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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<<2002年2月25日>>

一番好きなのはミルクが飲めること!
〜山奥の村で広がる就学前教育〜
<ボリビア>

 通訳を務めてくれるユニセフのガイド、ヤン・ヴァン・カステレンはオランダ政府の一員としてボリビアでのプログラムに貢献しています。ボリビアに来て1年になるため、この地域のことをよく知っています。ロス・ヴァレス地方コチャバンバの北西にあるミズクェの村に向けて、アスファルトの道路を1時間ほど走ったあと、岩や丸石を敷いた道路に入り、山へと向かいます。「この道路は『ミズクェ道路』と呼ばれています」とヤンが説明しました。「工事は1995年に始まり、地元の部族によって2年間かけて建設されました。ここから130キロは、この道路を走ります。」

 工事の賜物であるこの見事な道路は、古代インカ帝国の道をたどって険しい丘に分け入っていきました。途中で車をとめ、この地域でしか見られない木を見ました。その木は、シダのような根元の中心から5メートルほど茎が突き出していて、そこに100年に1度だけ、大きな花が咲きます。私たちの周りには、この植物の焼けたあとがありました。「地元の人々が焼くのです。迷信によるもののようです」 とヤンが説明してくれました。

 がたがたと揺られること3時間、4000メートルの高地を登りながら、数多くの不思議な場所を通り過ぎました。もっとも印象的だったのは、インカ族の峡谷にかかったアーチ型の石橋でした。500メートル以上を、谷に向かって下っていくようになっているのです。丘の斜面を切り分けるように道は続き、乾いた不毛の峰を進むと、ようやく比較的緑の茂ったミズクェの谷へとおりていきました。町を走り抜けていくときには、重苦しい気持ちになりました。村は衰え、荒れ果てていました。人々の表情も生気がなく疲れきっているように見えました。中心の広場はスペインの影響を受けた名残をとどめていましたが、もう何年も手入れをされていないようでした。私たちは地元の技術派遣員2人を乗せると、ミズクェ道路を離れ、町を出て谷の片側へと入るでこぼこ道へと入っていきました。この道は、私たちが乗っていたトヨタの4WDでも苦労するような道でした。両側の斜面は、谷間を流れている川(この時期はほとんど干上がっていましたが)のおかげでみずみずしい草地となっています。そしてほとんどの土地という土地が耕作地になっていました。30分後、いかにも学校らしい建物がいくつか並んだ場所の前に着きました。ようやく、ワワ・ワシ・ウチャマ・バハに着いたのです。

 ワワ・ワシは、プロアンデス・プログラムの6歳以下の子どもを対象とした子どもの発達事業の一部です。ウチャンバ自治体によって建てられたワワ・ワシは、この谷の地域に住む子どもたちが通う小学校と中学校に隣接しています。車をおりて、建物に近づいていきました。近づくにつれて、中から子どもたちの興奮したような叫び声や笑い声が聞こえてきました。教室は小さく、レンガの壁と土の床でできている支柱のない建物です。かがんで中に入ると、壁には絵や教材が貼られていました。子どもたちや「プロモトーレ」と呼ばれる先生が作ったものです。プロモトーレはユニセフによって特別な訓練を受け、地域の技術派遣員の支援を受けている教師です。子どもたちは小さく、30人全員がクラス中を駆け回り、壁にぶつかったり、子どもどうしぶつかったりした挙句、ようやく落ち着きました。平均年齢はおよそ4歳で、平均身長は80センチもありませんでした。まもなくプロモトーレが私たちを紹介すると、みんなが歌をうたって歓迎してくれました。子どもたちは手をつないで輪になってまわりながら歌っていました。私たちをあまりにもじっと見つめていたために、そばを通り過ぎるときにころびそうになった子がたくさんいました。

 私たちは、クリスティーナ・ザパタ・ガルネスという、恥ずかしがりやの小さな女の子を紹介されました。クリスティーナの話を聞くのは、かなり大変な仕事でした。5歳のクリスティーナは、ワワ・ワシがなかったときのことは思い出せず、ユニセフのこと—ユニセフがどういうもので、何をしたのか—も知らないようでした。彼女が話してくれたのは次のようなことです。

 3年間ワワ・ワシに通っているの。今年は小学校にあがる前の最後の年で、学校に入る前にはテストがあるのよ。よくできれば1年分飛び級ができるんだって。わたしはワワ・ワシが大好き。友達と会ったり、遊んだり、歌ったり、お絵かきしたりできるから。毎年ひとつの課題があって、今は左と右の違い、大きいと小さいの違い、色の違いを発表しなければならないの。たくさん時間がかかるけど、先生も大好き。先生はよくダンスをするの。私たちが授業をちゃんと聞いていないとお仕置きもするの。学校で一番好きなのはミルク。食べ物もおいしい。いつもちょっとずつ違うのよ。家で食べるのは、普段はトウモロコシだけ。ミルクを飲めることなんてないの。家に帰ってからは、妹とお絵かきをすることもあるけど、たいていは羊の世話をしないといけないの。ワワ・ワシまでは歩いて30分くらい。雨季になるとそれもできなくなっちゃう。雨が降ると川の水かさが増えて、橋がないので渡れないのよ。川の水が引くまで、3ヶ月間家にいいとならないの。すごくさびしい。友達と遊びたくてたまらなくなるの。それに、ミルクが飲めないのよ!

 ワワ・ワシがここにできてから3年、ワワ・ワシは、地域の中心的な存在になりました。男たちが建てた建物で、女たちが授業をするプロモトーレを手伝ったり、子どもたちの食事の用意をしたりします。政府からミルクを含めて食事のための資金援助が得られたおかげで、栄養や健康面で大きな改善が見られました。また、新しいカリキュラムのおかげで、基本的な読み書きや社会的および知的な学習能力が向上しています。プログラムが成功している証拠に、ワワ・ワシに通っている子どもたちの大半が、小学校に入学する時は2年生から始めるのです。ワワ・ワシに通っていない子どもたちは、たいていは飛び級できません。ユニセフはプロモトーレを特別に訓練し、地域にプロモトーレを支える技術派遣員数人を配置し、カリキュラムの向上をはかっています。

ドルー・スティヴンソン(ユニセフ)

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