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日本ユニセフ協会
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ユニセフ・シアター・シリーズ「子どもたちの世界」
映画『ラジオ・コバニ』
上映会・トークイベントを開催しました

【2020年3月30日  東京発】

9年前にシリアで紛争が始まって以降、この国に生まれた子どもはおよそ480万人に上り、さらに100万人が難民としてシリア周辺の国々で生まれました。こうした子どもたちは、今もこの残酷な紛争によって深刻な影響を受け続けています。

昨年開催した、シリア北部の街コバニを舞台にした映画上映会の開催報告です。

©日本ユニセフ協会/2019

上映後のトークイベントの様子

日本ユニセフ協会は2019年12月4日(水)、映画『ラジオ・コバニ』の上映会を東京都港区のユニセフハウスで開催しました。

子どもの権利条約が国連で採択されてから30年を迎えた2019年、日本ユニセフ協会は「子ども」を主題にした映画13作品を5月から12月にかけて連続上映する、ユニセフ・シアター・シリーズ「子どもたちの世界」と題したイベントを開催。第13回目となる12月4日は、「子どもを取り巻く世界」という視点から、「イスラム国」(IS)からの支配を脱したシリア北部の街コバニを舞台に、大学生のディロバンが手作りのラジオ局を始め、人々に希望をもたらしていく姿をカメラに収めたドキュメンタリー『ラジオ・コバニ』を上映しました。

上映後には、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんに、現地で撮影された写真をご紹介いただきながら、主人公のディロバン・キコさんや、作品のその後についてお話しいただきました。以下は、お話しいただいた内容の要約です。

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――遺体をクレーンで掘り起こす冒頭のシーンについて、ラベー・ドスキー監督はこうおっしゃったといいます。「私の目標は、コバニの人々の経験を、映画を観た人に少しでも感じてもらうこと。ああいう死体を5分と観ていられないのなら、死体に囲まれて何カ月も生きなくてはならなかった子どもたちの気持ちは感じ取れません。その経験が子どもたちの人生にどんな影響を与えるのでしょうか。死体や戦闘の映像を使わずに、コバニの物語は完成できるのでしょうか」

安田さんは、この冒頭の場面、あるいは監督のこの言葉について、どうお感じになっていますか?

ご遺体を映し出すこと自体は、賛否が分かれることかもしれませんが、監督の思いに主に同意します。表現しがたい「臭い」をどのように再現するかが難しい。一見平穏を取り戻したかのような街でも、「臭いのフラッシュバック」があると聞いたことがあります。人の尊厳にも関わるので、無為に望まない形で拡散は良くないけれども、それでも伝えられる手段として映画があるのだと思いました。

 

――この映画が撮られた時期、2014年からコバニに復興の光が差し込み始めるまでの3年間、どのようなことが起きていたのでしょうか。

©日本ユニセフ協会/2019

安田菜津紀さん

2011年の3月に始まったシリア内戦。シリアは、数十年にわたって同じ家族がずっと支配を続けてきた政権であるため、アラブの春の波は到達しないのではないかと言われていた時期もありましたが、言論の自由であったり、仕事を選ぶ自由がほしいということで人々が立ち上がり、そこに政権が武力で応じて、それが内戦の起点になってしまったと言われるのが背景の一つとしてあります。

政権と反政府軍、大きく分けるとその2つの戦いのなかで、どちらの勢力も及ばない空白地帯に入り込んで力をつけてきた勢力の一つが、いわゆる過激派勢力である、「イスラム国」(IS)と呼ばれる勢力でした。2014年の秋頃から、このコバニという、トルコに接している北側の街は、ISによってじわじわと追い詰められていき、それに対し、北部に主に居住しているクルド人と呼ばれる、シリアの中では少数の民族ですが、その部隊が徐々に反撃をしていき、2015年頭にコバニを守りきる、奪還するということが完了して、そこから街をどう復興していくか、ということがこの映画のメインテーマでもあったかと思います。北部のクルド人勢力は、ISとの闘いに徹することで自治の力を広げてきました。

 

――安田さんは、今年のはじめにコバニを含むシリア北部を訪れ、本作の主人公であるディロバン・キコさんとお会いになったそうですね。

©日本ユニセフ協会/2019

ディロバン・キコさんの写真

2019年1月に、ディロバンさんにお会いすることができました。ディロバンさんは、かつてのラジオの仕事から離れ、子どもたちと関わる仕事がずっとしたかったということで、今は小学校で教壇に立たれているということでした。この写真に映っているのは、少しずつ住宅が再建できているエリアで、目の前はサッカーコートでたくさんの子どもたちが遊んでいて、子どもたちの笑い声を聞きながら、家からも子どもたちの状況を見守りつつ過ごしているということでした。

