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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

≪2001年12月17日信濃毎日新聞掲載≫

異なる民族 共に学ぶ小学校
<コソボ>

1999年のコソボ紛争を経て、国連が暫定的に統治しているユーゴスラビア連邦セルビア共和国コソボ自治州。州都プリシュティナの旧市街にあるエレナジカ小学校は、紛争後のパイロットプロジェクトとしてユニセフが支援している小学校である。

 旧市街はコソボの多数民族であるイスラム教のアルバニア人、少数民族のキリスト教東方正教のセルビア人、それにトルコ系の人々が共に生活をする居住地域であった。エレナジカ小学校には紛争前複数の民族の子どもが共に学んでいた。

 80年代より多民族国家ユーゴスラビアで民族主義が強まり、コソボでも89年より、セルビア共和国によるセルビア人優遇政策によって、エレナジカ小学校では校舎の大半はセルビア人の教師と児童が使用し、アルバニア人の教師と児童はわずかな教室を一日3−4交代で使用。冬でも暖房が無く、スポーツの授業は体育館を使えないため寒い屋外で行っていた。99年のNATO(北大西洋条約機構)による空爆によってセルビア軍はコソボより撤退し、半数の80万人が難民となって国外へ避難したアルバニア人がコソボへ戻った。今度は逆にセルビア人がコソボより避難を始め、アルバニア人によるセルビア人を含む少数民族への迫害が伝えられるようになった。

 こうした状況の中でエレナジカ小学校の再開を準備してきた教職員は、異なる民族の地域住民と話し合いを進めてきた。セルビア人が戻ってくることはなく、紛争時にセルビア側についたトルコ系の人は「アルバニア人は自分たちを受け入れてくれない」と考えていた。アルバニア人もトルコ系の人と一緒にうまくやれるか心配をしていた。

 教職員はアルバニア人の親と子どもに、今までのことは忘れ、これからのことを考えなければいけないと言い続けてきた。学校の再開日。教職員は心配していたが、たくさんの子どもと親が学校に集まってきた。

 そこにはトルコ系の子と親もいた。子どもたちはみんなで手をつないで学校を囲んだ。それを見て親は涙を流したという。現在、エレナジカ小学校ではアルバニア語とトルコ語で授業を行っている。

 コソボを含む旧ユーゴ諸国では、紛争後の民族間の和解が最も大きなテーマで、ユニセフはエレナジカ小学校の教育方針や内容の普及に取り組んでいる。

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