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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

ユニセフシンポジウム
子どもの権利条約採択満18年記念

「取り残される子どもたち」
〜世界の子どもたちが背負う、私たちの課題〜

■日 時 :2007年11月19日(月)18:30〜20:00
■場 所 :よみうりホール(有楽町)
■主 催 :財団法人日本ユニセフ協会
■参加者 :外務省、読売新聞社

「子どもの権利条約」が採択されてから、今年で満18年。しかしながら、いまだ「子どもの権利」が十分に守られているとは言い難い状況が存在しています。多くの方に世界の子どもたちがかかえる現状、ユニセフの活動をお伝えするために開催された今回のシンポジウムでは、ほとんど満席になるほどたくさんの方々にご参加いただきました。

■プログラム
  1. 基調講演「ミレニアム開発目標の達成に残された課題」
    (クル・ゴータム ユニセフ事務局次長)
  2. 基調報告「インド・ムンバイ スラム地域視察報告」
    (アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使)
  3. パネルディスカッション
■パネリスト クル・ゴータム ユニセフ事務局次長
平野裕二 子どもの権利専門家・ARC代表
高見のっぽ 俳優・作家
東郷良尚 日本ユニセフ協会 副会長
■司会
  • アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使
■主催者挨拶
  • 早水 研 日本ユニセフ協会 専務理事

主催者挨拶

早水 研 日本ユニセフ協会 専務理事

本日は、お忙しい中、ユニセフシンポジウムにお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。

1989年11月20日に国連総会で採択され誕生しました子どもの権利条約が、明日、満18歳の誕生日を迎え、成人となります。しかしながら、ほとんどすべての国に同意されているにもかかわらず、世界には、この子どもの権利に守られることなく、取り残されてしまった子どもたちがまだまだ大勢いる現状があります。本日は、こういった取り残された子どもたちの現状と、すべての子どもたちの生存、発達、保護、参加という子どもの権利実現を目指すユニセフの活動についてご報告の上、今後の課題について、皆様とご一緒に考えてまいりたいと思っております。

基調講演 「ミレニアム開発目標の達成に残された課題」

クル・ゴータム ユニセフ事務局次長

18年前、子どもの権利条約が、国連によりまして満場一致で採決されました。そのとき我々は、ユニセフの歴史の中でも最も幸せな一日としてお祝いいたしました。そして、明日、我々は、この子どもの権利条約18周年を迎えることになります。世界で最も迅速に、そして普遍的に受け入れられたこの人権条約を、我々は非常に喜んでおります。

子どもの権利条約は、ユニセフが活動を続けるうえでのガイドとなりました。そしてまた、さまざまな組織や、子どもたちの幸福を願い、そのために活動する人々にとっても、非常にすばらしいガイド役となったわけです。世界の子どもたちにとっても、この条約は希望の光となりました。特に、世界の中の、恵まれず、差別され、力を奪われてしまった子どもたちにとっての光となりました。

人間の歴史を通じて、人々は皆、子どもたちのニーズは満たしてやらなければならない、子どもたちにはニーズがあるのだということを認識してまいりました。また、子どもたちには優しく、愛情をこめて接しなければいけないとも認識しています。子どもたちは、病気や栄養不良から保護されなければなりません。虐待やネグレクトからも守ってやらなければなりません。子どもたちは、養育、レクリエーション、楽しみの機会も、みな平等に与えられなければなりません。

しかしながら、子どもたちには、ニーズだけでなく権利もあるのだという考え方は、20世紀終わりごろになっても、まだ革命的な考え方だと思われていました。ほんの2世紀ほど前まで、専制君主による権利のみが、ほとんどの社会の中では権利として認識されていました。そして、ほかの権利と言われるものは、国王や皇帝といった立場の人たちが、自分たちが施す善行によって特権として受け入れているものと考えられていたわけです。世界の中でも最も先進国と言われている国でも、女性の権利は今世紀初めまで男性と同等ではありませんでした。来年60周年を迎える、世界人権宣言をもって初めて、法定化された形で、すべての人間は生まれながらに備わった奪うことのできない権利があるということが認められたのです。社会経済的、文化的な、子どもの権利の中には、子どもの幸福も入りますが、それはまだ権利というよりは非常に望みの高いゴールであると思われておりました。そして、子どもの権利条約が採択されました。これは非常に歴史的な重みを持つ大きな出来事でありました。人類の進化の中でも非常に大きな出来事です。

