世界約190の国や地域で活動するユニセフ。
どんな活動をしているのかな?ユニセフについて調べてみよう!
ユニセフの歴史
第二次世界大戦後につくられたユニセフ、そのあゆみを見てみよう!
1945年
第二次世界大戦が終わり、国際連合がつくられる
1946年
ユニセフがつくられる
国際連合の第1回総会でユニセフ(国際連合児童緊急基金/United Nations International Children’s Emergency Fund)がつくられ、戦争で大きなひがいを受けた子どもたちのために、支援をはじめる。
ユニセフ誕生物語
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1949年
ユニセフから日本への支援がはじまる
日本が受けたユニセフ支援
第二次世界大戦が終わったあと、日本の子どもたちは食べるものや着るものも足りず、きびしいくらしをしていました。ユニセフは1949年から1964年までの15年間、日本の子どもたちに粉ミルク(脱脂粉乳)や原綿、くすりなどの支援をおこないました。日本中の子どもたちが学校の給食で粉ミルクを飲み、健康を取りもどしていきました。原綿は、服の材料として学校の制服などに使われ、日本の経済が回復するのにも役立ちました。ユニセフが日本に送った支援の金額は、当時のお金で65億円にもなりました。
©日本ユニセフ協会
1953年
国際連合児童基金(United Nations Children’s Fund) と名前が変わり、
役割も変わる
戦争のあとに大変な生活をしていた子どもたちだけでなく、長い期間の計画を立ててその国の子どもの状況を改善していく活動をする機関に変わる。活動する国や分野も大きく広がっていった。
ユニセフ(UNICEF)というよび名は親しまれていたので、そのまま残された。
1959年
国際連合で「児童の権利に関する宣言」がつくられる
児童の権利に関する宣言
子どもの権利を守るために国連で採択された宣言です。この宣言は、前文と10の大切な約束からできています。前文には「人は、子どもに必要なものをあげて、一番よい環境をつくる責任がある」と書かれています。この宣言では、子どもたちには、元気に成長する権利や勉強する権利、保護者に育てられる権利、いじめなどから守られる権利があることが明文化されました。また、子どもは「心も体も元気に育つように助けられなければならない」とされていて、法律を作るときは「子どもにとって一番良いこと」を一番に考えなければならないとも書かれています。
1964年
ユニセフから日本への支援がおわる
東京でオリンピックが開かれたこの年、日本はユニセフの支援から卒業した。
1965年
ユニセフにノーベル平和賞がおくられる
1979年
国際児童年
「児童の権利に関する宣言」から20年たった1979年を国連が「国際児童年」と定めました。栄養が十分にとれない、教育を受けられないなど、世界の子どもたちが直面する問題に、世界中の人たちに目を向けてほしいという思いがこめられました。
この年をきっかけに、子どもの権利について考えようという動きが世界に広がり、10年後の1989年に「子どもの権利条約」が成立します。
1982年
「子ども生存革命」の取り組みがはじまる
子ども生存革命
ユニセフは、このころ、赤ちゃんや小さな子どもの命を守るために、それほど費用をかけなくても効果がある4つの方法を広める活動に取り組みました。
その4つの方法とは…
1.発育観察
身体測定をして子どもの栄養が足りているかチェックする。
2.経口補水療法
げりになってしまった時に、経口補水塩(ORS)をとかした水を飲ませて、脱水症状になるのを防ぐ。
3.母乳育児
栄養たっぷりで病気からも守ってくれる母乳で赤ちゃんを育てる。
4.予防接種
はしかやポリオ、ジフテリア、破傷風、結核、百日ぜきなどの病気を防ぐ予防接種を広める。
とくに目標を定めて取り組んだ予防接種は、世界的に急速に広まりました。多くの子どもたちが予防接種を受けられるようになり、ポリオやはしかなどの病気も大きくへりました。
また、「経口補水療法」も画期的な発明でした。それまで、げりなどから脱水症になったときの治療方法は点滴しかなく、病院にかかることのできない多くの子どもたちが命を失っていました。口から水分を補給できるようになった経口補水療法は子どもたちの救世主になりました。
経口補水療法に使われる経口補水塩(ORS)は、子どもたちにとって「20世紀最大の功績」とよばれました。
ORSの誕生がどれだけすごいことだったのか、読んでみましょう!
今でも多くの子どもの
命を守っている
経口補水塩(ORS)誕生物語
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1989年
世界の子どもたちのもつ権利について定めた「子どもの権利条約」が国連総会の全会一致で採択※される
※採択・・・会議などで話し合って、約束や決まりごとを正式に決めること
1990年
「子どものための世界サミット」が開かれ、2000年までに達成すべき目標が定められた
子どものための世界サミット
「子どもの権利条約」が発効※し、子どもに関する問題に世界が力を合わせて取り組んでいこうとよびかけるため国連本部で「子どものための世界サミット」が開かれました。152か国の政府の代表が参加した、子どもに関するはじめての大きな国際会議でした。この会議では、赤ちゃんや子どもの死亡率を下げること、栄養が足りない子どもを減らすこと、すべての子どもが教育を受けられるようになることなど、2000年までの達成を目指す7つの目標が決められました。目標の達成に向けて世界の国ぐにが力を合わせていくことが約束されました。
※発効・・・約束や法律などが正式に使われはじめること
2002年
国連子ども特別総会が開かれる
国連子ども特別総会
世界150か国以上から400名をこえる子どもたち、60か国以上の世界のリーダー、180か国の政府の代表など、あわせて7000人以上が参加しました。特別総会の前には、「子どもフォーラム」という集まりが3日間行われ、子どもたちだけで話し合いをしました。
そして、世界中の大人たちに伝えたいメッセージ「わたしたちにふさわしい世界」を作り、会議のはじめに発表しました。会議の最後には、「子どもにふさわしい世界」という約束を決め、子どもたちに関する4つの目標と21のゴールを2010年までの達成を目指すことになりました。
2011年
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@UNICEF/UNI43096/unknown @UNICEF/UN178484/Blair