メニューをスキップ
日本ユニセフ協会

ウクライナ緊急募金

ウクライナ戦闘激化から1年
キーウ出身の広報官が語る、ユニセフ支援と日本との絆 オンラインインタビュー(聞き手:アグネス大使)

2023年2月24日東京

ウクライナで戦闘が激化してから本日で1年。今なお、790万人の子どもたちがこの戦争の影響を受けています。今月上旬、ウクライナ緊急支援活動に携わった、ユニセフのユリア・ユロバ広報官(ウクライナ・キーウ出身)を、アグネス・チャン ユニセフ・アジア親善大使が、オンラインでインタビューしました。

2011年からユニセフ・ウクライナ事務所の広報官として勤務し、2014年にウクライナ東部の紛争が勃発したとき、戦闘地域に赴き、国内避難民の家族や子どもたちの状況を伝え、ユニセフの緊急支援へのご協力を呼びかけました。その後、他の国際機関でのキャリアを重ね、2019年に再びユニセフに戻り、現在も広報官として勤務しています。昨年2月にウクライナでの戦闘が激化した数週間後、ウクライナとルーマニアとの国境に派遣され、国外に避難する子どもたちと家族への緊急支援活動に携わりました。

 

ウクライナ紛争 激化から1年
ユリア・ユロバ広報官が語る、子どもたちの窮状と日本への感謝

 

下記は、インタビュー動画のユロバ広報官の発言を一部抜粋、編集したものです。

すべてが一変したあの日から、私自身が経験してきたことを

首都キエフで、破壊されたアパートの前に立つ女の子。(ウクライナ、2022年2月25日撮影)

© UNICEF/UN0597997/Skyba for The Globe and Mail
首都キエフで、破壊されたアパートの前に立つ女の子。(ウクライナ、2022年2月25日撮影)

皆さまご存じの通り、約1年前の2月24日、すべてが変わりました。その日、故郷にいる父から、ウクライナで戦争が始まったことを聞いたとき、私はショックを受け、絶望に打ちのめされました。それから1年の月日が経過しようとしています。

この間、私は隣国のルーマニア、そしてウクライナで、ユニセフの支援活動をそばで見てきました。ユニセフは、戦闘が勃発した初期から、国境沿いにブルードットという支援拠点を設置し、ウクライナ国内で子どもたちと家族を支援してきました。

皆さまは、首都キーウの中心部やその他の都市で、建物が破壊された映像や画像を、テレビや報道でご覧になっていると思います。

今日私がお伝えしたいのは、テレビなどでは大々的には報道されない、私自身が実際に見て来たユニセフの支援です。ルーマニアやウクライナでユニセフがどのような緊急支援活動をしているのか、そして、そこで出会った子どもたち、ウクライナの人々の思いなど、私自身の経験を通じてお話しできたらと思います。

「この戦争を止めたい、ウクライナの未来を再建したい」

ユリア・ユロバ広報官と祖父のグリゴリーさん(ウクライナ、2022年10月9日撮影)

© UNICEF/UN0721324/Latayko
ユリア・ユロバ広報官と祖父のグリゴリーさん(ウクライナ、2022年10月9日撮影)

私の家族は、今もウクライナに留まっています。去年の2月、キーウの街が本当に危険な状態になるまで暮らしていて、一時的にウクライナ西部に避難しましたが、数カ月後にはキーウに戻りました。

私の祖父は93歳で、第二次世界大戦の退役軍人なので、祖父にとっては二度目の戦争です。だから今回の戦争が始まったとき、祖父は「ここは私の故郷だ。ここに残り、守りぬくんだ」と言いました。それが祖父の、そしてウクライナの人々の決断でした。国に残ることを決めた多くのウクライナの人々の決断を、私は心から尊敬しています。

つい先ほども、キーウにいる父と話したばかりです。ウクライナでは停電が頻繁にあって、電話も途切れがちなので、話ができると、とても幸せな気持ちになります。

多くのウクライナの家族はウクライナ国内に留まっています。彼らは精神的にもとても強く、共通の思いを持っています。「この戦争を止めたい、そして美しいウクライナの未来を再建したい」という願いです。

暴力にさらされる子どもたち

私が支援活動をしていたウクライナとルーマニアとの国境で、ある男の子と話しました。彼は、通っていた学校が爆撃されたこと、その様子を通りを挟んだ反対側から目撃したことを、話してくれました。幸運にも、彼自身はケガをすることなく無事でした。