子どもの権利条約は、すべての子どもたちの権利として、身体的、精神的、社会的に自分の持つすべての可能性を育てることができる、自分の持つ意見を自由に述べることができる、自分たちの将来にかかわる意思決定に参加することができるというものを認めたのです。このような権利の中には、名前を持つ権利、国籍を持つ権利、表現の自由、虐待や搾取、差別から守られる権利、自分たちの幸福に影響を与える意思決定に参加する権利が入っています。そして、子どもの権利条約の中でも最近、採択されました二つの選択議定書の中では特に、子どもたちを戦闘から守り、人身売買や性的搾取から守るということがうたわれております。

子どもの権利条約の起草者は、権利条約批准後でも、すべての国々、特に低所得であり後発開発途上国と言われる国々ではまだ、すぐに子どもたちの生存の権利や育成、保護を実行できないかもしれないということがわかっておりました。そこで、起草者たちは、子どもたちの社会的、経済的、文化的な権利を保護するために、国家が皆パートナーシップを組み、活用できる最大限の資源を使って、国際協力という枠組みのもとでこれを実現しなければいけないと決めたわけです。ですから、富裕国も貧困国も、条約のもとに子どもたちの権利を満たす責務があるのです。

そして、この大きな条約のゴールを、現実的に段階を追って達成していくために、国際社会は協調して、ある特定の期限つきのゴールを定め、すべての国々が参加し、開発のレベルがどのくらいであろうと、ある政治的なコミットメントをもってそのゴールを達成することを決めたわけです。1990年に行われた「子どものための世界サミット」が、最初のゴールにすることを設定しました。その10年後、さらに進化した形でミレニアム開発目標が掲げられました。これは、今現在、世界の開発のアジェンダとしてあるものであります。

子どもたちは、このミレニアム開発目標の一部というだけではありません。子どもたちは、まさにこの開発目標の中心にいるのです。そして、非常にすばらしい文書「子どもにふさわしい世界」の中で、2002年「国連子ども特別総会」において、いかに「ミレニアム開発宣言、開発目標にとって子どもたちの需要を満たすことが重要なのか、子どもの権利を満たすことは目標そのものにとっても非常に重要であるということが決められたわけです。来月、この特別総会のフォローアップとして、中間期のレビューが行われます。国連事務総長の報告であります「子どもたちとミレニアム開発目標〜子どもにふさわしい世界に向けて」という報告書は、まさに今までに何が達成できて、これからも何をしていかなければいけないかがよく表現されています。

子どもの権利条約の法的な、道徳的な力のおかげで、また非常に広範囲にわたるミレニアム開発目標の政治的な合意のおかげで、子どもの生存、育成、保護の中で、非常に大きな進展が見られました。現在の子どもたちは、より長く生きることができ、より健康で、よりよい教育を受けることができ、今が人間の歴史の中でも一番権利を与えられている時だと思います。最近、ユニセフは、この50年間で初めて、年間の5歳未満児死亡数が一千万人を切ったと発表いたしました。同じ期間で、子どもの数がたくさん増えましたが、このようなすばらしい目標を達成いたしました。

開発途上国、また、さまざまな人たちによる、子どもたちのための健康、教育、水やインフラ、子どもの保護のための投資が増えてきています。その一例として、グローバルな形でのヘルスケア、例えばHIV/エイズ、マラリア、結核のための基金などが非常に多く立ち上がってきています。また、世界は、よりドラマチックなITという技術を使って、新しい方法で、基本的なサービスの構築を進め、人類の発展に貢献しています。

子どもの権利条約が採択されてから、ほかにも非常に重要な国際標準が採択されてきています。それらが、子どもの権利を次々と促進しています。

子どもの権利条約のおかげで、また子どもの参加への呼びかけのおかげで、今、子どもたちは、みんなの注目を得られるだけではなく、子どもたち自身の意見も公の場で、政策の場で言うことができるようになりました。幾つかの国々では、子どもたちの議会がつくられて、民主的かつ参画型の意思決定のプロセスを子どもたちがみずから学ぶことができるようになりました。最近では、子どもたちや若者たちがG8、主要国首脳会議に参加して、自分たちの意見を、世界の最も力あるリーダーたちに述べたこともあります。このような背景から、来年、北海道において、ユニセフと日本政府は、J8というサミットをG8サミットにあわせて開催することになりました。