彼女は感性豊かだな、とみなさんも思われたと思うのですが、「コバニはあなたにとってどんな存在?」と彼女に聞いた時に、こんな答えが返ってきました。「それまでは空気のように当たり前にあったけれど、それが奪われそうになった時に、どれだけ自分たちにとってこの街が愛おしいものなのか分かった。人々は、復興のための花のような存在だから、私たちの手で水を注いでいかないといけない」と。何があってもこの場を離れないというのが、彼女にとって当たり前の思いなんだと思いました。

シリアから逃れてきた別の女性に「どうして故郷が大事なの?」と尋ねたことがあったのですが、彼女は、こう答えてくれました。「シリアは私にとって母親のような存在で、そこから生まれてきた赤ちゃんのような存在だから。赤ちゃんは母親と離れたがらないでしょう。それと同じことなのよ」と。おそらくディロバンさんとコバニの関係性も、親と子のような、熱い絆で結びついているんだなと思いました。

 

――最近のシリア情勢は(2019年12月時点)。

2019年10月、シリア北部のクルド人が暮らす地域へ、トルコが攻め込んできたというニュースがありました。中東情勢は複雑だというイメージが強いと思うのですが、難しい、分からないと思った瞬間に、触れたい、と思う気持ちから遠ざかってしまうと思うのです。概要が分かっているだけでもニュースの落とし込み方が全く違ってくるので、僭越ながら私から話させていただければと思います。

2011年3月に始まったシリア内戦。ISが「首都」に置いていたのがラッカでした。ISとの戦いの中で、国外の勢力が関わっています。アメリカが協力関係を結んできたのが、クルド人の部隊です。クルドの方々の文化は、世俗的な印象を受けます。男女平等のもと、非常時には男性も女性も等しく戦闘に巻き込まれていくことを意味しています。クルド人部隊が力をつけていくことに対して、トルコからの反発がありました。シリア北部のクルド人が力をつけていくことによって、トルコ国内のクルド人を刺激してしまうのではないかという思いからでしょう。

10月にトルコが侵攻してきたというニュースが大きく取り上げられましたが、トルコの侵攻はそれが初めてではありません。2018年1月に、北西部アフリンにトルコが侵攻、3月に制圧するということがありました。北西部のなかでも、大々的なデモが行われてきました。ISは徐々に勢力が衰え、10月に米軍撤退の宣言がなされ、ほとんど同時にトルコが北東部に侵攻してきたという流れがありました。

10月末~シリア北東部と隣国イラクにたくさんの人が逃れているのでイラクの北部を取材してきました。トルコから2キロ地点にある学校の施設を訪れました。学校の校舎は、国内避難民の人々の避難所になっていました。今回のトルコの侵攻を受けて、家を追われた人々の数が20万人を超えていると言われていますが、そのなかで子どもは8万人を超えていると言われています。イラク側には1万人以上が国境を越えて逃れています。イラクの国内避難民が避難生活をしていたキャンプに、シリアから難民が逃れてきました。多くの人々が密輸業者にお金を払って国境を越えてきました。

 

――本作品では、シリアの状況だけでなく、コバニで暮らすひとりひとりの人生が映し出されていて、ディロバンという女の子が、友だちと一緒に出かけたり、恋をしたりといった場面がありました。安田さんが、これまでにシリアに滞在されていた際に出会った人々や、生活の場面など、何かこころに残っているものがあれば教えてください。

2018年3月にシリアを訪れた時の話をご紹介したいと思います。

・日本でのお正月は1月ですが、クルドの方々にとっては3月の20日前後が「ノウルーズ」と呼ばれるお正月です。ちょうどシリアを訪れたのがお正月の直前で、お正月前に開かれている羊マーケットに行きました。羊が買われると、乗用車のトランクに羊が押し込められていきます。よりお金のある方がより多くの羊を買っていき、羊を買えない近所の方々にふるまわれるといいます。

・ファラフェルと呼ばれるひよこ豆で作られたコロッケ。内戦前にシリアに通っていたことがあったのですが、その時が約8年ぶりに訪れたシリアでした。店員さんたちが人懐っこく話しかけてくれて、いろいろ勧められているうちに、気づいたら号泣していました。私はこの感覚を覚えているなと思ったのです。外から来た人たちを全力でもてなして、あたたかな日々を過ごさせてくれる。これは内戦前のシリアで味わった感覚と一緒だと。その大切な感覚を8年間、変わっていないものが確かにあるんだと。ファラフェルを起点にして、その時の記憶や体験が重なって一気にあたたかい気持ちが沸き上がってきた瞬間でした。これはあくまでトルコの侵攻前の話ですが、こうやって何とか日常を取り戻そうとして、でも情勢が変わるたびに粉々に砕かれてしまうことがあって、では私たちは日本からどのような声を届けられるのだろうか、ということを、前回の滞在でもあらためて突き付けられました。

