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公益財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2003年10月29日掲載>

性的暴行を乗り越えた少女の話
<コンゴ民主共和国>

 私はサフィ。コンゴ民主共和国のブルンジ国境沿いの町ウヴィラの出身です。17歳です。
 2002年4月のことでした。午後6時頃だったでしょうか、男たちが家にやってきました。ドアをノックする音に、近所の人が立ち寄ったのかと思ってドアを開けました。すると、6人の男が家に押し入ってきました。家にいたのは、父、母、兄、私、そして4人の弟妹です。男たちは「金を出せ」と叫びながら父を脅し、「金はない」と聞くと、怒って、家中をひっくり返し始めました。お金がないことが分かると、怒り出しました。
 男たちは銃を私たちに向けました。すごく怖かった…。男たちは父に向かって言いました。「俺たちの目の前で、今すぐに娘とセックスしろ!」私は部屋の真ん中に投げ出されました。父は拒みました。娘はまだ子どもだから、と。男たちは笑うだけ。父は私たちの目の前で銃殺されました。

 次は母と兄が、部屋の真中に投げ出されました。兄は命令されました。「母親とやれ、すぐにだ!」弟と妹たちは泣いていましたが、私は怖さのあまり泣くこともできませんでした。兄はできない、と断り、母は何も言いませんでした。すると、男のひとりが母の頭を銃で撃ち抜き、母は、父の横に崩れ落ちました…。

 兄と私は外に連れ出され、何時間も歩かされました。十字路に来たとき、男たちは二手に分かれました。そのときの私は、茫然自失の状態でした。私と兄は離ればなれになり、二度と兄の姿を見ることはありませんでした。私は森の中に連れこまれ、男たちに何度もレイプされました。あのときは、まるで悪い映画を見ているようで…自分が自分ではないような感じでした。後のことは何も覚えていません。

 次の3カ月は軍事キャンプで捕虜状態でした。気がおかしくなりそうでした…。意識のない人間と同じ。生きているのだけれど、何もしていない。そんな感じ…。3カ月たって、やっと、両親が死んだこと、兄もいなくなってしまったこと、そして弟や妹たちには誰もいなくなってしまったことを自分でも理解できるようになりました。男たちは毎日のように私をレイプしました。外出するたびにやられました、ときに1人から、ときに3人から。村で人を殺してきたり、略奪をしてきたときもレイプされました。そして、私はあるときハタと気づいたんです。これは実際に私に起きていることなんだと。生きている私にこれが起きているんだということを。だから、私は逃げようとしました。でも、すぐに捕まって…挙句の果てには体中をひどく殴られて…そうこうするうちに気を失ってしまいました。

 その後は、逃げようとしても無駄だと思いました。次は必ず殺される、と思ったんです。キャンプには私のような女の子がほかにもいましたが、みんなは相手が1人でした。私は3人。私を我が物ののように扱っている連中は幹部ではなかったんです。だから、ほかの者に命令されるばかりなのですが、それが気に入らないらしく…機嫌が悪いと私をレイプしたり殴ったりするんです。こんなことがずっと続きました。自分ではもう人間ではない、と思っていました。ゴミも同然だ、と。男たちは私をこき使いました。着る物の洗濯、料理、キャンプを移すときは、物運びも手伝わされました。こんな目に遭うなんて、私は何をしたのだろうか、と思いました。それも1人でなく、3人にひどい目に遭わされるなんて。

 ずっと…1年以上でしたか…そこにいました。まるで死人のように。あるとき、ひどくぶたれたあとで、胸が痛むようになってしまったんです。痛さのあまり泣きました。黙れと言われましたが、どうしようもなくて泣き叫びました。それで男のひとりが、何かないかと見に行きました。で、帰ってくると、ほかの男たちと一緒になって、私を地面に押し倒し、私の衣服をはだけて、針で胸中を突き刺し始めたんです。それも笑いながら。胸のほうの痛みはもっとひどくなりました。腫れて、感染症を起こしてヒリヒリし出したんです。

 あるとき、別の男が捕虜にしている女の子が泣き出しました。産気づいたんです。私は見ていたのですが、手を出せませんでした。男はすごく怒っていて、女の子は、地べたの上に転がっていました。その男が私のところにいた男を呼んだので、彼女を助けてくれるのかと思っていたんですけど…そうではなくて、ゲラゲラ笑いながら彼女の脚を開いて、中に手を突っ込み、赤ん坊を引きずり出そうとしていました。女の子は大きな声で叫び、血が流れ出して…赤ん坊は引きずり出されて、地べたに放り出されたんです。この間中、私はもう、頭が変になっていました。女の子も赤ん坊も死ぬんだというのが分かったからです。

 そしたら、頭の中で何かがはじけました。うまく説明できないんですが…。とにかく走って逃げろという声がしたような気がしたんです。で、何も考えずに走り出しました。とにかく、走って、走って、走りとおして…。まるで宙を飛んでいるようでした。何も聞こえなかった…でも、とにかく走った。次に殺されるのは自分だ、と分かっていたから…あいつらから逃げないと、と思ったんです。そして、自分も妊娠している、ということが分かりました。

 どれくらい長く走ったのか覚えていません。また、どこに向かっているのかも分かりませんでした。道路を走って逃げていたのですが、向こうから車が来るのが見えました。「お願いだから止まって…」車に向かって手を振ったら、止まってくれました。「どうして走っているんだ? なんでそんなに息が荒いんだ? とにかく座って、休みなさい」って言われました。私は、「とにかく車を出して」と泣きながら懇願したの。兵士たちが私を追っていて、捕まったら殺されるんだということを話しました。そうしたら、きっと怖かったんだと思うわ。ものすごい速さで走り出し、それでブカブに向かいました。

