メニューをスキップ
HOME > 世界の子どもたち > ストーリーを読む
財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今

未来に届け、学校に戻った避難民の子どもたちの声

<2007年3月1日、ニューヨーク、アフガニスタン発>

© UNICEF Jalalabad/2007/Noor
13歳のマルツィアは携帯電話を使って、カンプーナ避難民キャンプでの生活をユニセフラジオに話してくれました。ジャララバード、アフガニスタン。

アフガニスタンでのユニセフや他の人道支援組織の活動が実を結んでいる一方で、この国には、避難民キャンプを中心として、未だ充分な教育や栄養・保健ケアを利用できない子どもや若者がいます。

パキスタンとの国境に程近いジャララバードで暮らす13歳のマルツィアとカイハンにも、戦争とその後の混乱は多大な影響を及ぼしています。2001年にタリバンとの紛争が勃発したため、マルツィアの家族はパキスタンに避難していましたが、3年前にアフガニスタン、ジャララバード北東部のカンプーナ避難民キャンプに移り住みました。カイハンの家族もまた、戦争で家を失い、この避難民キャンプにたどり着きました。

二人は携帯電話を通して、彼らの経験をユニセフラジオに話してくれました。

明るい未来を信じて

マルツィアの父親は、戦争以前は運転手として生計を立てていましたが、戦争中に地雷で怪我をし、今は体が不自由です。「戦争が起こる前、お父さんは強くて、家族全員を養えるだけの収入もありました。」と彼女は話します。「戦争が起こってからは、私たち兄弟も働かなくてはなりませんでした。私がごみを集め、それを弟が路上で売るのです。」

戦争のせいで、マルツィアは数年間学校に行くことができなくなっていましたが、ユニセフが支援する「ユース委員会」という組織の援助を受けて、最近になって再び学校に通い始めました。カンプーナ避難民キャンプで活動しているこの組織は、マルツィアが学校を見つけ、また遅れていた分の勉強を取り戻せるように支援しました。マルツィアは今第6学年に在籍しています。

学校のこと以外にも、マルツィアには心配なことがあります。「病気になっても近くに病院もないし、診てもらえるお医者さんもいないことも心配です。」と彼女は言います。しかし、マルツィアにはこれから先の人生を悲観する様子は見られません。「これから先状況はだんだん良くなっていくと思います。いつかはお医者さんかエンジニアになりたいんです。」

ユース委員会の助けで
© UNICEF Jalalabad/2007/Noor
13歳のカイハンは、カンプーナ避難民キャンプで生活しており、最近になってやっと再び学校に通い始めました。彼の家族の厳しい生活をユニセフラジオに話してくれました。

6年前、カイハンとその家族は、住みなれた家から、そして祖国から避難せざるをえませんでした。「戦争中は多くの問題に直面しました。」と、カイハンは回想します。「僕たちはすべてを失いました。家は略奪にあいました。食べ物もほとんど無かったので、他人の残り物をもらって飢えをしのいでいました。」 カイハンの家族がパキスタンから帰国した後、カイハンは菜園で働いたり、ジャララバードの路上で水を売ったりして働き、家計を助けています。カイハンの父親はひどい病から回復したばかりで、今は路上で物売りとして働いています。

マルツィアと同じように、カイハンもカンプーナ避難民キャンプの「ユース委員会」のおかげで学校に戻ることができました。彼は現在第5学年に在籍しています。

「『ユース委員会』は、僕が職業訓練を受けられるように手助けしてくれました。おかげでよりよい仕事に就けるチャンスが高まりました。」と、カイハンは話します。しかし、依然としてカイハンの家族の生活が苦しいままです。「今の家計の状況では、以前受けていた英語クラスの費用を払うこともできません。」と、カイハンは悲しそうに言います。

マルツィアとカイハンは、再び学校に通うことができて、本当に喜んでいます。しかし、マルツィアは、教室についての問題を指摘します。「教室にはいすや机が無いので、私たちは教室の床に座って授業を受けなくてはいけません。」

マルツィアは平和な頃の元気だった父の姿を懐かしく思うことがあります。そして、学校に通っていなかった数年間のことについてたびたび考えてしまいます。「学校に行けなかった時期があることが本当に残念です。あの時間はもう二度と取り戻すことはできないから。」と、マルツィアは言います。

トップページへコーナートップへ戻る先頭に戻る