多くの国々が国家的な委員会をつくり、オンブズマンを任命して、子どもたちの権利のために子どもの権利条約をモニターし、進めていく役割を担っています。

子どもの権利は、学校のカリキュラムにも取り上げられています。特に、教師や専門家たちへの特別なトレーニングも行われています。その中には、子どもたちと接する機会のある警察官や、ソーシャルワーカーの人たちへのトレーニングもあります。

このように進捗状況は見られますが、まだまだ貧困や不平等がはびこっています。HIV/エイズもまだなくなっていません。世界じゅうの至るところで行われている紛争が、まださらなる進展を妨げております。世界の中でも、国々の間、また人々との間で不平等が広がってきております。先例のないほどの経済成長の中で、多くの後発途上国がますます追いやられている状況になっています。人間の進展に大きく貢献した、輸送や貿易、コミュニケーションなどという手段が、今、女性や子どもの違法売買や薬物、武器の不法取引にも使われています。天然痘やポリオ、はしかなどは撲滅したと我々は思っておりますが、新たにHIV/エイズ、SARS、鳥インフルエンザの脅威などが広がり、さらなる進捗を妨げている状況です。それらの課題すべてが、より多く子どもたちに対して投資しなければいけないという声になり、広がっていきます。より強いパートナーシップを組んで、国際的な協力をますます増やしながら、子どもたちの権利、政府の安定したコミットメントも増やしていかなければなりません。子どもの権利、育成に関しては、明らかにまだ不平等で不適切であると思っております。進展といった意味では、我々はまだ二歩進んでは一歩下がっている状況ではないでしょうか。しかしながら、全体的に見れば、我々は進展しているのです。

子どもが成長するチャンスは一度しかありません。もしそのときに、十分な栄養を与えられず、適切なヘルスケア、教育、社会心理学的な発達を子どものうちに得られないと、それらを取り戻す二番目のチャンスは、もうないのです。だからこそ、子どもたちに社会の資源を最も優先して与えなければいけないのです。いいときにも悪いときにも、豊かなときも、厳しい中でも、子どもたちに対して最初に手を差し伸べる必要があります。

ここにお集まりの私たちの友人の皆様、結論を申し上げる前に、特に私からここで、本日の開催国である日本について、また日本の子どもの権利条約に対するコミットメントについて述べさせていただきたいと思います。

日本という国は、子どもたちに対し、その先端に立って、そして開発途上国の先端に立ってさまざまな活動を行って、ミレニアム開発目標を達成しようとしてきました。日本政府、日本国民は、日本ユニセフ協会の仕事を通して、グローバルなリーダーとなって子どもたちのための予防接種やポリオの撲滅、感染症管理、基本的な社会サービスの提供を、アジアの国々に対しても施してまいりました。最近では、アフリカの開発のためにも、アフリカ開発会議(TICAD)を通して貢献しています。子どもの権利を守る分野では、特に日本はリーダーとなって、人身売買や性的搾取と闘い続けています。日本ユニセフ協会は、すばらしいチャンピオンとなって、この条約のために非常に重要な支援者となり、子どもたちを商業的、性的搾取から守るために活動している。それに対して、我々は非常にうれしく、誇りに思っています。

ユニセフは、子どもの権利を守っていくことが人類の発展と安全のために最も重要な部分であると信じています。この条約は成熟期に入りつつありますが、進捗状況は、今のところ、非常にすばらしいものではありますが、まだ十分とは言えません。すべての子どもたちに毎日の生活の中で子どもの権利が実現されるまで、我々も満足することはありません。国家政策、国際関係といった非常に大きなスキームの中で、より緊急な課題が山積していると思われるかもしれません。しかしながら、子どもの権利を満たす、子どもを幸福にする、それ以上の重要なことは何もないと私は信じ、皆様方も信じてくださるものと思います。

基調報告「インド・ムンバイ スラム地域視察報告」

アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使

ユニセフシンポジウム 子どもの権利条約採択満18年記念「取り残される子どもたち」にご来場の皆様、こんばんは。アグネス・チャンです。ほんとうです(笑)きょうは、皆さんの前でムンバイの報告ができることを、ほんとうにとても楽しみにしていました。

今回、ことしの六月にまいりましたけれども、ムンバイという街で、スラムをまわって子どもたちに出会うことは初めてでした。私のイメージも、先進国ですごく進んでいるところ、特にムンバイというのは、インドの中で一番豊かなまちだ、一番いいまちだと聞いていましたので、そういう気持ちで参りました。ところが、全くイメージと違っていました。

