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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

南スーダン: 日本の支援で建設された施設は、子どもたちの生命線

【2013年4月1日 南スーダン発】

© UNICEF South Sudan/2013/Knowles-Coursin
南スーダンの首都ジュバにある「トットちゃんセンター」の前で、出迎えたエルザエ・レドゥ・ロケ 州社会開発長官に挨拶する黒柳徹子大使

黒柳徹子ユニセフ親善大使が、世界でもっとも若い国、南スーダンを訪問。20年前、自ら先頭に立って呼びかけた募金キャンペーンで、首都ジュバに設置された武力紛争の影響を受けた子どものための心のケア施設「トットちゃんセンター」を視察。このセンターで初めて保護された‘最初の子ども’にも会いました。

黒柳さんが呼びかけに応えられた日本の方々の募金で、子どもたちの命と希望を守るための心のケア支援を提供する施設「トットちゃんセンター」が建てられたのは、今から17年前。以来、この施設は、南スーダンや隣国の子どもたち、数千人の命を守り続けてきました。

その施設を、先日、黒柳大使が初めて訪問しました。

欲しいものは、平和と学校と優れた教師

© UNICEF South Sudan/2013/Knowles-Coursin
南スーダン西エクアトリア州ンザラにあるザレダ小学校で、出迎えた数百人もの子どもたちの歓迎を受ける黒柳大使

女優、テレビ司会者、ベストセラー作家として活躍している黒柳徹子さんは、ユニセフの活動にも熱心に取り組んでくださっている日本で最も人気のある著名人のひとりです。黒柳大使は、今回7日間にわたった南スーダン滞在中、首都ジュバの「トットちゃんセンター」を訪問。武力紛争の影響を受けた子どもたちや、その子どもたちのケアに献身的に取り組むスタッフの話に耳を傾けました。

黒柳大使が初めてジュバを訪問したのは、スーダンで内戦が続いていた1993年。その時は、裸足で生活している何百人もの子どもたちに出会いました。「当時は、食料や衣類だけでなく、多くのものが全く足りていませんでした」「それにもかかわらず、子どもたちが一番望んでいたのは、『平和と学校と優れた教師』だったのです。そんなひどい状況の時でさえも…」。長年ユニセフの活動を支えてくださっている黒柳さんは、こう語りました。

黒柳大使は帰国後、日本の方々にスーダンの子どもたちのための募金を呼びかけ、この施設の建設資金30万米ドルの資金が提供されました。施設は1996年に完成。黒柳さんの子どもの頃のニックネームを取って、「トットちゃんセンター」と命名されました。

子どもたちの命綱

あれから20年。黒柳さんは、今回、16年前このセンターに初めて保護された‘子’、パトリックさん(仮名)に会うことができました。28歳になったウガンダ出身のパトリックさんは、11歳の時、ウガンダ北部の学校から、(反政府武装勢力の)神の抵抗軍(LRA)に拉致されました。黒柳さんは、このセンターがパトリックさんの命を守るライフラインとして、どのような役割を果たしたのかを聞くことができました。

「LRAは、私たちに動物のような生活を強要し、銃の使い方を教えました。とても耐えられませんでした。2回脱走を試みましたが、捕らえられてしまいました。複数で私を殴り、1週間もの間、ロープで吊るされました」 (パトリックさん)

「トットちゃんセンターに行くと、ロングおじさんが直ぐ病院に連れて行ってくれました。医師が、傷を治療してくれました。それからセンターに戻って、6ヵ月間過ごしました」

‘ロングおじさん’と呼ばれている、初代のトットちゃんセンター所長ジム・ロングさんは、パトリックさんを保護しました。そのロングさんの行為が、パトリックさんの、その後の人生を決めました。

1997年、まだ子どもだったパトリックさんは、ロングさんを助け、武装勢力から逃れてきた他の子どもたちの面倒を見始めました。中には、ジュバの街中に隠れていた子どももいました。さらに15人の子どもたちを救い出し、保護しました。「LRAは、当時、逃げた子どもたちを捜し続けていました。ですから、子どもたちを守る活動には危険がつきものでした。ですから、活動ができる限り公にならないように、いつも気を遣いながらセンターを運営しなければなりませんでした。私を含め、全てのソーシャルワーカーの生活は、危険に満ちたものでした。当時は、コミュニティからも、子どもたちへの脅迫やいやがらせもありました」(ロングさん)

ユニセフは、その後、パトリックさんをスーダンの首都ハルツームへ移動させ、さらにウガンダのカンパラに安全な場所を確保しました。LRAの脅威から逃れたパトリックさんの心の傷は和らぎ、大学を目指し勉強に集中するようになりました。

支援された子どもは、2,500人超

© UNICEF South Sudan/2013/Knowles-Coursin
「トットちゃんセンター」に保護された最初の“子”、パトリックさん(仮名)は、現在28歳。「トットちゃんセンター」がなければ、現在の彼はない。

「パトリックさんにお会いしてお話を伺うことができて、とても嬉しく思います」「大変な幼少期を過ごさなければなりませんでしたが、一生懸命頑張って、立派な男性に成長されていました」

「危険な状況に身を置きながらも、献身的な活動を続けていらっしゃるロングおじさんはじめソーシャルワーカーの皆様の姿にも感銘を受けました。たくさんの子どもたちのお父さんやお母さんを見つけるだけでなく、子どもたちの人生の目標も見出してきたのです」 黒柳さんは、こう話しました。

ロングさんによると、このセンターが支援してきた子どもの数は、これまでに2,500人を超えます。中央アフリカ共和国やコンゴ民主共和国、エチオピア、スーダン、ウガンダからやってきた子どもたちでした。このセンターは、心理社会的ケアを提供するほか、一時収容施設・ケアサービス施設としての機能を持ち、また、離散した家族の捜索や再会支援、社会福祉サービスも提供しています。

「『トットちゃんセンター』は、(この町や私たち、そして子どもたちの)ランドマークです。何千人もの子どもたちに“帰る所”を与えてくれました。そして、様々なトラウマからの回復を手助けしているのです」 ユニセフ・南スーダン事務所のヤスミン・ヘイク代表は、こう話しました。

「日本に帰ったら、日本の皆様が寄せてくださった募金が、パトリックさんのような子どもたちを救うために使われたことを報告したいと思います。センターへの訪問は、今回の南スーダンの訪問中、最も嬉しいことのひとつでした」(黒柳さん)

黒柳大使は、今回、3月14日から20日の日程で、“世界で最も若い国”の南スーダンを訪問。首都ジュバでは、子ども病院や帰還難民の一時滞在施設、ラジオ局、日本の自衛隊による道路建設など、子どもと女性のための様々な取り組みを視察しました。その後、西エクアトリア州に移り、こちらでも一時滞在施設やHIV/エイズのカウンセリング施設、ヤムビオとヌザラの産科病棟を訪問。ポリオの予防接種キャンペーンも視察しました。

パトリックさんは、トットちゃんセンターと、ロングおじさんがいなかったら今日の自分はなかったと、黒柳さんに感謝の意を述べました。

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