病院が狙われ、一般市民が爆撃のターゲットにされています。そして、子どもたちが戦闘に巻き込まれているのです。

昨年2月以来、780万人の子どもたちが、この戦争に巻き込まれ代償を払っているのです。非常に多くの数です。ウクライナの子どもたちは、家族から引き離され、自宅を追われ、友だちとも離れ離れになり、学校にも通えなくなりました。暴力を目撃し、破壊行為を目撃し、トラウマも抱えています。

イサクチャ(Isaccea)の国境を渡り、家族11人でルーマニアに避難するウクライナ難民。(ルーマニア、2022年3月1日撮影)

© UNICEF/UN0599555/Moldovan
イサクチャ(Isaccea)の国境を渡り、家族11人でルーマニアに避難するウクライナ難民。(ルーマニア、2022年3月1日撮影)

 

紛争を逃れ、ウクライナから国境を越えてポーランドのベルディシュチェにたどり着いた子どもと家族。(ポーランド、2022年3月5日撮影)

© UNICEF/UN0605549/Remp
紛争を逃れ、ウクライナから国境を越えてポーランドのベルディシュチェにたどり着いた子どもと家族。(ポーランド、2022年3月5日撮影)

 

 

ウクライナ国内での支援
スピルノ・チャイルド・スポット

ユニセフは、ウクライナ国内外の現場で活動して、子どもたちと家族のために、変化をもたらしています。ウクライナ国内では、「スピルノ・チャイルド・スポット」を開設しています。「スピルノ」は美しいウクライナの言葉で「一緒に」という意味です。その言葉どおり、子どもたちと家族が必要とするサポートを提供している場所です。

心のケアや必要不可欠なサポートを、子どもたちだけでなく、保護者も一緒に受けられるようにしています。多くの家族が家を失い、避難生活を送っているため、「スピルノ・チャイルド・スポット」では、家族が食べ物を手に入れたり、子どものための暖かい服を買ったりできるように、現金給付サポートもしています。冬でとても寒いうえに、電力が停止しているなかで、こうした支援は必要不可欠です。

特に子どものいる家庭にとって、状況はとても厳しいです。昨年12月現在、ウクライナでは182の「スピルノ・チャイルド・スポット」が設置され、子どもや家族に支援を提供しています。また、20の州の300以上の支援拠点でモバイル支援チームが活動しています。

東部ハルキウの、地下にあるスピルノ・チャイルドスポットで遊ぶ子どもたち。おもちゃや色鉛筆、ゲームなどが置かれている。(ウクライナ、2022年12月24日撮影)

© UNICEF/UN0760153/Pashkina
東部ハルキウの地下にあるスピルノ・チャイルド・スポットに集まった子どもたち。おもちゃや色鉛筆、ゲームなどが置かれている。(ウクライナ、2022年12月24日撮影)

 

キーウにあるスピルノ・チャイルド・スポットで、絵を描く子どもたちに話しかけるユリア・ユロバ広報官。(ウクライナ、2022年10月12日撮影)

© UNICEF/UN0721392/Latayko
キーウにあるスピルノ・チャイルド・スポットで、絵を描く子どもたちに話しかけるユリア・ユロバ広報官。(ウクライナ、2022年10月12日撮影)

 

「子どもにやさしいシェルター」で命を守る

私も昨年10月初旬、ウクライナのイルピニにある「スピルノ・チャイルド・スポット」で活動していました。イルピニはキーウ近郊の小さな町で、戦争が始まった当初、ブチャと並んでもっとも破壊され、被害を受けた町の一つです。「スピルノ・チャイルド・スポット」が設置されているイルピニの学校は、戦闘で破壊された校舎をユニセフが修復しました。

「スピルノ・チャイルド・スポット」を設置して支援を提供しているだけでなく、ユニセフはその地下に「子どもにやさしいシェルター」を設置しました。爆撃は深夜にもあり、その頻度も多いため、子どもたちが安全に過ごせるようにしたのです。

ユニセフはまた、教師に対してトレーニングを行っています。シェルターに避難した子どもたちに、安心を与え、適切に対応する方法を伝えています。私は避難していたとき、ユニセフのスタッフがこのシェルターを設置したことを、とても誇りに思いました。子どもたちの命を、私自身の命も含めて、守ってくれたのですから。実際に避難して、命を救ってもらったと実感しました。