インドに関する統計を見てみると、インドはユニセフから一番支援金をもらっている国です。それには私もびっくりしました。なぜか。子どもたちの数が多いからです。4億2千万人も18歳未満の子どもたちがいるんです。その子どもたちの現状はどうなのかというと、生まれてきた子どもたちの35%しか登録していないそうです。要するに、65%の子どもは登録されていない。そういう子どもたちの多くは、ちゃんとした病院では生まれていないということになります。

学校に行ける子どもたちで小学校を卒業できる子どもたちは、4人に1人。実は、インド政府も教育にすごく力を入れようということで、私たちもよく、算数がよくできる、とても賢い子どもが多いと聞きますよね。でも、残念ながら、小学校を卒業できる子は4人に1人ですから、25%です。75%の子は小学校を卒業していない。たくさんの子どもたちが、実は学校に行っていないということです。だから、私たちが触れている、聞いている話は、ほんの一部のインドの子どもたちのことです。

そして、半数の子どもたちは栄養不良です。思春期になると、95%の女の子が貧血です。それは、ちゃんと栄養があるものを食べていないということを示しているのですが、もう一つは、やはり男女の差があるのではないか、女性がこの国の中ではまだまだ不利な立場にあるのではないかと、数字からわかりますよね。

インドは、子どもが働いている児童労働の絶対数が世界で一番なんです。子どもたちがたくさん働いているということなんです。それはつまり、親がちゃんと子どもたちを養えないという状況です。だから、子どもたちが働かなきゃいけないということになってしまいます。

今、インドには11億人が住んでいて、ミドルクラスがすごく増えていると言われているそうですけれども、その中流と言われる人たちは、10億人の中で8千万人いると聞いています。1割いないんです。その一方、人口のおよそ三分の一の人たちは、一ドル未満で毎日生活しています。ムンバイに訪問しても、それが見えてくるわけです。インド映画のなかの世界や、最近のインドの報道されているような良い生活をできる人は一部です。

私がムンバイに着いたときにびっくりしたのは、高層ビルが立ち並んでいるのかなと思ったら、上空から見た街の様子は、ほとんどスラムでした。NGOのスタッフの話によると、50数パーセントから70パーセントの人たちは、スラム街に住んでいるということなのです。ムンバイのスラム人口は、聞く人みんな違う数字を言うのです。正式な数字はないようです。地方からどんどん出てくるようで、1600万人から1800万人、または、1700万人、2000万人と、すごく変動するのだそうです。

私は、毎日スラムを歩きました。そこで会ってきた子どもたちの話をすれば、スラムがどういう状況なのか、皆さんにお伝えできるかもしれないですね。

スラムに入るのはちょっと大変です。ごみも多い。ごみの山になっているところもあります。ハエはもちろん、カラスやヤギや犬や猫も集まってきます。それを避けながら歩いていかなきゃいけない。においもかなりきついです。そのなかでたくさんの子どもたちが遊んでいます。食べている、用を足している、お母さんが洗濯している、笑っている子ども、泣いている子ども・・・。とてもにぎやかなスラムです。スラムにある道はすごく狭いので、身をかがめて歩いていきます。

その中で、私はたくさんの子どもたちと友達になりました。その中の一人がチャンダンという子ですけれども、彼は今、13歳で、9歳のときにお母さんが亡くなりました。それで、お父さんが家を出ていってしまいました。家族にはお姉ちゃん、弟、妹がいます。その家族を助けるために、車を洗う仕事を始めたのです。その仕事は自分で考えついたみたいですけれども、彼が住んでいるスラムの外に出れば、リクシャーという、三輪車のタクシーみたいなちっちゃい車の運転手が、車をとめて仕事に行きます。そこで「洗わせてください」と、その車を洗ってお金をもらって、何とか生活しようとします。たまには、高いところに上って、電球をかえたりする仕事もするんですけれども、そういった仕事はあまりないそうです。仕事がたくさんできた時は、日本円にして300円とか、600円を稼げる。一日、何も仕事がないときもあります。

チャンダンは、お母さんやお父さんがいたときは学校へ通っていました。今でも学校へとても行きたいそうです。でも、毎日働かなきゃいけないし、半年で、日本円にしたら2700円かかる。その2700円がないから、彼は学校へ行くことができないのです。彼は朝6時、5時に起きて、仕事場へ行きます。私も一緒に行ったんですけれども、朝、彼と同じぐらいの子どもがどんどん通って学校へ行く姿が見えます。でも、彼は行けないんです。学校へ行くための2700円がないのです。