 ブカブに着くと、運転していた人は自分も怖いから、早く逃げてくれと言います。ブカブに知り合いはいないのかと聞かれたけれど、誰もいませんでした。それで、ゴマに行きたいか、と聞かれたので、行きたいと答えました。とにかく、あいつらからできるだけ遠くに逃げたかったから。助けてくれた人はすごくいい人で、湖を渡って、反対側のゴマまで行く船のところで降ろしてくれ、船代をくれました。そしてプラスチック製の靴も。途中で靴をなくしてしまって、裸足だったから。その人がどこの誰かも分かりません。でも、絶対にその人の恩は忘れません。

 ボートに乗り込むと、頭が痛くて、寒いし、胸が痛くて、泣き出してしまいました。すると、女性がやってきて、どうしたのって聞いてくれて。帰るところもないし、どこに行ったらいいかも分からない、妊娠しているんだけれど、ゴマには知り合いもいない、と話しました。すると、この女性は船に乗っていた警官を呼んできてくれて、この警官が助けてくれると言ってくれたんです。ゴマに着いて、地元の警察に連れて行ってくれました。私は自分が病気だということ、妊娠中だということを言って、病院に連れて行ってもらいました。

 病院に着いたときは、もう泣き疲れるくらい泣いていて、レイプされた男の赤ん坊なんて生んでやるものか、と思っていました。自分も赤ん坊も殺してやりたいと思った。でも、ここの人たちはすごく親切で、真っ先に胸の傷を治してくれました。膿を出し、感染止めの薬をくれました。女性のカウンセラーが何度も相談に乗ってくれて、いろいろな話をしました。私は何も悪いことをしていない、私は大切な人間で、彼らはできる限りのことをして私を助けてくれると言ってくれました。ここに来なかったら、自殺していたと思います。だって、あの男たちのせいで妊娠したのも許せなかったし、自分に将来なんてあるとは思ってもいなかったから。

 心の中では、男たちを許せず、赤ん坊も愛せませんでした。でも、何度もカウンセラーと話しているうちに、男たちのことも許せるようになり、自分を恨みから解放することができるようになったんです。赤ん坊には罪はない。何も悪いことをしていないのだ、と。生まれたら、私のことが必要になるんだって。胸のほうは良くなって、もう痛みも消えました。いまだに泣くけれど、前よりはマシです。あまり悲しむのは赤ん坊にとっても良くないんだって分かっています。強くならないといけないのよね。今はこんな具合。

 この事件が起きる前は学校に行っていて、ジャーナリストになりたいと思っていました。父は、いい仕事だって言ってくれました。いろいろなことを学べるし、記事を書いて、みんなを助けることができるって。全部が落ち着いたら、ジャーナリストになりたいと思っています。今は妊娠7カ月。2カ月後に赤ん坊を産むまではここにいられることになっています。お医者さんたちは赤ん坊が無事に誕生することを見たいんですって。子どもを産んだら、ウヴィラに戻って、兄や弟、妹たちがまだ生きているかどうか確かめたいと思っています。生きていたら、きっと私の助けが必要だから。

コンゴ民主共和国でのユニセフの支援活動:
性的暴行を受けた女性に対する支援

 サフィが治療を受けているゴマの病院はDOC(Doctors On Call for Service=待機医師派遣サービス)によって運営されている病院で、保護と治療を必要としている人たちを男女問わず受け入れていますが、病棟は男女に分けられプライバシーが保たれています。ユニセフ・コンゴ民主共和国事務所は、病院に必須医薬品と外科用機器を提供し、現在、女性用の病棟を建設しています。女性病棟ができるまでの間、2張りの大型テントが提供され、ベッド、マットレス、毛布、蚊帳も提供されました。今はサフィとそのほか55人の女性や女の子たちが滞在しています。ユニセフは、ほかの団体とパートナーシップを結び、性的暴行を受けた女性や女の子を探し出し、治療が受けられるよう病院に紹介するシステムをとっています。ユニセフは、また、こうした女性や女の子たちをコミュニティにうまく戻す方法について、心理社会療法士を対象に研修を実施しています。

 性的暴行の結果、妊娠してしまった女性や女の子はサフィ以外にも数人います。しかし、それよりもケースとして多いのは、性的暴行が元で身体的苦しみを受けている女性や女の子たちです。こうした女性たちは、暴力によって「性器こうろう」になってしまうのです。これは、膀胱と膣、あるいは直腸と膣との間に穴が開き、尿や大便が漏れてしまう状態を言います。2003年4月〜9月の間に、病院にまわされた女性や女の子150人に手術がなされました。破損状況や感染状況によっては何度も手術を必要とするときがあります。2003年4月以来、性的暴行で病院にまわされた女性や女の子の件数は、973件で、7歳の女の子から80歳の老婦人にまでわたっています。病院にいる女性や女の子の12%はHIV陽性、性病にかかっている女性たちは38%に及びます。

 コンゴ民主共和国のほかの地域でも、ユニセフは性的暴行を受けた女の子や女性たちに同じようなサービスを提供しています。また、性的暴行を受けた女性や子どもたちを発見できるようコミュニティを中心とした支援ネットワークの強化も行っています。女性、若者、宗教者グループに、情報を提供したり、支援を必要としている女性や子どもに対処する方法などについても研修しています。また、社会への復帰、性的暴行の防止に向けての活動も始められています。具体的には保健員、軍人、警察、女性グループ、そのほかの人たちに対する性的暴行についての研修、避難民キャンプの女性や子どもの安全のための電灯の提供などです。

注)個人のプライバシーを守るため、匿名「サフィー」を使用しています。また、写真は、病院にいる人たちのプライバシーを守る形で撮影されています。

2003年10月23日
ユニセフ・西/中央アフリカ地域事務所
広報官 ケント・ページ

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