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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

ベナン:都市に暮らす厳しい環境に置かれている子どもたちの2度目のチャンス

【2012年2月24日 ベナン発】

パン売りをしているホノリン・ノウジェメディさん(14歳)は、ベナンの商業都市の中でも最も大きな市場のひとつダントクパの中を、たくみに人を掻き分けながらジグザクに進んでいきます。彼女の頭の上のかごには、ちょうどおとなの目の高さまでパンが積み上げられています。

ホノリンさんは、貧困街や都市部に暮らす何百万人もの世界中の子どもたちと同じように、厳しい環境におかれています。急速な都市化によって、町や都市で育つ弱い立場の子どもたちがますます増加し、こうした子どもたちは、多くの場合、保健や教育サービスへのアクセスがありません。

ベナンは、経済が脆弱で、国境も穴だらけで、数千人の子どもたちが人身売買の被害を受け、さらに多くの子どもたちが児童労働に従事させられています。約60万人の子どもたちが国内で児童労働に従事し、その多くは、コトナウをはじめとする都市部で暮らしています。

働く子どもたちの休憩場所
© UNICEF video
ベナンの首都ポルトノボで、ユニセフが支援しているドン・ボスコやサレジオ修道院の活動を支援しています。こうした施設は、虐待や人身売買の犠牲となりやすい街で暮らす子どもたちを支援することを目的としています。

ホノリンさんは、かご一杯のパンを1日で2かご売り、パン屋の主は彼女に600CFA(セーファーフラン;約1.20米ドル)支払います。これは、売り上げの10パーセントです。しかしながら、ホノリンさんは最近、勉強のために一日1かごしか売らなくなりました。

ホノリンさんは、サレジオ修道院が運営している近くのセンターに通っています。センターに入ると、ホノリンさんはパンのかごをいすに置いて、動詞が書かれている黒板の近くに座りました。このセンターで、読み書きの他にも、裁縫やビーズ細工といった役立つ技術も学んでいます。

「一度も学校に行ったことがないので、行きたいと思っていました。」「学校に行っている子を知っていますが、学校で何をしているのか分かりません。でも、ここと似ているだろうと思っています。ここで、読み書きや裁縫を習っています。」

このクラスは、ユニセフが支援しているベナンに3箇所ある避難所のひとつで、貨物用コンテナを利用して行われています。働いたり、街の通りで暮らしている子どもたちは、このコンテナを自由に行き来して、勉強したり、遊んだり、眠ったりすることができます。ユニセフ・ベナン事務所のメアリー・チャビ子どもの保護担当官は、これは、「子ども時代に戻るための2度目のチャンス」だと話しました。

子どもたちが持つ権利

児童労働に従事している子どもたちは、自分たちが持つ権利を奪われることが多く、また、多くの子どもたちがその権利を持っていることも知りません。このセンターは、こうした状況を変えることを目指しています。

「子どもたちは、自分たちが学校へ行ったり、食事をしたり、保護されたりする権利があることを知りません。」「センターに来て、子どもたちは気づき始めます。多くのことが不足していること、自分の将来を計画する権利があること、今生活している場所で、搾取に甘んじる必要はないことを。」(チャビ子どもの保護担当官)

そして、親や保護者も子どもの権利について学ばなければなりません。

「多くの保護者たちが、子どもたちの持つ権利について知らないのです。」チャビ子どもの保護担当官は、さらに続けます。「子どもを所有物として扱っています。子どもたちが学ぶ必要があることに気がついていません。」

2年前からホノリンさんを知るアウトリーチ・ワーカーのクロディーヌ・ボヒッソウさんは、次のように話します。「ホノリンさんがここに初めて来たとき、お姉さんと一緒でした。それから暫く姿が見えませんでしたが、家で盗みをしたことを攻められて、兄弟から殴られないようにここに逃げてきました。今は、ほとんど毎日やってきます。でも、パンを売らなければならないので、長くいることはできません。」

ボヒッソウさんは、ホノリンさんに、センターに母親を連れてくるよう説得していました。

「いつでも、親や保護者、職場の関係者と話します。少しでも教育や訓練を受ける利点を説得したいのです。しかし、残念ながら失望することもあります。最近、定期的に通っていたある女の子の姿が見えなくなりました。結婚するために、村に戻らなければならなくなったのです。その子は、まだわずか12歳でした。」

教育の重要性を認識させる

ボヒッソウさんが、ビーズ細工のクラスの準備をしていると、怒った様子の女性がセンターにやってきました。その女性は、ホノリンさんの母親のジャネット・ノウジェメディさんでした。

ボヒッソウさんは、ホノリンさんの母親と会うのは初めてでした。ホノリンさんの母親は、パンをもっと売ってもらおうとホノリンさんを市場に戻らせようとしているようでした。

しかしながら、ボヒッソウさんが、母親が身につけているビーズのネックレスとブレスレットを褒めると、怒りが収まってきました。そのアクセサリーは、ホノリンさんがこのセンターで母親のために作ったものだったのです。

母親は、こう言いました。「ここに通うようになってから、ホノリンの態度はとても良くなりました。お金を非常に慎重に扱うようになりました。今は、1から5まで、もっとたくさん書くことができるんです。どこで習ったのかと聞いたら、このセンターに通っていると話しました。ですから、このセンターで良いことを学んでいると認めなければなりません。」

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