毎日食べることができないとまではいかない状況であっても、子どもたちは働いています。でも、チャンダンは違法です。実は、インドでは、14歳以下の子は絶対働いちゃいけない、雇ってはいけない。捕まったら罰金が課せられるそうです。子どもが罰されるのではなくて、雇った人が課せられるのですが、それでも周りの人たちは子どもに仕事をさせるんです。これは大きなジレンマだそうです。チャンダンみたいな子がもし働けなかったら、一家が食べられなくなって、生活ができなくなりますから、周りもそれをわかっているせいで、つい頼んでしまうのです。

家を出て行ったチャンダンのお父さんが、実は私たちが訪ねる4か月前に戻ってきたそうです。そして、ちょっと調子が悪いといって検査しに行ったら、HIV/エイズにかかっていたそうです。だから、今、チャンダンはお父さんの体のことも心配しなきゃいけない。もしかしたら九歳のときに亡くなったお母さんもHIV/エイズだったのかな・・・と思うのです。インドは今、南アフリカに次ぐHIV/エイズの患者数が多い国です。そういう働き盛りのおとながどんどん死んでしまうと、チャンダンみたいな子はみんな、親に面倒を見てもらえず、自分たちの力で何とか生活していかなきゃいけなくなってしまいます。

でも、チャンダンはまだいいほうです。きょうだいがいるから、なんとか働くことができて、時々はおなかいっぱいにも食事できる。その一方で、道端にはたくさん子どもたちがいることに気づきました。夜になると、どこからか子どもたちが現れます。そして、ちょっとでも屋根のあるところに、すき間なく横たわって寝ます。駅に行くとびっくりします。ストリートチルドレンじゃないんです。ストリートピープルです。バイクの下にもぐりこんで寝る子もいます。雨よけになるからです。ストリートピープルの数は、皆よくわからないと言うのですが、NGOの人は、少なくとも身寄りのない子どもたち、親と一緒にいないで外で寝ている子は20万人いると話しています。

そこで、私たちは一人の少年と会いました。リンクーです。13歳。今度はお父さんが死んで、お母さんが子どもたちをおいたまま家を出て行ってしまいました。お姉ちゃんと一緒に生活していたんですが、お姉ちゃんが嫁いで、その夫がリンクーに暴力をふるうのです。ご飯も食べさせてもらえない状況になり、彼は三日間かけて、電車の中に隠れて、ひとりでムンバイにやってきました。

でも、結局、路上で生活するしかない。最初はほんとうに苦労したらしいです。でも、そのうちに彼はお友達ができた。目の見えないおじいさんです。彼は、その目の見えない、道端でお金をもらって生計を立てているおじいさんの面倒を見るようになった。そのおじいさんには仲間がいます。1人はハンセン病の少年、1人は足のないおじさん。4人みんなそれぞれ大変なんですけれど、助け合って生活していました。リンクーも帰るところがない。リンクーは、唯一の家族をムンバイの道端で見つけたのです。

リンクーはすごい咳をしていました。皆さん、ご存じのように、世界で子どもたちの命を奪ってしまう大きな原因の一つは、肺炎・気管支炎です。薬がない、医者のところに行けないで、死んでしまう子がたくさんいます。ストリートチルドレンにとって、そういう病気にかかるのが一番怖いことなのです。伝染病にかかってしまい、助けも求めることもできないと、そのままある日突然弱って、死んでしまう。私はリンクーのことも、とても心配しました。

さらに、私はプージャという女の子と会いました。その子はスラムの中で生活している子なんですが、10歳のときにお母さんが、お父さんの暴力に耐えられず、一番下の子を連れて田舎へ帰ってしまいました。そうしたら、プージャは学校に通い続けることができなくなり、ずっと家事をさせられました。プージャは14歳。お母さんが家を出ていってしまってからは、お父さんは彼女に暴力をふるうのです。どういう暴力だったのでしょうか。叩かれたりするような暴力なのか、それとも性的な暴力なのか、私はプージャに聞くことができませんでした。

プージャは年下のきょうだいたち、お父さん、おばあさんの面倒を見ているから、学校には行けなくなりました。お父さんは、「女は学校に行かなくていい、行っても損するだけだ」と話しているのだそうです。

