EYE SEE TOHOKU〜子どもたちの目が見る被災地の今と明日〜

写真ワークショップレポート

EYE SEE TOHOKU in 岩手県大槌町

2日目 11月6日(日)

8:00

小雨降る肌寒い天気の中、カメラを手に朝8時に集まってきた子どもたち。
カメラを使った感想を聞いてみると:
「家に帰って写真を撮りました。カメラを見せたら、すごいねと言われました(咲絢さん)
「カメラを持ち帰ったら、すごい驚かれた」(敦也君)
「使いやすくて、みんなにも褒められました」(望鈴さん)
「カメラがピントを合わせてくれるのでいい感じにとれそうです」(佐野君)
「まだ少ししか撮っていないけれど、シャッターを押した感じがテンション上がる!」(薫さん)
「家で撮ってみたけれど、まだまだだなあ・・・」(太一君)
みんなそれぞれに今日の撮影を楽しみにしているようです。

出発前に教室に集合し、ジャコモさんから今日の作業の確認がありました。
「テーマのあるもの、技術的な要素、両方を盛り込んだ写真であること。それから、過去、現在、未来という三つの要素を入れたストーリーラインを構成することを忘れないで」。

AとBふたつのチームに別れ、ボランティアの大学生と共にタクシーで出発です。

8:30

特別擁護老人ホーム「らふたぁヒルズ」訪問

最初に訪れたのは、吉里吉里中学校のすぐ後ろの高台にある「らふたぁヒルズ」という老人ホーム。吉里吉里中学校との交流も深く、生徒たちも催しごとに何度も訪れたことのある馴染み深い場所です。「らふたぁヒルズ」からは吉里吉里中学校と仮設住宅が建設された校庭、そして吉里吉里の町と海が一望できます。

「ここは俺たちのホームグラウンドですよ。ネットがあそこにあって・・・野球もやっていました。津波は下のグラウンドまで来て。しばらくの間、池みたいに冠水していました。」と教えてくれた佐野君と太一君。

「前にここに来たのは7月頃です。その頃と比べると、季節が変わって山の色が違うなと思いました。津波の被害を受けた町(の景色)は何も変わっていないです。でも海の方に行くと、瓦礫がすごく増えているので、やばいなと思います」と語ってくれたのは太一君。「津波の時は、3回ぐらい大きな波が来ました。今(草が生い茂っていて)緑に見えるところは、もともとは家が普通にあったところです。吉里吉里の町の中心は仮設のローソンがあるあたり。吉里吉里の町は、俺たちの住んでいるところ以外はほとんど残っていないですよ」。

「瓦礫のおいてあるところに『フィッシャリーナ』という施設があったんです。バーベキューをしたりして遊ぶ場所だったところに、今は瓦礫があるんですよね」「堤防も昔はもっと長かった。今は流れて小さくなりました」。
子どもたちは口々に、吉里吉里の町の様子を説明してくれました。

子どもたちが仮設住宅を眺めていると、ジャコモさんが「仮設住宅の屋根にもパターンが見えるね」と話しながら、昨日説明した撮影のポイントを伝えます。

「らふたぁヒルズ」には望鈴さんのおじいさんが入居しているので、望鈴さんはおじいさんを呼んで、写真を撮らせてもらいました。「昨日習ったの。みんなで写真を撮ったりしてるんだよ」。望鈴さんがこれまでに撮った写真を見せると「うまいなあ・・・望鈴は」と大喜びのおじいさん。「孫がひとりで撮っているんだからなあ・・・」と感慨深いようすです。

「いつもは花とか植物ばかりを撮っているから、人を撮るのは難しいと思いました。人は笑ったり、笑顔があったりして。植物の場合は、自分で動いていろいろな角度から表情を撮れるけれど・・・」と、照れながら話してくれた望鈴さん。いくつかアングルを変えてみながらおじいさんの写真を撮っていました。ジャコモさんから「おじいさんに、震災の時のことを聞いてみたら」と促されましたが「うん」とうなずきながらも、結局話を切り出すことができずにいました。「そういう話は聞いたことがなくて、聞くのは難しいと思う・・・」。おじいさんに会うのは約一月ぶりとのことで「今度はもっと、普通の人としゃべっているところとか笑っているところを撮ってみたい」ということでした。

