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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

融資受け商売 難民生活に希望
<エチオピア>

<2002年3月25日信濃毎日新聞掲載>

 1998年5月に軍事衝突に発展したエチオピアとエリトリアの国境紛争は、アフリカ統一機構や国連などの仲介によって2000年12月に平和条約が調印されて終結しました。
 この間、両国あわせて10万人の戦死者を出し、エチオピアでは国境周辺で生活をしていた6万人以上のティグレ州住民が安全を求めて同州南部や南隣のアムハラ州へ避難しました。そこにエリトリアに居住していたエチオピア人5万2千人が加わり、さらに98年から3年間続いた干ばつにより、避難民の厳しい生活は一層深刻化したのです。

 ティグレ州、アムハラ州の大半は標高2千メートルの高地で、雨量はもともと少なく、住民が料理をしたり暖をとるため長年にわたり森林の伐採を続けてきたため、今では荒涼とした風景がどこまでも続いています。

 厳しい自然環境の中で、紛争終結から1年以上過ぎた今も、未処理の地雷によって家へ戻れず石積みの小屋でぎりぎりの生活を送る避難民も多くいます。アムハラ州で生活する避難民は1万3千人にのぼり、その中で孤児になったり両親と離れ離れになった子どもは800人以上になるといいます。

 アムハラ州デセ市の市場で中古衣料を売る18歳の青年アンドリアス君。アンドリアス君も、エリトリアから逃れてきた避難民の1人です。紛争によって両親を失い、妹3人を連れて戦火の中を逃げ惑い、わずかな生活用品を持って、国境から数百キロを歩いてデセにたどり着きました。

 アンドリアス君は、市場で中古衣料を売り生計を立てています。ユニセフは、避難民の生活支援のための小額融資を行っていますが、アンドリアス君もその融資を受けている1人です。

 売り上げの一部を返済(返済金は次の人の融資に回り、融資が終了しても自活へ道を開く支援方法)にあて、あとは生活費と妹3人を小学校と中学校へ通わせる学費にしています。デセのはずれに小さな家を借り、妹たちとどうにか生活ができるようになりました。

 余裕ができたら自分も学校に戻りたいと彼は言います。困難な中でも希望を捨てず、自力で家族の生活を守ってきたアンドリアス君に生きる強さを感じます。

2003年3月16日
ユニセフ・エチオピア事務所(アジス・アベバ)

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