EYE SEE TOHOKU〜子どもたちの目が見る被災地の今と明日〜

写真ワークショップレポート

EYE SEE TOHOKU in 福島県相馬市

開催日時 2011年11月27日(日)・12月3日(土)4日(日)
会  場 相馬市教育研究実践センター
参加者 相馬市の小中学生 7人
吉田李理(11) 八幡小学校5年生
小林麻耶(11) 桜丘小学校5年生
北畑愛叶(12) 大野小学校6年生
角 乃愛(12) 中村第二小学校6年生
佐藤 陽(12) 中村第一中学校1年生
佐藤柚月(15) 中村第二中学校3年生
藤原樹里(15) 中村第二中学校3年生
はじめに

相馬市では津波で1049棟が全壊しました。県内有数の漁港である松川浦、物流拠点である相馬港が津波被害で壊滅。死者454人、行方不明者5人。福島第一原子力発電所からは40km-50kmほど離れていますが、放射能汚染のため漁業は禁止。南相馬市などから移住者も多いなど、原発事故の影響も色濃く、岩手、宮城とは異なる特殊な事情を抱えています。

相馬市教育委員会佐藤さんのお話:

ワークショップに先立って佐藤さんのお話をうかがう

「相馬家がこの土地に居を移して開府してから今年で400年。その祝祭行事に向けて準備をしているところに、震災が来てしまいました。原子力発電所の事故による放射能の問題は教育にも影響を与えています。初期は外での活動は制限されていましたし、現在も0.2-0.3ミリシーベルト(mSv)の放射線量が観測されています。西部山間の土地では数mSVが観測されているところもあるようです。

放射能による汚染が原因で屋外プールの使用はすべて禁止となりました。プールの水は放射能で汚染されていますし、下流域には農家の方が暮らしているので排水することができず、プールは今、藻が生えてどろどろの状態になっています。夏の間、子どもたちは代わりに屋内施設などを使ってスポーツをしていましたが、きっとストレスの溜まることだったことと思います。

外からの支援もあり、現在は随分と元の生活に戻りつつます。南相馬市など外から避難して来た子どもたちもいます。子どもたちは、現実をしっかり受け止めていると思います。

放射能については学校でもよく話しますし、毎日のこととして対峙しなくてはならないこととして認識されています。暑い夏にも放射能対策のために長袖と帽子で登校しなくてはなりませんでした。相馬は夏にもさほど暑くならないので学校にはエアコンがありません。窓を開けずに過ごさなくてはならない夏は大変でした。今は校庭の除染が済んだので線量は減りましたが、家庭や通学路での除染は進んでいないのでこれが課題となっています。 放射能に関して、教育委員会は専門的な知識を持っていないので、専門家を呼んでこれまで通算20数回ほど講演会を開催しました。学校としては、お子さんの年齢層が分かれるので、それに応じてどのように伝えるかということを考えていかなくてはなりません。福島には原子力発電所は多いですが、これまで放射線教育は行なっていなかったので、これからはそれが課題になると思います。

それぞれの子どもたちが抱える背景も、体験も違うので子どもによって写したいものは変わってくると思います。福島独自、相馬ならではのものを、子どもたちの視点で、自分で判断して写してくれたらいいなと思っています。これだけ映像メディアが氾濫している中で、子どもたちが何を選び写していくか、興味を持っています」

はじめに

1日目

2日目

3日目

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