動画で見る「子どもにやさしいシェルター」

再び襲った爆撃と、日常を貫く人々の強さ

10月10日、私はキーウにいたのですが、朝にサイレンが鳴り響き、キーウ中心部で煙が上がったことを覚えています。衝撃的な光景を目撃したことで、今もそのトラウマを克服するために、ユニセフのカウンセラーに助けを借りています。本当に恐怖でした。

さらに冬に備えて木の枝を整えていたんです。冬の花である菊の花も植えていました。パニックにもならず、涙を流すこともなく、ただ日常のやるべきことに集中し、仕事こなしていました。地下鉄の駅には子どもたちや家族が避難していました。駅は防空壕として機能しています。そこで子どもたちや家族は歌い、お互いを励まし合っていました。

人々は、かつてないほどに団結していました。爆撃を受けた後であるにも関わらず....

その様子を目撃して、ウクライナの人々がどれだけ強い精神を持っているか、どれだけ団結しているか、改めて感じました。私自身もウクライナに生まれ、ウクライナの人々の決して挫けない精神の強さを、誇りに思っています。日本の皆さまにも、この思いを共有させていただきたいです。

ゼレンスキー大統領は「私たちはこの暗闇を、威厳を持って、通り過ぎなくてはならない。最も重要なことは、心の中に光を、青い光を灯し続けることです」と言っています。私も今日、心の中の光を、皆さまと分かち合えたらと思っています。

ウクライナ周辺国での支援
ブルードット:難民の子どもと家族への支援拠点

ウクライナから避難してきた子どもたちや家族のためのユニセフの支援拠点「ブルードット」で、ユニセフのユリア・ユロバ広報官と話しながら絵を描く、6歳のエヴァちゃん。(ルーマニア、2021年3月13日撮影)

©UNICEF/UN0624672/Holerga
ウクライナから避難してきた子どもたちや家族のためのユニセフの支援拠点「ブルードット」で、ユニセフのユリア・ユロバ広報官と話しながら絵を描く、6歳のエヴァちゃん。(ルーマニア、2022年3月13日撮影)

戦争が始まった直後の昨年3月から4月、ルーマニアに派遣されました。何千人もの家族と子どもたちが、ルーマニアを含む隣国との国境を越えて、国外に避難していました。ルーマニアの複数の国境地点それぞれにブルードットと呼ばれるユニセフの支援拠点があり、私はそこで活動をしていました。

ブルードットでは、国境を越えてきた家族に、さまざまなサポートを提供しています。交通手段や宿泊場所の紹介、食事の提供、心のケアや医療ケアの提供、そして子どもにやさしい空間も設置しています。

ブルードットは、点と点を結ぶような支援です。最終目的地に向かって移動するときの複数の通過点に設置しており、すべての子どもたちを確認し、その足跡を記録し、保護することで、子どもたちの安全を守るためです。戦争開始初期に国境の支援現場に入った私は、ブルードットがどのように設置されていくのかを見てきました。

ウクライナとの国境沿いやヨーロッパ各地には、ユニセフとUNHCRによって40のブルードットが設置されています。すべてのブルードットには、子どもにやさしい空間があります。非常に多くの子どもたちが国境を越えていて、中には、何週間も移動を続けて国境にたどり着いた子どももいたので、まさに重要な支援なのです。

 

戦火の恐怖が及ぼす子どもたちへの影響

国境を越えてくる子どもたちは、非常にストレスを感じて、涙を流し、ショックを受けていました。手続きや基本的なサポートを受けたあと、安心して休める「居場所」が必要でした。子どもにやさしい空間は、母親にとっても、ようやくたどり着いた、安全でほっと息つける場所です。子どもたちが守られる場所なのです。遊んだり、絵を描いたり学んだりするための、あらゆるものが揃っています。

何日も何週間も移動してきた家族にとって、一時的に休息できるスペースがあることは、本当に重要なことでした。

ルーマニア-ウクライナ国境のドナウ川沿いにあるブルードットにいた時のことです。

ウクライナの子どもたちと家族は、フェリーでドナウ川を渡り、ルーマニアの国境を徒歩で通過し、国境を越えるとすぐにブルードットにやってきます。川の近くなので、強い風が吹いています。ある日、子どもたちやお母さんたちと、子どもにやさしい空間で遊んだり話したりしていたら、テントの外に何かが飛ばされてきて、突然大きな音がしたのです。

