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日本ユニセフ協会
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包囲された涙の地
約2年ぶりに届けられた人道支援

【2016年1月11日  アンマン(ヨルダン)発】

シリア・ホムスの郊外にあるヒムス市ワアル地区が、再びニュースで大きく取り上げられました。数週間前、約2年間立ち入ることができなかったワアル地区で合意が結ばれ、銃を置き、人道支援団体が支援を届けることが可能になったのです。

このニュースを受け、2013年にこの地を訪れた、ヨルダンのアンマンにあるユニセフ中東・北アフリカ地域事務所のジュリエット・トウマ広報官が寄稿しました。

* * *

2013年春、包囲された地域ワアルへ

ワアラ地区にある建設途中のアパートの地下にある学校で勉強する子どもたち。

© UNICEF/Morooka

ワアラ地区にある建設途中のアパートの地下にある学校で勉強する子どもたち。

ワアル地区のニュースを耳にする度、あの地を訪れたときの思い出が鮮明に蘇ってきます。

2013年春、ワアルを訪問したときのことです。

私はこの街に残された、営業が続けられている数少ないホテルで夜を過ごしていました。激しい大砲や爆弾、銃撃の音を絶って少しでも睡眠をとろうと、何時間もの間、枕の下に頭を押し込めていました。その晩は特に、激しい戦闘が起こっていたのです。私たちが宿泊していた場所は、激しい暴力が繰り広げられているババ・アマーという地域から数マイルほどしか離れていませんでした。

翌朝、ワアルという、長い間完全に封鎖されていた地域に車で向かいました。度重なる交渉の末に数時間のアクセスが可能となり、自宅からの避難を強いられた子どもたちや家族のもとを訪れることができました。なかには、何度も避難を繰り返している人たちもいました。

シリアの方言で“荒野の地”を意味するワアルは、2011年に危機が勃発する前、ホムスの郊外の町として栄えつつあった場所だと、ワアルに向かう車の中で同僚のシャディが教えてくれました。ワアルに入ると、裕福な住民が暮らすために建設されたであろう、建設途中のアパートが見えました。

包囲されたワアルで暮らす人々

ワアラ地区の建設途中のアパートの地下にある学校で勉強する子どもたち。

© UNICEF/Morooka

ワアラ地区の建設途中のアパートの地下にある学校で勉強する子どもたち。

危機が勃発して町のいくつかの地域で暴力が激化してからというもの、この未完成のままのアパートは、身を寄せることのできる場所を求めてやってきた自宅からの避難を強いられた人々の避難所となっています。

その5階建ての建物で、私は5人の子どもの母親のサリマさんに出会いました。

サリマさんは、何の設備もない、鉄の窓枠だけが付けられたアパートの一室で暮らしていました。サリマさんは床に敷かれたマットレスの上に座り、行方不明になってしまった夫のことを話してくれました。数カ月前にババ・アマーの自宅から避難する際に行方が分からなくなり、それ以降、一度も連絡が取れていないと言います。サリマさんは涙を流しながら、「生きていてくれることを、ただ祈るばかりです」と話しました。

高級車の駐車場となる予定だった地下では、学校が開かれていました。一つの机で一緒に勉強をしていた6歳のマリアちゃんと9歳のアハマドくんが手を繋ぎ、私たちを歓迎する歌を歌ってくれました。

先生のリーマさんは、子どもたちを教えているときは心が休まると言っていました。リーマさんは、その日の朝に兄弟が殺害されたという知らせを受けたばかりだと、涙ながらに打ち明けてくれました。「それなのに、今日も学校に来たのですか?」と尋ねると、

「ここにいると安心できますし、子どもたちと一緒だと気が紛れますから」と語りました。

これまでに4度避難を繰り返しているというリーマさん。もし暴力が激化の一途を辿ったら、この先どこに行ったらいいのか分からないし、封鎖されているので外に出たくても出ることもできないと話します。

私たちは大勢の子どもたちに囲まれるなか、その地を後にしようとしていました。すると、男性が車の窓をノックしました。私たちは車の外に出て男性と話をしました。アッブ・ウィッサムさんは、12歳と14歳の行方不明になったふたりの少年のことを私たちに伝えようと、大声で訴えていたのです。「何カ月も帰ってきていません。ただ、ふたりが無事なのか知りたいだけなのです」

今もなお続く、残忍な紛争

あれから数年が経ちますが、人々は依然として残忍な紛争に耐え続けています。

昨年9月、イード(ラマダン(断食)明けを祝うイスラム教の祝日)を祝ってワアルに残された数少ない遊び場で遊んでいた19人の子どもたちが殺害されました。

自宅からの避難を強いられたワアル人々は2年以上にわたって日々激しい衝突を目にし、絶え間ないロケット弾や砲撃砲による攻撃で多くの負傷者が出ています。2013年8月、ユニセフ事務局長は、女性や子どもたちの状況が悪化の一途をたどっていると警鐘を鳴らしました。

また、事務局長は声明の中で、ユニセフのような人道支援団体がこの地で取り残されている人々に命を守る人道支援を届けることができるよう、すべての紛争関係者に迅速で安全なアクセスを求め、取り残されている家族が尊厳を守られ、安全に地区外に出ることができるように訴えました。

支援を必要とする子どもたちのもとへ

そして1年以上後となる2014年秋、再びホムスを訪れました。

このとき、ワアルは完全に包囲され、立ち入りが禁止されていました。前回訪れたときと同じホテルで、人道支援をワアルに届けることを可能にする合意に向けて取り組む、ワアルの人々を代表する派遣団の人々と面会しました。

そしてその1年以上後、ユニセフや人道支援団体がワアルの人々へ必要不可欠な物資を届けることを認める合意が結ばれたのです。人道支援を切に必要とする約6万人の人々に支援を届けるべく、食糧や小麦粉、子ども用の高カロリービスケット、衛生キット、医療物資、通学用かばん、冬服を積んだトラックがワアルへと向かいました。

人道支援が届けられる映像を見ながら、ワアルで出会った人たちに思いを巡らせました。アブ・ウィッサムさんは男の子を見つけられたのだろうか。サリマさんは、夫と再会できたのだろうか。リーマさんは、まだあの地下で子どもたちを教えているのだろうか。そして、彼らは今も、ワアルで暮らしているのだろうか…。

*名前はすべて仮名です。

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