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日本ユニセフ協会

ウクライナ緊急募金

ユニセフ・ウクライナ緊急支援
ブルガリアでの難民支援活動について報告

登壇:根本巳欧(UNICEF東京事務所副代表)

2022年9月30日東京

2022年9月15日(木)、ユニセフ・トーク『ウクライナ:難民となった子どもたちの今』をオンラインで開催しました。

ウクライナで戦闘が激化したのは今年2月。半年以上が過ぎてもなお、戦闘の終結は見えず、現在も約700万人が周辺国で難民として暮らし、ウクライナ国内で避難民となっている人々も、同じく700万人近くにのぼると推定されています。周辺国に暮らすウクライナ難民の多くが子どもや女性たちです。長引く危機の中で、子どもたちは先の見えない不安、教育の継続、社会とのつながり、暴力のリスク、貧困など、いくつもの困難を抱えています。

ユニセフは、ウクライナ国内および周辺各国で、子どもたちと家族への支援を続けています。本イベントでは、8月末まで3カ月間にわたって、ブルガリアでウクライナ難民の支援にあたったUNICEF東京事務所副代表の根本巳欧に、紛争が長期化する中で変化する子どもたちの課題や、難民受入国の現状、ユニセフの支援などについて、質疑応答方式で伺いました。

 

Q. 根本さんが、ウクライナ緊急支援のためにブルガリアに派遣されたときの状況を教えてください。

通常は、UNICEF東京事務所で日本政府とのパートナーシップ強化や、ウクライナの緊急人道支援を含む日本政府からの資金調達交渉などの業務に携わっています。今回私がウクライナ緊急支援のためにブルガリアに派遣されたのは、ウクライナにおける緊急支援が「レベル 3 の緊急対応(Level-3 Emergency Response)」に指定されたことが背景にあります。このレベル3に指定された支援活動は、ユニセフの組織全体の人材、資金や物資を集約・動員する大規模な緊急人道支援となるため、これまでに緊急支援の経験があるユニセフ職員が世界中から集められ、ウクライナあるいは周辺国での緊急支援に携わることになりました。私自身も、中東やアフリカ、アジアでの緊急支援の経験があったことから、応援派遣に加わることになりました。

 

Q. 全体でどれくらいの職員が、ウクライナ緊急支援に携わっていましたか?

ルーマニアの首都ブカレストからブルガリアの首都ソフィアの中央駅に到着した列車を降りてきた、ウクライナ難民

©UNICEF/Mioh Nemoto
ルーマニアの首都ブカレストからブルガリアの首都ソフィアの中央駅に到着した列車を降りてきた、ウクライナ難民

ウクライナと周辺国を合わせると、全体でのべ400人以上が携わっていました。現在では、700万人以上の難民が周辺国に流れており、主に、国境を接しているモルドバ、ルーマニア、ポーランドに流入していました。私がいたブルガリアにも多くの難民が押し寄せました。

ブルガリアはウクライナとの国境に接していませんが、これまで70万人以上のウクライナ難民が流入しています。モルドバとルーマニアを経由して移動する陸路と、ウクライナ南部から黒海を通って移動する海路がありますが、ウクライナ南部から出ていたフェリーは、紛争が始まってすぐに運航が中止されたため、車や列車を使い陸路で逃れる人がほとんどでした。

国境が接していないブルガリアに、これだけ多くの人が逃れてくる理由には、①文化や言語が比較的近いこと、②南部オデーサ周辺にはブルガリア系のウクライナ人が多く住んでいるので、そうした親戚や友人を頼って避難してきたこと、③ブルガリア政府が、一定期間無償で宿泊施設を提供するなどの比較的寛容な難民受け入れ政策を取っていたこと、があります。

 

Q. ブルガリアでは、具体的にどういった活動に携わりましたか?

「緊急支援コーディネーター」という肩書なのですが、緊急支援に関わるすべてに携わることが私の役割でした。たとえば、人員が必要となるので、現地で新たに採用されるスタッフの選考や研修、新たなオフィススペースの確保、緊急物資を備蓄する倉庫の配置場所の決定など、活動をするために必要な様々な調整業務をしていました。それに加えて、子どもの保護や教育支援などに関して戦略的な指示を出したり、あるいは政府や他の国連機関との連携のための調整役などもしました。