私がプージャと話をしていたら、プージャが突然「実は、私、あした家出するんです」と言ったのです。私は「ここで話したら、みんなに聞こえちゃうんじゃない?」と言いました。彼女は本気でした。何とかお母さんのふるさとに行きたい。きょうだいを連れて行くんだと話しました。結局、プージャはその日は行くことができませんでした。でも、その一週間後、スタッフが再びプージャを訪ねたところ、お母さんのところへ行くことができたそうです。

スラム街の中では、プージャのような子どもたちがいます。スラム街の中ではチャンダンのような子もたくさんいます。路上にはリンクーがいっぱい暮らしています。路上には、夜眠っていて、朝になっても起きあがれない人もいます。そのまま亡くなっていたり、病気になっているというような状況です。

その一方で、ムンバイには大金持ちがたくさんいるそうです。そういう人たちは、どんな気持ちなのだろうと考えてしまいました。

スラムの中でも家賃を払わなくてはいけません。先にスラムに入った人たちは、地主になることができます。そして、家賃をとって人を住まわせるのですから、家賃を払えない人は追い出されます。追い出された人たちがつくった、新しいスラムで、若い父親、母親と出会いました。二人の子どもがいました。1歳と3歳です。カーストの問題もあって、彼らにはできる仕事がありません。なかなか見つかりません。毎日、毎日、日雇いの仕事をその日暮らしで続けているのですが、ゴミの処理とか、下水道の仕事しかないそうです。二人はそろって仕事に出かけていってしまいます。

1歳、3歳の子は、二畳半ぐらいのほんとうに小さな小屋の中で寝ています。収入があった日は、一食食べることができます。仕事がない日は、おなかがすいても、みんなで我慢するのだそうです。一歳の子の体重は4キログラムです。子どもが生まれたときは、すでに2〜3キログラムですから、ほんとうは一歳ぐらいの子は9キログラムぐらいになっていなくてはならないはずです。4キログラムは、その半分ぐらいです。3歳の子はまだ喋ることができません。その子の体重も9キログラムです。もう極端な栄養不良です。満足に食事ができない人がたくさんいます。昨日は食べることができたけど、今日は食べることができない・・・というような状況です。

お父さんに、「一番の楽しみは何ですか?」と質問しました。私はきっと「子どもの成長よ」と答えてくれるだろうと思っていたら、「何にもない」のだそうです。「私も8歳でお父さんについてムンバイへやって来た。でも、今28歳。前と全く同じ生活。良くなることなど無い。何にも楽しいことなどない」と答えたのです。

お母さんに同じ質問をしたら、お母さんは、大きいため息をして泣き出しました。農村の貧困と、街に住んでいる人たちの貧困は違うものです。農村は、ひどい干ばつがあっても、いつか再び大地から恵みを受けることができます。川、海、山に行けば、食べ物を採ることができます。

でも、街ではそういうことができません。自分の力だけが頼りです。働かなければ、食べることができないのです。もし働くことができない場合はどうなるんですかと私が現地の人に聞いたら、仕方なく、男の人は血を売ったり、内臓を売ったり、女の人は体を売ったり、子どもを売ったりするのではないか、ということです。どうでしょう。日本に住む私たちにとっては想像ができないような、貧富の差の現実です。取り残された子どもたちがインドへ行けばいっぱいいます。でも、インドだけではありません。今日、これからのシンポジウムを通じて、今まで私が見てきた取り残された子どもたちの姿を、皆さんにも知ってもらいたいです。そして、どうすれば一人でも多く、一日でも長く、そういう子どもたちが生きることができるのか、皆さんと一緒に考えてまいりたいと思います。

私たちは日本というすごく恵まれている国に生活していますから、なかなか他の国で苦しんでいる子どもたちの姿を知ることができないと思います。こうやって現地を視察し、子どもたちとお友達になって、こうして皆さんに彼らの話ができたのは、ほんとうにうれしく思います。どうか、プージャやチャンダンとリンクーを忘れないでください。そして、世界のは貧富の差で苦しんでいる子どもたちがいっぱいいることも、忘れないでいただきたいと思います。ありがとうございました。

写真:© 日本ユニセフ協会

■パネルディスカッション

  1. 世界の現状−なぜ子どもたちは「取り残される」のか
  2. 何をしなければならないのか?そして日本の子どもたちの問題は
  3. 日本は何をすべきか、何を求めるのか

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