そこにいた母親たちと子どもたち全員が驚いて、床に倒れこみました。爆撃だと思ったのです。その様子を目撃した私は、彼らが負ったトラウマの深さを痛感しました。たとえ安全な場所にいても、ルーマニアにたどり着いたとしても…。私は母親と子どもたちに「ここは安全だからね」「もう危険な目には遭わないから」と、落ち着くまで伝えました。トラウマを抱えた母親や女性、子どもたちを前にして、本当に胸が張り裂けそうになりました。そのことが一番深く記憶に残っています。

涙が笑顔に変わった、ある男の子のバースデー

ブルードットで6歳のお祝いをしてもらい、受け取った「6」のおもちゃを手に笑顔をうかべるアンドレ(2022年4月8日撮影)

© UNICEF/UN0627035/Nicodim
ブルードットで6歳のお祝いをしてもらい、受け取った「6」のおもちゃを手に笑顔をうかべるアンドレ(2022年4月8日撮影)

国境で出会った子どもたちと家族が経験してきたストーリーはどれも、とても胸が痛むものでした。彼女たちの話を聞くたびに、涙がこぼれました。私も同じウクライナ出身です。ユニセフのスタッフであり、ウクライナ人です。

他方で、美しい瞬間、穏やかで喜びに満ちた瞬間もありました。ルーマニアのブルードットでの出来事です。

ある子どもが祖父母に連れられてブルードットにやってきて、母親と再会した瞬間を目撃しました。彼らは涙を流し、笑顔を浮かべ、互いをハグしていました。

別のある日、私がシゲトゥのブルードットにいたとき、自分のチームのいる場所に行くために、オレナという母親と2人の子どもたち、アナスタシアとアンドレに出会いました。アナスタシアは11歳で、アンドレは5歳でした。「子どもにやさしい空間」で車を待っている間、私たちは話を始めました。

国境までどのように移動してきたのか、これからどうする予定かを話してくれました。母親とアナスタシアは、とても気さくでフレンドリーでした。でもアンドレは隅の方に座っていて、とても悲しそうでした。会話の中で、その日が彼の誕生日であることが分かりました。

ユロバ広報官やユニセフの同僚が用意した、誕生日ケーキのろうそくを吹き消すアンドレ(2022年4月19日撮影)

© UNICEF/UN0627041/Nicodim
ユロバ広報官やユニセフの同僚が用意した、誕生日ケーキのろうそくを吹き消すアンドレ(2022年4月8日撮影)

想像できますか?母親は、何カ月も前から、彼の誕生日を祝うことを計画していたのです。でも、戦争が始まって、キャンセルせざるを得なかったのです。けれど、私たちは人生をキャンセルすることはできません。誕生日も、日常の中にあるお祝いも、キャンセルすることはできないのです。アンドレが誕生日だと知ったとき、私たちは同僚と一緒に近くのカフェに駆け込み、ケーキや誕生日のお祝いにふさわしいものがないかと探しました。

そこで見つけたのが、ローカルなデザートで、見た目はドーナツのようで、冷たいのです。今となっては、それはルーマニアのドーナツだったのだと思います。そして私たちはドーナツと一緒に小さなろうそくを持って、テントに戻り、アンドレに誕生日おめでとうと言いました。彼はとても喜んでいました。その瞬間、泣いていたアンドレが、笑顔になったんです。

こうして、アンドレは、ルーマニアとの国境にあるブルードットで、ユニセフのスタッフ、お母さん、お姉さんにお祝いされて、6歳を迎えました。誕生日の出来事です。アンドレがこの誕生日を覚えていてくれたら嬉しいですし、私は忘れることができないでしょう。あの彼の笑顔......それは貴重なものでした。

ウクライナの人々が感じている感謝

ウクライナ人は、とても恩義を感じる国民性です。私たちは寄せられる支援にいつも感謝しています。手を差し伸べてくださった方々のことを覚えていて、感謝の気持ちを胸に刻んでいます。ですから、私が出会った、国境を越えてきたウクライナの家族や子どもたちは、とても感謝していました。