特に、紛争などの危機が起こった初期段階では、様々な人道支援団体が、連携せずにそれぞれ個別に動いて活動を行ってしまうことがよくあるため、調整役が必要になります。そして、よりよい連携をするための話し合いの場をもちます。基本的にはそうした役割は政府が行い、ユニセフはサポートをしていきます。教育の分野であれば、ユニセフは教育省と協力して支援を届けています。

 

Q. ブルードットの支援について教えてください。

「ブルードット」は、ユニセフがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と協力して、ウクライナの子どもたちと家族へ支援を提供するために設置した支援拠点です。子どもたちと家族がブルードットを訪れると、必要な情報や支援物資が提供され、子どもにやさしい空間で心のケアや教育などの支援を受けられます。

ブルードットは、ブルガリアに6カ所、周辺国に38カ所設置されています。当初は難民がまず訪れる国境周辺や鉄道駅構内におかれていたブルードットですが、ウクライナ難民が街中に分散して住むようになったり、鉄道を利用して逃れる人が少なくなってきたりなどの理由で、より難民が支援を受け易い場所に移動させたりもしています。

ブルガリアには難民キャンプがないので、ウクライナ難民は、自分たちでアパートを借りたり親戚を頼る人が多く、ここに行けば支援を受けられるという支援拠点を、いろんな場所に設置したり、移動式チームを編成して支援を提供する必要があり、支援形態が変化していきました。

首都ソフィアにあるブルードットには、ぬいぐるみやおもちゃなど、子どもたちが安全に遊べる環境が整っています。

©UNICEF/Mioh Nemoto
黒海沿岸の街ヴァルナにあるブルードットには、ぬいぐるみやおもちゃなど、子どもたちが安全に遊べる環境が整っています。

 

黒海沿岸の街ヴァルナにある「ブルードット」を訪れたウクライナ難民の男の子と

©UNICEF/Mioh Nemoto
首都ソフィアにある「ブルードット」を訪れたウクライナ難民の男の子と

 

Q. 根本さんがブルガリアに入られたのは紛争激化から3カ月が経った時期で、最初の混乱期と比較すると若干状態が落ち着いていたのかと思いますが、実際はどのような時期だったのでしょうか。

人の移動が複雑になっていた時期でした。周辺国に避難していた人々の間でも、状況が安定してきたウクライナに一旦戻り、またブルガリアに戻ってきたり、長期的な避難先を求めてドイツや北欧など別のEU諸国に移動する人もいて、そういった人の動きをトラッキングするのが難しかったです。

また、ブルガリアには歴史的にもロシアに親近感を持つ人も一定数おり、親ロシア派、反ウクライナ感情の人たちも増えていました。それには、ウクライナ支援に寛大であるブルガリア政府の政策も影響していたかと思います。そのため、ウクライナ難民を支援するにあたっては、受け入れる地元住民(ホストコミュニティ)にどのように説明していくのか、またブルガリア人住民のなかにも貧困などで支援を必要としている人たちがいるので、その方々をどのようにサポートしていくかなど、考える必要が生じてきている時期でした。

 

Q.ウクライナ国内や周辺国における、支援の課題や内容について教えてください。

ウクライナ国内では、破壊された学校や病院の復興開発が大きな課題です。学校や病院で働いていた医療従事者が避難先から戻れるような環境の整備や、新たにヘルスワーカーを育てていく支援が必要です。

 

Q.ユニセフ・ウクライナ事務所は、2月の戦闘激化後すぐに、地下のシェルターに仮の事務所を設置し、現地での支援を続けている様子を発信していました。もともとウクライナ国内で活動していたからこそ、今回の緊急事態でもすぐに支援を開始できたのでしょうか。

2022年3月上旬、ウクライナの首都キエフの産科病院に支援物資を届ける、ユニセフ・ウクライナ事務所のスタッフ

©UNICEF Ukraine
2022年3月上旬、ウクライナの首都キエフの産科病院に支援物資を届ける、ユニセフ・ウクライナ事務所のスタッフ

ユニセフの強みは、紛争前から現地にいて、紛争中も紛争後も現場に留まり、通常の開発支援も緊急支援もしています。ウクライナもまさにそういった国でした。だからこそそういった強みを用い、長年にわたって築いてきた様々なネットワークを使って、緊急支援を実施することができました。

