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日本ユニセフ協会
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世界の子どもたち

イエメン
紛争で命を失った子ども兵士の母親
「なぜ?」 悲しみ、自問する日々

【2016年3月14日  イエメン発】

モハメドくんが出て行った3カ月前のまま、この部屋はまるで時間が止まっているかのようです。ベッドにはいつものようにきれいに整理された荷物が置かれています。たくさんの思い出が残るこの部屋で、悲しみに打ちひしがれた母親が独りで座っています。ミリヤムさんは、決して子どもが身を置くべきでない紛争により、息子のモハメドくんを失いました。モハメドくんの死で、ミリヤムさんは深い悲しみと後悔の念に駆られています。

紛争で奪われた命

息子のモハメドくんを失い、悲しみに暮れるミリヤムさん。

© UNICEF Yemen/2016/Yassir Abdulbaki

息子のモハメドくんを失い、悲しみに暮れるミリヤムさん。

「モハメドは15歳という若さで命を失いました。スポーツや詩が好きで、いつもクラスで1番でした。彼の死を悼む機会すらなく、私は息子を奪われてしまいました」と、ミリヤムさんが悲しそうに語ります。

ミリヤムさんの話は、イエメンの紛争で兵士として徴用された子どもたちの家族が、子どもの死に直面し、乗り越えるために過ごす悲劇的な時間を、物語っています。

2015年3月26日にイエメンの暴力が激化してから、少なくとも796人の子どもが命を失い、1,151人が負傷しました。

待っていたのは残酷な結末

ミリヤムさんは、アデンのマッラ地域で暮らす、4人の子どもを持つシングルマザーです。公務員のわずかな給料で家族全員を支え、貧しいながらも、たくましく生きる母親として、地域の人たちから尊敬されています。「尊厳を持って子どもたちを育ててきました。支援や援助に頼ったことはありません。1日中働いて、家族を支えてきました。子どもたちには尊敬できる母親だと思って育ってほしいですし、私も子どもたちのことを誇りに思っています」と、ミリヤムさんが話します。

アデンで紛争が激化したとき、モハメドくんはまだ10代でした。モハメドくんは2015年5月、マッラ地域が軍に包囲された際、武装グループに参加しました。

モハメドくんの姉のジェハドさんは、「私はモハメドよりも3歳年上ですが、私にとってモハメドはおとなであり、父親代わり、友達、そして私を支えてくれる人でもありました。モハメドにはいつも、安心と愛情をもらっていました。仕方がなかったのです。弟は周囲の圧力を受けて武器を取り、戦闘に参加することを決めました。戦闘の経験のない子どもには、残酷な結末が待っていました」と話します。

武装グループに身を置いていた間も、モハメドくんは、デング熱の流行と紛争の激化でマッラを去らなくてはいけなくなった家族と、連絡を取り続けていました。

紛争の被害者となった息子

イエメンの町の検問所では、子ども兵士の姿が見られることが珍しくない。

© UNICEF Yemen/2016/Yassir Abdulbaki

イエメンの町の検問所では、子ども兵士の姿が見られることが珍しくない。

「なぜ息子はこのような道を歩んでしまったのだろう?なぜ、息子はあんなにも必死だったのだろう?周囲の状況、周囲の人々から圧力を感じていたのだろうか?」と、ミリヤムさんは自分に問い続けていると言います。

「息子との記憶をすべて思い出そうとしています。モハメドが独りで部屋にこもっていたときのこと、涙で溢れた目…多分、息子には助けが必要だったのだと思います。まだ幼いにも関わらず、心を切り裂かれる経験をするなかで、手を差し伸べ、悩みを聞いてくれる人が必要だったのでしょう」

軍隊や武装グループによる、子ども、特に男の子の徴用と使用が急増しています。ユニセフは、昨年、子ども兵士として紛争関係者に徴用された男の子が少なくとも738人に上っていることを、確認しています。国連は、2014年、156件の子どもの徴用を確認しており、昨年の数値はその約5倍にも及びます。

「私にとって、今でも息子はヒーローです。若いながらも勇敢に戦ったヒーロー、命を失うことになった運命に飛び込んでいった英雄なのです。しかし、それと同時に、息子は被害者でもあります。このおかしな世界の被害者であり、紛争や情勢不安の被害者なのです」


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