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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

フィリピン・ミンダナオ島台風被害
避難所のクリスマス

【2011年12月21日 フィリピン発】

洪水で破壊され、多数の犠牲者が出た町。人々は、「クリスマス」のことを考える余裕もありません。

現地時間の12月16日深夜0時近く、台風21号(現地名「センドン」・国際名「ワリ」)がミンダナオ島南部に上陸。わずか数時間で、1ヵ月分の降水量に達するほどの豪雨が、この地域を襲いました。

猛列なスピードで勢いを増したこの台風は、上陸後、各地で洪水を引き起こしました。まるで壁のような形で押し寄せた大量の泥水が橋を壊し、自動車を大破させました。イリガンの道路は、巨大な川と化しました。

被災者によると、泥水は、数分のうちに足首から肩の高さまで達し、避難したり、所持品を持ち出したりする時間はほとんどなかったといいます。

フィリピン政府国家災害対策委員会の報告では、死者は既に957名に上り、この数はさらに増ええるものと見られています。残念ながら、非常に多くの人々の行方がまだわかっていません。

「何もかも無くなってしまった」

© UNICEF Philippines/2011
「全てを失いました」と語る、台風の被害を受けたフィリピン・ミンダナオ島のイリガンのアニータ・ティンガスさん。

4人の子どもを持つアニータ・ティンガスさん(30歳)も、現在、イリガン市にある避難センターでの生活を余儀なくされている被災の一人です。ティンガスさんは、洪水に襲われた時の恐しい体験を話してくれました。

ティンガスさんの平屋の家は、洪水で流されてしまいました。洪水に襲われた時、ティンガスさんと、一番上がまだ8歳にならない4人の子どもたちは、近所の2階建ての家の屋上に避難して難を逃れ、数時間後に救助されたそうです。

「全てを失ってしまいました」と、ティンガスさんは話します。「家財道具や家電、衣類、子どもたちの学用品と教科書。何もかも無くなってしました。私たちに、“家”と呼べるような場所はなくなってしまいました。どうしたら良いのか、全くわかりません。」

洪水が奪ったのは家や家財道具だけではありません。安全な飲料水も無くなってしまいました。避難所でさえ、安全な飲料水だけでなく、電気、適切な衛生施設(トイレ)が不足しています。ティンガスさん一家をはじめとする避難を強いられた人々は、水を媒介とする感染症などの危機に晒されています。

ユニセフの対応

既に人道支援物資の第一陣を被災地に送り込んだユニセフは、さらなる支援を実施するために、フィリピン政府や他の人道支援団体と共に、被災地の詳細な被害状況の確認を急いでいます。

支援物資第1陣は、首都マニラとコタバト市から被災地に向けて急送されました。この物資には、浄水剤、貯水タンク、移動式トイレ、衛生キット、学校用品、防水シート、避難テント用セット、また、子どもたちの心理社会的な支援の一環として、レクリエーションキット等も含まれています。

ユニセフは、パートナー団体と協力して、避難所にお母さん方が安全に母乳を与えられる場所を設置するとともに、栄養補助食品の提供や、また子どもたちの栄養状態の緊急調査も行っています。被災した子どもたちの心のケアのための教員の研修も実施する予定です。

避難所のクリスマス

© UNICEF Philippines/2011
フィリピン・ミンダナオ島イリガンのサンタ・フィロメナ避難所で、子どもに食事を与えるアニータ・ティンガスさん。

身の回りのものを全て失い、苦しい日々を強いられている被災地の人々。しかし、そんな中でも、友人と遊んだり触れ合う時間を見出している子どもたちもいます。イリガンのサンタ・フィロメナ避難センターでの生活を余儀なくされているアイリーンさん(15歳)、エリザさん(10歳)、ビクリスチャンさん(11歳)も、避難所での生活の中で友情を深めています。

ビクリスチャンさんは、マンゴーの木の上で、7時間近く救助を待ちました。台風が通過した後、アイリーンさんは、自宅に戻りましたが、ほとんど全てのものが無くなっていました。3人とも、行方不明か死亡した兄弟姉妹がいます。

ビクリスチャンさんとエリザさんは、クリスマスまでに新しい家に移りたいと言います。アイリーンさんも、新しい家が欲しいと言いますが、「今こうして生きていて、両親も無事であることが、それだけで素晴らしいクリスマスプレゼントです。」と語っていました。

こうした子どもたちが、再出発する力と希望を抱いて新年を迎えられるように、継続的な支援活動と国際社会からの更なる支援が求められています。

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