また、周辺国においても、ブルガリアのようにユニセフの事務所があるところでは、すでに教育省や保健省とのパイプもあり、すぐに難民支援を行うことができました。他方、ポーランドやチェコなど、平常時にユニセフの支援が必要のない国にはユニセフの国事務所がないのですが、今回の緊急支援のために事務所を立ち上げて、地方自治体やボーイスカウトのような草の根の団体とも協力し、支援を届けようとしています。

また、新しいパートナーシップを作ることも重要でした。今回実際に現地に赴いて印象的だったことは、ウクライナ難民の人々が、ただ支援を待つのではなく、自発的に自分たちでNGOを立ち上げて活動を始めていたことです。例えば、突然学校という学びや遊びの場を失った子どもたちに対し、学校の先生だった人がウクライナ語の授業をしたり、バレエの先生をしていた人が学校の授業の後にバレエ教室を開いたりしていました。ユニセフは、そういった団体とブルガリア国内の他の団体をつなげたり、政府の支援システムにもつなげていました。

 

Q.そういったネットワークが長年にわたって構築されているからこそ、世界中から派遣されてきたユニセフの緊急支援のスタッフも、それぞれの現場で異なる状況であっても、専門性を発揮して支援活動を展開できるということですね。

はい、ウクライナの紛争はヨーロッパで起きた現代の紛争で、これまで私が経験してきたアフリカや中東での難民支援と全く異なる状況がありました。一つ目は、先ほども申しましたが、人の動きが複雑であることです。二つ目は、支援の場で様々なIT活用があったことです。

例えば教育分野では、ウクライナの学校がオンライン授業を続けていたため、子どもたちがどこにいても、避難をしていても、ウクライナの学校と同じ教育を受けられていました。そのため、避難先の国で、その地元の学校に通う子どもの数は少数でした。特にブルガリア、ルーマニア、モルドバではその傾向が顕著で、避難した子どもの9割が、現地の学校へは通わずに、ウクライナの学校のオンライン授業を受け続けていました。

その状況は、良い面だけではなくデメリットもあります。スマートフォンで受けるオンライン授業では、教育の質の高さを保つことが難しい。また、幼い子どもたちにとって学校は、友達と遊んだり社会性を身に付けたりする場でもあるので、そういった機会が失われてしまう、ということもあります。

そして、三つ目の違いは、子どもの心のケアに関することなのですが、紛争の状況がリアルタイムで子どもたちに伝わってしまうことです。例えば、ウクライナ国内の学校で行われている授業をオンラインで受講している難民の子どもたちは、空襲のサイレンが鳴り防空壕への避難を呼びかける様子も耳にします。そのためユニセフは、授業が終わった後のレクリエーションを通して、子どもたちの助けを求める心のサインを見つけ、ソーシャルワーカーにつなぐシステムを構築するサポートも行っています。

 

Q.ウクライナ国内外におけるユニセフの人道支援を支えるための緊急募金には、これまでに日本のみなさまから約83億円、日本政府から約30億円と、非常に多くのご支援をいただいております。最後にメッセージをお願いします。

ウクライナ難民が滞在している施設で行われたブルガリア語の授業を見守る、UNICEF東京事務所 副代表の根本巳欧(ブルガリア・ヴァルナ近郊)

©UNICEF/Mioh Nemoto
ウクライナ難民が滞在している施設で行われたブルガリア語の授業を見守る、UNICEF東京事務所 副代表の根本巳欧(ブルガリア・ヴァルナ近郊)

日本のみなさま、日本政府のこれまでの温かいご支援に、深く感謝申し上げます。

ウクライナの危機は長期化することが見込まれており、これから息の長い支援を続けることが必要となってきます。

ウクライナ難民と聞くと「可哀そう」とイメージするかもしれませんが、そうではなく、彼ら自身も一生懸命生きているとお伝えしたいです。また、紛争激化から半年が経つ中で、人々の関心が徐々に薄れていることを、ウクライナ難民の人々自身が感じています。そういった方々のことを忘れないでいただきたいと思います。そして、ウクライナ難民以外にも支援を必要としている子どもたちがたくさんいるということを知っていただき、関心を持ち続け支援の手を差し伸べていただけたらと思います。

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