(財)日本ユニセフ協会

ユニセフとマレーシア:昔と今

ユニセフ・マレーシア事務所   中満 潔

 現在、急激な経済発展の真っ只中にある、ASEANの優等生、マレーシアは、日本から多くのことを学んできました。

 1981年から2003年までの間、マレーシアの首相を務めた、マハティール首相は、「ルックイースト政策 (東方政策)」を国策として、第二次世界大戦で焼け野原になった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとしました。マレーシアで生活をしていて、常日頃感じるのは、彼らが押し寄せる近代化の波と伝統的な生活習慣のバランスをとりながら国策の舵取りを進めようとしていることです。そんな中で、マレーシア政府は、現在、次世代を担う子どもの育成を国策の重要な柱の一つとして国造りをしています。80年から90年代にかけて日本やユニセフの援助などとともに、マレーシアの乳幼児死亡率は、急激に減少しました。ユニセフの仕事で保健省との会議に行くと、よく年配の役人に呼び止められ、ユニセフが過去に行ってきた援助のことを、流暢な日本語で聞かされることがあります。古い資料を掘り起こしてみると、ユニセフ・マレーシアは、80年代、ワクチンやORS(経口補水塩)の供与や、医療システムの構築に、大変重要な役割を果たしてきたと知りました。私がまだ小学生の頃、ユニセフ募金を通じて行っていた支援を、20数年たった今、ここマレーシアでこのような形で垣間見ることができるとは思ってもみませんでした。

 そんなマレーシアの子どもたちに、今、新しいタイプの問題が押し寄せてきています。それは、乳幼児に対する虐待や放置といった問題です。子どもを6人、7人生むことがまだまだ日常的でありながら、女性の社会進出が急激に進み、それに伴う社会福祉基盤が立ち遅れているのです。現地の新聞でも、毎日のように5歳にも満たない子どもが被害者となる痛ましい事件が取り上げられます。このことに関していえば、最近、悲惨な事件の続く日本とよく似ていますね。

 そんな中で、マレーシア政府が現在、ユニセフと共に行っているプロジェクトの中で、特に重要なのが、0歳から5歳までの乳幼児保育と母子教育の拡充です。2004年に限ってみてみると、ユニセフとマレーシア政府は、12ヶ所の育児施設の運営形態の改善を図り、子どもとその親が一緒になって、乳幼児教育・そして保護を進められるシステムを作り上げようとしました。特に貧しい家庭の子どもたちにとっては、これらの施設がなくてはならないものになりました。2005年度以降、マレーシア政府は、これらの施設をお手本として、乳幼児に優しい保育施設をユニセフやNGOと共に、拡大してゆく予定です。それによって、親の負担を軽減し、乳幼児に対する虐待や放置等を減らしてゆこうというプランです。現在の試算では、およそ1億5千万円で新たに14ヶ所の保育施設を整備し、2000人程の乳幼児(特に保護者のいない子どもや、虐待の犠牲者)にサービスを提供してゆきたいと考えています。

 80年代に行われた、日本とユニセフの援助は、確実に、ここマレーシアの地で実を結びました。新たな社会問題に直面している親日の国マレーシアが、今後とも日本の皆さんと共に、問題解決に向けて、協力してゆけるよう願っております。

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