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財団法人日本ユニセフ協会

ユニセフについて ユニセフとユニセフ協会

ユニセフとユニセフ協会−歴史的経緯

※本ページは、ユニセフ本部が1986年に作成した『UNICEF History Series Monograph II - A Historical Perspective on National Committees for UNICEF in Europe』(CF/HST/MON/1986-002)を元に、日本ユニセフ協会の設立経緯の部分を加筆、作成しました。

ユニセフ協会(国内委員会)の設立

1946年、国連総会の総意で設立されたユニセフ。総会は、ユニセフがUNRRA(ユニセフの前身となった組織で、戦争終了と共にその活動を終了した)からの資産を受け継ぐと同時に、政府からの任意の拠出金に加え、当時の国連機関としては例外的に、個人や団体などからの募金を受け取ることを認めました。それは逆に、そうした募金をしていただくために、個人の方々や団体などに「世界の子どものニーズ」を訴える必要性が出てきたということでもあります。

国連は、ユニセフの活動を支えるため、1948年「子どものための募金」キャンペーンを行いました。このキャンペーンには、当時の金額で1,070万ドルもの資金が寄せられましたが、このキャンペーンを支えていたのが、現在のユニセフ協会(国内委員会)の前身にあたるヨーロッパの幾つかの組織でした。

1950年12月に、ユニセフの使命が拡大され、その活動の焦点が「第2次世界大戦で被災した子どもへの支援」から「開発途上国の子どもへの支援」と移っていく中で、ヨーロッパ9カ国の政府はすでに、70万米ドル近い額をユニセフに拠出し、個人の方々からユニセフに寄せられる募金も10万米ドル近くに達していました。一方、第2次世界大戦中にユニセフの支援を受けなかった国々では、「ユニセフ」はほとんど無名の状態でした。そうした国々では、当時、まだヨーロッパの国々の植民地だったアフリカの国々を始めとする開発途上国への関心は低く、そうした国々の子どもたちの問題や状況はほとんど知られていないのが実情でした。

スパークの活躍

1952年、当時のユニセフ事務局長モーリス・ペイトの依頼により、元ベルギー首相で、国連総会の最初の議長であったパール・アンリ・スパークが、ヨーロッパでのユニセフの最初の「大使」(広報役)を勤めました。ヨーロッパ諸国の首班級の人たちに、途上国の子どもたちの窮状を訴えたスパークは、ユニセフに対する多くの支援を確保しました。

当時、ユニセフの広報活動は、ヨーロッパ各所に設けられた「国連情報センター」、「国連協会」が担っていましたが、国連「全体」の活動についての情報を扱わなければならないこうした組織では、ユニセフに特化する情報をこまめに発信することは難しかったのです。

そこで、1947年に米国とベルギーに設立された国内委員会にならって、モーリス・ペイト ユニセフ事務局長と、当時フランスのパリに拠点を置いていたユニセフ・ヨーロッパ地域事務所の広報・募金担当のウィリー・メイヤーが、ヨーロッパをはじめとする国々・地域に同様の組織を作ることを思い立ったのです。スパークのヨーロッパ行脚に同行しながら、各国のユニセフへの支援を求め、同時に、途上国の子どもたちの状況に温かい気持ちを寄せる人たちを探し歩いたのがメイヤーでした。こうして1952年にできたのがドイツ国内委員会。1954年にはデンマーク、ノルウェー、スウェーデンに、1955年にはイタリアとオランダに国内委員会ができました。

引き続き、1956年には英国国内委員会、1955年にはルクセンブルクの国内委員会がその活動を始めました。1970年代には、東ヨーロッパの国々にも国内委員会が設立されます(ユーゴスラビアとポーランドは、第二次世界大戦後にユニセフの支援を受けていたために、1946年と1962年にはすでに同じような機能を果たす組織が設立されていました)。

ユニセフと国内委員会の協力関係を強化するために、1965年には、ユニセフ本部内に国内委員会担当デスクが作られました。1964年には、国内委員会の役割をより明確にするためのガイドラインが作られ、国内委員会は、設立された当該国・地域の法律のもと、ユニセフの活動を支援するために、個人・企業等に対し募金を働きかけ(グリーティング・カードの頒布もこれに含まれます)、政府に拠出を働きかけることが、活動目的となりました(ガイドラインはその後、その時々の「時代の要請」に応えられるよう、何度か改定されています)。また、この時から、国内委員会は、ユニセフの執行理事会に代表者を送り、ユニセフ全体の活動に対し意見を表明したり、募金やグリーティング・カードに関する提案などもできるようになりました。

日本ユニセフ協会もユニセフ国内委員会に

第2次世界大戦後に、ユニセフから支援を受けていた日本でも、ユニセフ支援を受けた子どもたちから寄せられた御礼の手紙を翻訳したり、ユニセフの援助物資などを子どもたちに送り届けるお手伝いをしていた「日本ユニセフ協会」(戦後ボランティアの集まりとして、ユニセフ活動を支援していましたが、1955年に財団法人となり、外務省の管轄下で活動をすることになりました)が、1977年に正式に国内委員会として認められ、仲間入りしました。

ユニセフの一員としての国内委員会:すべては子どもたちのために

「国内委員会」は、あくまでも国内の組織であり、国連の組織ではありません。独自に運営され、規則も当該国・地域の法律に則っています。しかし、国内委員会がユニセフにとって無くてはならない存在であるとの認識が、時を経るにつれユニセフ本部の中でも広く共有されるようになり、重要な「パートナー」以上の存在として国内委員会を位置づけるに至りました。また、こうした関係を続けてゆくために、ユニセフと各国内委員会は、公正で厳格な監視の枠組みも築いてきました。1986年にはRecognition Agreement (承認協定)が、ユニセフと各国内委員会の間で結ばれ、ユニセフと各国内委員会との協力関係の促進と当該国の法律に則った公正なる運営の厳守が求められるようになりました。

各国内委員会には独自の理事会があり、日々の仕事は、専務理事あるいは事務局長のもと、事務局スタッフが行う形となっています。国内委員会の役割は、ユニセフの活動を広報し、募金を呼びかけ、当該国の政府に対してアドボカシー(政策提言)を行うことです。ユニセフの活動の内容を熟知し、ユニセフのために募金を呼びかけるためには、最新の技術・情報にも明るくなければなりません。そのため、ユニセフ本部は、各国内委員会と定期協議の場を設けているほか、本部・国内委員会それぞれの募金・広報専門家などの会合、国内委員会のスタッフ向けのワークショップや研修も頻繁に開催し、情報交換や最新情報の提供を行っています。また、国内委員会の代表者が、ユニセフの執行理事会にも出席し、ユニセフ全体の活動方針などについても盛んに意見・アドバイスを提供しています。

本稿の原典『UNICEF History Series Monograph II - A Historical Perspective on National Committees for UNICEF in Europe』(英文)は、こちら(本部公文書記録ホームページ)【PDF】でご覧いただけます。

注:本文書は1986年に作成されたものです。このため、使用されている用語、会議や組織などの名称、数値、ユニセフの政策や承認協定の内容など、現状のものと一部異なる場合がございます。予めご了承ください。

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