「らふたぁヒルズ」には後日、調整を取った上で子どもたちだけで後日改めて訪れることになりました。

【チームA】大槌駅周辺市街地:

らふたぁヒルズの後、チームAのメンバーが選んだのは、大槌町の中心部。建物ごとすっかり流されてしまった大槌駅の前で車を降り、それぞれ思いのままにシャッターを切っていきます。ホームを歩いたり、線路の上を歩いてみたり。「もともとここには病院があったんです(敦也君)」「津波の時、あの白い建物に家のお母さんは避難していました(咲絢さん)」。大槌には今も行方不明のまま供養のすんでいない遺体もたくさんあるそうで、子どもたちによると「大槌にはおばけがでる」という噂があるそうです。

壊れた建物を写しながら、時折小さく屈んで植物を写すのは咲絢さん。「花を撮りたいんです。だって、頑張ってるじゃないですか」。彼女は健気に咲く植物の姿に未来を感じています。

潰れた状態で重ねられた車、一階部分がすっかり流されてしまった病院の建物・・・。被災現場をこれだけ間近に見ることはほとんどなかったそうです。子どもたちは、近くのものや遠くのものを思い思いに写していました。

大槌防波堤横瓦礫置き場:

それからチームは近くの堤防横にある瓦礫置き場に向かいました。堤防の外側の溝の部分には、津波の時に打ち寄せられた海水が残っています。高く積み上げられた瓦礫の山を前に何度もシャッターを切る子どもたち。

災害対策本部大槌町仮役場(町の見渡せる高台):

町全体の見渡せる高台(災害対策本部大槌町仮役場)に移動しました。この高台の丘陵は墓地になっていますが、低い土地にあったお墓は津波で流されてしまったものもあります。大槌町は高台の一部の建物除きほとんどの建物が津波の被害にあい、火災も発生しました。町役場も被災して、町長も死亡。人口の1割を超える1725人が死亡あるいは行方不明となっています。大槌町の全貌が見渡せるこの土地は大槌町の災害対策本部にもなっています。「この地面はもしかしたら地震でもり上がったのかもしれない」と隆起したアスファルトの地面を写す薫さん。子どもたちは被災した町の全体を見ながら、足下の小さな風景もカメラに収めていました。

蓬莱島の見える港:

吉里吉里に戻る途中、「ひょっこりひょうたん島」のモデルとも言われる蓬莱島の見える海岸を訪れました。12時になると町内放送で「ひょっこりひょうたん島」の音楽が聴こえてきます。海の方向を見渡すと船が浮かび、カモメの飛び交うのどかな風景が広がっているように見えるこの土地も、大量の瓦礫置き場となっています。ここで子どもたちは、瓦礫を背景にタクシー運転手、岡本さんと出会い、お話を聞きました。岡本さんは震災の日、助けを求めてやってきたお年寄りを救おうとしながらも、逃げた先の高台も24メートルにも及ぶ大津波に襲われ、救うことが叶わなかったという体験をしています。自分自身も腰まで水に浸かり、這いつくばるようにして山を駆け上り一命を取り留めたとのこと。岡本さんの勤める「大安タクシー」の車両は津波によってすべて流され、現在は全国のタクシー会社から寄付された車両が使われています。

13:00

吉里吉里漁港

中学校に戻りお弁当を食べた後、吉里吉里漁港に向かいました。ここでは毎年夏になると「吉里吉里祭り」が開催されます。吉里吉里では町ごとに固有の踊りがあり、お祭りではそれが披露されるためとても賑わうそうです。特に「虎舞」という伝統芸能が有名で、佐野君、太一君はそのメンバーとして参加しているとのこと。また、授業の一環として、この漁港でワカメを育てたり塩漬けにしたりする体験学習も行なっているそうです。今年は津波の影響でそういった海辺での活動ができなくなってしまいました。