私が子どもにやさしい空間にいたとき、何人かの母親たちは、子どもをこうやって私に渡してくれたのです。「子どもを見ていてください、トイレに行かないと」あるいは、「スープをもらってくるから」と。そこには信頼関係がありました。支援を差し伸べている私たちを信頼し、感謝の念を抱いてくださってることが分かりました。そして、たくさんの温かい言葉をいただきました。いくつかの家族とは、今でも連絡を取り合って、フォローアップもしています。無事に過ごしているか、子どもたちはどうしているのか、確認しています。

ウクライナ国内には、今も多くの子どもたちがいます。

私の友人の子どもたちの中には、国外に避難して学校に通っている子どもたちもいますが、ウクライナ難民の多くの母親と子どもたちが、昨年9月の新学期に間に合うよう、夏の間にウクライナ国内に戻ってきていました。9月、ウクライナの首都キーウは比較的平穏でした。そして、10月10日にキーウの中心部が爆撃され、戦況が非常にエスカレートし、すべてが一変しました。ウクライナには多くの子どもたちがいますが、学校は安全でないため行くことができません。彼らは皆、遠隔授業で勉強しています。サイレンが鳴り、停電がある中での、学習です。子どもたちはとても熱心に、何とか学び続けようとしています。

日本の皆さまへのメッセージ~東日本大震災から続く絆

これまでの経験から私自身、日本のみなさまとの強いつながりがあるように感じています。12年前、ユニセフ・ウクライナ事務所で広報担当として働き始めた最初の週、日本の東北地方で大地震が発生しました。

その時、日本ユニセフ協会は「Tegami Project」を立ち上げました。東北の子どもたちと世界の子どもたちを手紙や絵でつなぎ、思いやりや愛情を伝え合い、未来への希望をもてるように励ませたら、いう取り組みです。

それが私のユニセフでの最初のプロジェクトでした。ウクライナの子どもたちに話して、絵を日本に送りました。そして、日本の子どもたちからも絵が届きました。

「Tegami Project」でウクライナから東北の子どもたちに届いた絵。 英語で「We love Japan. We support you.」と添えられている。

2011年の「Tegami Project」でウクライナから東北の子どもたちに届いた絵。 英語で「We love Japan. We support you.」と添えられている。

 

「Tegami Project」で手紙を受け取った東北の子どもたちが、ウクライナの子どもたちに向けて描いた絵。

2011年の「Tegami Project」で手紙を受け取った東北の子どもたちが、ウクライナの子どもたちに向けて描いた絵。 

 

それはとても素敵な交流でした。そして12年が経とうとする今、日本の人々が、ウクライナの人々、ウクライナの子どもたちに手を差し伸べてくださっています。このことは、戦争が終わればより良い未来が待っているという希望を、私たちに与えてくれます。

ウクライナに美しい言葉があって、英語に訳すと「まさかの時の友こそ真の友」という言葉です。ウクライナと日本、この2つの国の友情は、これまでの年月を経て、ますます発展していると思います。

そして私は、ウクライナ人として、ユニセフのスタッフとして、日本の人々、日本の家族や子どもたちが、私たちを支えてくれていることに、心から感謝しています。

ウクライナの近隣諸国にあるブルードット、国内にあるスピルノスポットについてお話ししましたが、ユニセフがこのような活動を行うことができたのは、皆さまの寛大なご支援のおかげです。皆さまに支えられて、ウクライナの家族と子どもたちに必要不可欠な支援を提供することができるのです。そして、アグネスさんのようなユニセフ親善大使、著名人の皆さまが、危機下にあるウクライナの家族や子どもたちの状況を世界中に伝える手助けをしてくださっています。この緊急事態において、私たち全員が果たすべき役割を担い、それぞれの役割が不可欠なのです。

皆さまのご支援に、ウクライナ人として、そしてユニセフのスタッフとして、心から感謝を申し上げます。

「ありがとうございます。Дуже дякую!  Thank you very much.」

アグネス・チャン ユニセフ・アジア親善大使とユリア・ユロバ広報官

©日本ユニセフ協会/2023
アグネス・チャン ユニセフ・アジア親善大使とユリア・ユロバ広報官

 

 

(*Дуже дякую: ウクライナ語で、どうもありがとうございます、の意味。発音はduzhe d’akuju)


ユリア・ユロバ広報官の活動の様子は、下記の記事でもご覧いただけます。