
はじめまして、私はマリアム、10歳になります。アフガニスタン、カブールに住んでいます。
私の国ではすごい長い間戦争をしていました。平和という言葉を聞いたことはあっても、どんな意味かわかりませんでした。
でも最近、なんとなくわかる気がします。戦争が終わって、外国に逃れていた人たちが帰ってきて、
カブールは人も物も増えてとっても賑やか。女の子も学校に行けるようになりました。
以前アフガニスタンを治めていたタリバンという人たちは、宗教を自分勝手に使って、女の子が学校に行くことはいけないと
禁止していました。そのタリバンがいなくなって、私たち女の子も学校で勉強できるようになりました。
忘れもしない始業式の日。ほとんどの女の子は、学校に行くのが生まれて初めてだから街中の女の子たちが押し寄せてきて、おしくらまんじゅうで、もう大変!私は転んでしまいました。
ユニセフがノートや鉛筆などの文房具を私たちみんなに届けてくれました。私の勉強方法は、先生の言うことを声に出して繰り返し、何回もノートに書いて覚えます。将来の夢? それはね・・・。
建設ラッシュに沸く首都カブール。ブティックと高級ホテルの入ったガラス張りのショッピング・センターはまぶしい輝きを放っています。巨大TVモニターの付いたエレベーターが上下し、欧米にあるようなカフェでは、携帯を手にしたビジネスマンや若い男女が談笑しています。政府の施設や警察をねらった爆弾テロや一般の人たちをねらった強盗や殺人事件はあるものの、都市には仕事を求めて人とお金が集まってきています。目に見える戦争の傷跡は、だんだん無くなってきています。
復興が進む一方で、貧富の差が目につくようになりました。カブール郊外の山すそには、黄土色の土壁が縦横無尽に広がる大きな集落があります。水も電気もガスもなく、道路はでこぼこ、砂ぼこりで目が開けていられないほどです。貧しく、何もない風景は、まるで、かつてパキスタンやイランにあったアフガン難民キャンプのようです。住民のほとんどは隣国から戻ってきた難民の人たち。政府は、帰ってきた難民たちに家を与えると言っていたのですが、一時的に住む場所しか与えられませんでした。また、きちんと働いた経験のある者がいないマリアム一家のような母子家庭は収入を得るのが難しく、貧しさから抜け出すことができないままです。子どもたちも絨毯織りをして家計を支えたり、家事を手伝わなければならず、学校に行く時間がほとんどありません。地域や家庭の中で、子どもたちがきちんと学校に行って学べる環境を作ってあげる支援が望まれています。
- 6:00
- 起床
- 6:15
- 朝食(ナンと呼ばれるパンの残りとお茶)
- 7:00
-9:30
- 学校(教科は算数、ダリ語、コーランの朗読)
- 10:30
- 友人と帰宅後、授業の復習
- 12:00
- 自宅にて昼食(アフガン風炊き込みご飯)
- 14:00
-16:00
- 友人と近所の塾へ行き、授業を体験
- 17:00
- 帰宅後、妹の面倒を見ながら家事。夕食はお昼の残りや果物など