「いつもこのロープにワカメの種を付けます。今年は全部流されちゃったんで厳しいんじゃないかな」と話す敦也君。友だちのお父さんに漁師さんがいるそうですが、震災後に特に話は聞いたことはないとのこと。「漁師さんの話を聞いてみる?」と尋ねると、「そういう話を聞くのは、難しいんじゃないかな・・・」と答えました。

「いつもだったら自分たちで作ったワカメを塩漬けして、4月の修学旅行の時に、東京(にある岩手物産館のような場所)で売るんです。今の二年生は育てることもできないから可哀想ですよね」と話す薫さん。

【チームB】吉里吉里地区
よってんたんせぇ:

チームBは、吉里吉里の町の中心部にできた仮設の復興食堂「よってったんせぇ」で働く女性たちを撮影に訪れました。「よってったんせぇ」は大槌町の女性漁労者らでつくるマリンマザーズきりきりのメンバーによって運営されています。この場所は「魚市場で働いていた漁師の奥さんたちが、復興に向けて頑張っている姿を撮りたい」と子どもたちがどうしても訪れたいと思っていた場所のひとつでした。地元の漁業復興を後押ししたいと、震災後にフランス料理のシェフによって考案された新名物「吉里吉里鮭子(おやこ)焼きそば」には、サケとイクラをメインに、ワカメの入った麺や宮古市産の塩など地元の食材がふんだんに使われています。子どもたちは働く女性たちの姿を撮影し、熱心にメモを取っていました。

「何丁目(に住んでいるの)?」と子どもたちに言葉をかける奥さんたち。「吉里吉里の子どもたちだから、みんな知ってるよ」。子どもたちも「吉里吉里は町の人みんな仲がいい」と話していました。

フィッシャリーナ:

子どもたちがバーベキューや魚釣りを楽しむ場所、フィッシャリーナ。もともと広場になっていたこの土地もまた津波の被害を受けて施設は崩壊。現在は広場の合った場所は瓦礫置き場となっています。子どもたちは風景を黙々と写真に収めると、海辺でタナゴ釣りをしているおじさんたちのもとを訪れました。おじさんの話によると、この海岸は漁師さんだった人や町の人たちがふらりと訪れて、津波のくる前のことや将来のことなどについて言葉を交わしあう交流の場にもなっているそうです。

「この海は結構深くなっていて、海に飛び込んだりして遊んでいました」。海辺を歩きながら、佐野君と太一君が話を聞かせてくれました。

2日目(撮影)を終えて:

撮影終了後は吉里吉里中学校に再び集合しました。
それぞれの撮った写真を見せ合い、興奮気味の子どもたち。
撮影の感想を聞いてみると・・・
「意外と難しかったです。瓦礫の中に瓦礫があって、背景と交ざってしまって思った通りに写すことが大変でした」(望鈴さん)
「自分の撮った写真を後で見てみたら、自分がとりたいと思っていたイメージと違った。プロの写真は何が言いたいかすぐにわかる。すごいなと思う」(佐野君)
「おもしろかった。最初はプロの写真みたいに撮ってみたいと思ってたけれど、予想よりも難しかった。大槌は前に行った時よりも結構片付いていてすごいなと思った」(敦也君)

最後にジャコモさんから「雨だったけれど楽しかったと思います。次回は来週の土曜日ですが、それまでの間写真を撮るとき、ストーリーを意識して写真を写して欲しいです」と話がありました。木曜日には試験があり、試験勉強で忙しいとのことでしたが、次回のワークショップまでにらふてぁヒルズや幼稚園なども巡ってみたいとみな意欲的に話していました。

【撮影場所】

[共通]
・特別擁護老人ホームらふたぁヒルズ

[チームA 大槌町地区]
・大槌町駅周辺市街地ならびに海岸瓦礫置き場
・災害対策本部大槌町仮役場(高台)
・蓬莱島の見える港(大槌町)
・吉里吉里漁港
・フィッシャリーナ

[チームB 吉里吉里地区]
・板波海岸駅周辺
・不動滝 (この先立ち入り禁止の看板があって滝は見られなかった)
・吉里吉里漁港
・復興食堂「よってったんせぇ」
・フィッシャリーナ

はじめに

1日目

2日目

3日目

4日目

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