 

――映画のなかの語りで「いつか生まれるであろうわが子、そして今後生まれてくる“コバニで何が起きたか知りたい全ての子どもたち”に向けてつづるもの」、ということばがありましたが、わたしたちが、シリアを含む世界の子どもたちに語り継ぐべきこととは。

『ラジオ・コバニ』作中画像

日本のなかでも、例えば震災の記憶をどう受け継いでいくかであったり、戦争の記憶をどう伝えていくのか、ということが課題としてあると思います。これだけ悲惨なことが起こっていた、これだけの犠牲を払わざるを得なかったということ自体も、次世代に伝えることが必要だと思うのですが、それをいざ伝えた時に子どもたちに、「同じことはもう起こらないんだよね、大丈夫なんだよね?」って聞かれた時に、「大丈夫だよ。二度とこんなことが起こらないように、ちゃんとコミュニケーションができる社会をつくってきたから、ちゃんと繰り返さないための社会の仕組みをつくってきたから、だからもう大丈夫なんだよ」と同時に子どもたちに言えるようなアクションを起こしていかなければいけないと思います。コバニもそうですし、シリア北部もそうなんですけれど、殺りくが起きたり人権が踏みにじられるような場所って、世界の目が背いていくこと自体が脅威になっていくのだと思います。だからこそ私たちから、「忘れるわけはないよ。私たちはちゃんと見ているよ」っていうリアクションが必要になってくるし、私たちが考えている以上に、世界がどんな報道をしてくれたのか、っていうことを傷つけられた側は見ている、ということは忘れていたくないなと思っています。

 

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ご参加いただいた皆さまからも、多くのお声を頂戴しました。

・「日本ではほとんど報道されない、シリアやクルド人について関心があり、足を運びました。悲惨な状況の中でも生きる希望を失わない人々の姿に感銘を受けました。実際に現地を訪れ、現地情勢に詳しい安田さんのお話はとても興味深く勉強になりました」

・「ニュースを見ているだけでは知ることのできない実際の戦場の様子、人々の声、生活を垣間見ることができました。音楽が流れるシーンと現地の音(銃音、爆撃音、息走る音)が対比されているようでした。同世代の方々が一度は笑うこともできない状況になりながらそれでも生きることを諦めず、ラジオを始めた姿を見てのうのうと過ごしている場合ではないなと感じました。より世界に目を向け、勉学に励みたいと思いました。周りに国内で国際問題に関して啓発を行っている人がいるので、安田さんのお話を必ず共有したいと思いました。2011年の時にはまだ小学生で、東日本大震災のことしか情報を得ていませんでした。中高生になってやっとシリアの問題を知ったのを思い出しました」

・「今までニュースや記事で中東の不安定な情勢について漠然と知っていましたが、シリアなどの複雑な勢力の関係など、理解が難しく何となく遠ざかりがちでいました。今回の上映会で、非常にリアルなシリアの人々の生活とそれが無残に破壊され、そこから再び築かれていくプロセスを目の当たりにできて、衝撃が強かったです。特に冒頭のシーンの上空から撮られた埃に化したシリアの美しかったはずの街並みは厳しかったです。安田さんのスピーチも、まさにシリアの状況をよく知らないが知りたいと思っている人々の疑問を射たような内容でした。シリアの現実と現在を知ることができました。スピーチがとても上手で思わず泣いてしまいました。さすがジャーナリストです」

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◇ユニセフ・シアター・シリーズ「子どもたちの世界」とは…

子どもの権利条約が採択されてから30年を迎えた2019年、「子ども」を主題とした作品を5月~12月にかけて毎月連続で上映を行った日本ユニセフ協会主催の映画上映会です。「子どもたちの世界」を基調テーマに、「そもそも子どもとは?」「それでも生きていく子どもたち」「子どもを取り巻く世界」「女の子・女性の権利」という4つの視点から選んだドキュメンタリーとフィクション計13作品を上映しました。

※過去の上映報告についてはこちら

 

◇ 映画『ラジオ・コバニ』

監督:ラベー・ドスキー

配給:アップリンク

2016年 / 69分 / オランダ

映画公式ホームページはこちらから

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