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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<<2002年9月11日掲載>>

貧しさに負けない! 女性たちの自立物語
<インド>

「歩くときも目立たないように歩き、頭を上げることもなく、しゃべるときは口に手をあて、食べるときもサリーの下に顔を隠すような状態だったわ」と、チャンドラカンティは聴衆の前で話します。今の彼女は聴衆をしっかり見据え、人と目が合っても少しも動じません。

 彼女が代表する女性団体マヒラ・サミティ(女性のグループという意味)は互助会のような団体です。貧しい女性たちが集まってグループを作り、自分たちが稼ぎ出す少しのお金を貯金し合って、自立した生活ができるようにがんばっているのです。

 この試みが最初に始まったのは1992年のこと。インド政府とユニセフが考え出した貧困救済のための戦略で、コミュニティを中心に、草の根レベルから、女性たちに力をつけてもらおうというのが狙いです。もちろん、女性たちだけでは限界があります。そこで、地方政府も巻き込みながら、協働関係を作り上げていく形にしたのです。最初こそいろいろな問題がありましたが、今ではビハール州とジャルカンド州で65,000人の女性がグループを作り、互いに助け合っています。貯蓄高は合計800万ルピー(およそ2,000万円)にもなります。週に5ルピー程度の貯蓄が家族の家計を助け、グループ貸し出しのおかげで、小さなビジネスを始めることさえ可能になったのです。

 お金を貸し出す側の銀行もこの頃では好意的です。
  「ほかの人たちよりも借金をきちんと返してくださいます」と語るのはビハール州の国立農村部農業開発銀行の開発担当官スドヒル・クマール・ロイさんです。
  「95年からは銀行業界でも、こうした女性グループへの貸し出しが主要なビジネスとなってきました。2008年までには100万のグループができることが見込まれます。ですから、銀行のスタッフにも積極的に支援するように言っています。彼女のたちの心情を思いやり、とりあえず待たせずに"話を聞いてあげなさい"と。そして力を貸してあげてほしい、と」

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【ミーラ・デビ の話】
ダモダール・マヒラ・マンダールの研修員兼メンバー
ジャルカンド州 ハザリバーグ


  貧しい人でもお金を残すことはできます。どの家にもお金は入ってくるのですが、不必要なものにお金を使ってしまうから残らないのです。ちょっとしたアクセサリー、お菓子、髪飾り、化粧品、お酒、そしてタバコ…。私は女性たちにこう言います。毎週10ルピー(約25円)貯金しなさい。そうすれば1カ月40ルピーは貯まるわよ、と。これは大した額ではありませんが、毎月積みたてれば、年末には500ルピー(およそ1,250円)になり、これは馬鹿にできない額です。

 女性たちは手持ちの貯金の4倍の額を借りることができます。100ルピーの貯金があれば、400ルピーを借りることができるのです。

 1年間に10人の女性たちが、それぞれ500ルピーを貯めることができれば、年末には合計5,000ルピー(12,500円)が貯まります。これは高利貸しから私たちが借りる額に匹敵する額です。これを説明すると女性たちは、高利貸しのところに行き、拝み倒してやっとの思いをしてお金を借りる必要はないんだ、と気付きます。お互いに助け合うことで、借金地獄から解放されるのです。

 数年前にはバラ交差点に行っても何もありませんでした。砂ぼこりが舞う道が2本交差しているだけのところだったのです。でも、10〜12もの村の人たちが行き交う道でしたから、人が多い、にぎやかな場所でした。

 今日、バラ交差点に行くと、小さな洗濯屋さん、小さな靴屋さん、道具屋さん、ティーショップまであります。これらのお店は、いずれもマヒラ・マンダールの女性たちによって始められました。グループを通して、銀行からお金を借りた女性たちが始めたお店なのです。その昔、農業で日雇い仕事をしてきた女性たちが、今や店のオーナーなのです。

 これらの店がバラ交差点で繁盛しているのを見て、高利貸しは驚きました。「いったい全体どうしたんだ!」彼は叫びました。「盗品でも売っているのか?」彼は自分の目の前で起きていることを信じることができなかったのです。

【プラミラ・デビの話】
ジャルカンド州 ハザリバーグ ジャパ村グループのメンバー

  私と夫は、少し前まで畑で働いていました。土地は持っていませんでしたから、日々の生活はとてもきついものがありました。あるとき、私は夫にマヒラ・マンダールのことを話してみました。村の何人かの女性が作っていたグループのことです。これに参加してみたいと夫に言ってみたのですが、彼は時間の無駄だと言ってとりあってくれません。でも、そのうち、このグループの女性たちが変わっていくのが分かってきたんです。中には小さな店を開いた女性もいました。ちょうど村で二つ目のグループが組織されるタイミングだったので、夫にこのことを話すと「入ってもいい」と言ってくれました。

ジャルカンド州ハザリバーグ、ジャパ村のマヒラ・マンダールのメンバーたち。プラミラ・デビの店を兼ねた家の前で。

 グループに参加することくらいで、そんなに大きな違いが現れるわけがない、と夫は思っていたようです。実のところ、私も大して期待していませんでした。毎日、一握りのお米を貯めて売って得たルピーをグループの貯金に入れました。すずめの涙ほどのお金ですから、そんなに大きな変化があるとは思ってもいませんでした。でも、夫もやがて畑仕事や工事現場の仕事で得たお金を貯金に回してくれるようになりました。とにかくどんなに些細な額のルピーでも気をつけて貯めるようにしたのです。

 2年後、貯まった額は1,500ルピーほど (およそ3,750円)。銀行からお金を借りることができるわよ、と夫に言っても信じてもらえませんでした。それでも、申請してみると5,000ルピーを貸してもらうことができました。夫は驚いたようです。夫はそのお金を持ってカルカッタに行き、市場で服を仕入れて帰ってきました。我が家の中にも店をかまえることにし、その店は私が切り盛りすることにしたのです。そうすれば、子ども3人(娘)をだれかに預ける必要もありません。

 幸い、私たちは借りた5,000ルピーを返すことができ、再度1万ルピーを借りることができました。夫はカルカッタに行き、服を仕入れ、その服をこの近辺の市場で売っています。近頃では、25ルピーから50ルピーほど貯蓄することができ、個人の貯金も17,070ルピーほどあります(およそ42,675円)。
プラミラ・デビと末娘

 私たちの生活はガラリと変わりました。2人でよく仕事の話をしますが、夫は、以前は話題にもしなかったことについて、私にアドバイスを求めてきます。夫の担当はマーケティング。私は会計担当です。この頃はお互いに間違いを指摘し合ったりします。以前、畑で仕事をしているときは、互いにしゃべることなどありませんでした。でも、振り返ってみると、あの頃は共通の話題もなかったのです。

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