェリークさんとユニセフ

 キジョーさんは、2002年7月25日ユニセフの親善大使として任命されました。親善大使としての最初の仕事は2000年の4月に、「SAY YES キャンペーン」の公共広告の撮影を行ったことでした。このキャンペーンは世界中の子どもたちの向上と保護を実施するための10の主要な要因に注目したもので、9400万人以上のサポーターを得ました。

 現在アンジェリークさんは多くの時間をユニセフの活動に費やしています。2002年5月の「国連子ども特別総会」の「子どもセッション」にも国連の有名人サポーターとして参加しました。

 同年6月には、子どものトラフィッキングに関するユニセフの公共広告にも出演しました。そして9月には南アフリカ、ヨハネスブルグで行われたアフリカリーダーシップ会議—危機に面した子供たち−にも出席しています。この会議はアフリカでHIV/エイズによって孤児になったり被害を受けたりしている子どもや若者を救うことを最優先課題としています。彼女は2002年10月に大勢の報道陣を連れてベニンでコンサートを行い、11月にはフィンランドで基金集めのためのコンサートに参加しました。

アンジェリークさんと音楽との出会い

アフリカの希望

 アンジェリークさんはベニンで生まれ6歳のころから歌いはじめました。ベニンの政治情勢は不安定であるために、パリに引っ越しました。パリにいたときは、ジャズを勉強しながら、法律の学校に通っていました。

 アンジェリークさんは弁護士として働く夢をもっていましたが、音楽を通じて大きなインパクトを与えられるのではと思い直してシンガーになりました。「音楽は肌の色や国や文化を超えられると信じています。子どもの教育や、育成、保護に尽力している人たちに、力を与えたいのです。」と彼女は言います。

 軽快な歌声を通して、人種、環境、ホームレスや人種差別の問題に取り組んでいます。しかし彼女の一番の関心は教育です。「私にとって、教育は健全な政治や開発など、すべてのものの必須条件になるからです。若者達は私の希望そのものなのです。アフリカの子供たちを見ていると、すべての夢が可能性に見えるのです。」と彼女は言います。

 アンジェリークさんはソングライター、パフォーマーとして大変尊敬されています。彼女の音楽は民族的であり、西アフリカの伝統のリズムをあらわしています。しかし彼女はファンク、サルサ、ジャス、ルンバ、スーク、マコサなど様々なスタイルを導入することにより、国境を超えるものになっています。彼女は7枚のアルバムを発売しており、最新の「OYAYA!」ではアフリカとカリブ海の関係を描いた内容になっています。

【2004年8月6日】


www.unicef.or.jp

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