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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

イラク南部:給水車ドライバーからの報告
「水、水、水…」現場でのリーダーシップが物を言う
<イラク>

 「水! 水!」なによりも「水」。誰の口からも出てくるのが「水」という言葉です。水の「品質」と「量」は、以前からイラク南部では問題でした。そのような状態の上に、今回の戦争…。インフラへの損害がひどく、給水車でさえも、うまく道路を通れず、いつもの顧客にさえ水を配達できない状態なのです。この影響を考えた場合(特に子どもたちへの)どれほどの影響があるのか。評価が適切にできないために正確なところは分かりませんが、人々の心配そうな表情を見ているだけで、その深刻さは分かります。
クウェート近くの町ウムカスルでは、あまりの水不足に、バスラの水道から水を汲んでいました。これは普通ならば洗濯や掃除にしか使わない水です。

 「水がないものだから、仕方なく、いつもだったら洗濯に使う水を汲んできてしまったの」と語るのは、ジビエ・アバスさんです。診察のため病院に来ているところでした。「それは飲めたものではなく、赤いミミズのようなものが出てくるのが見えたんですが、ほかに飲む水がなかったから、長い時間煮沸してノアに少し上げたんです」ノアは6カ月になる娘です。体重3キロ。通常ならば出生時の体重です。この子もまた、イラクの子どもたちの多くがかかっている下痢と栄養不良の悪循環の犠牲になっているのです。子どもたちの多くは、この悪循環の中で命を落としていきます。ノアはジビエの5番目の子です。最初の3人は6カ月になる前に亡くなってしまいました。

 29歳のジビエ・アバスと6カ月の娘ノア。ウムカスル病院にて。ノアはジビエの5番目の子どもです。最初の子ども3人は、誕生間もなく亡くなりました。先天性異常でした。ノアはたったの3キロ。栄養不良と下痢にかかり、最近の水不足でさらに症状が悪化しています。戦争前にも、イラクの5歳未満の子どもたちは慢性の栄養不良状態でした。ユニセフの水と衛生担当のスタッフたちは、ノルウェー教会エイドというNGOと共に、病院の中に10,000リットルの水タンクを設置しました。

 気温が36〜37度と上がっていくにつれ、飲み水の確保が優先課題となります。3月の末までに、ユニセフのクウェート事務所では、イラクの緊急支援に対処するために、私企業を使って、給水車による給水システムを確立しました。

ユニセフの給水車はバスラに必要な支援物資を運び入れました。コミュニティは、配布システムを工夫しました:女性と子どもは自分たち用の給水車の後ろに並び、もう1台のトラックの後ろには男性が並びます。

 そして、その後、何週間にもわたって、グレン・ケリガンというオーストラリア、ニュージーランド、アイルランド出身の(チェックポイントにどういう人たちが配置されているかによって国籍を変えて名乗り出ることにしているのだ)勇気ある、現実的な働き者で、生き抜く知恵を持っているフリーランスの彼らがチームを率い、サフワン、ウムカスル、エル・ズバイル、ウムカヒル、バスラなど、ほかのどの機関も立ち入らないような場所に水を運び入れたのです。

 「ユニセフと子どもたちのためにやっているんだ。」できすぎた答えだが、それがこの人たちの性格なのです。決してノーとは言わず、任務を遂行しては戻り、また出かけていく、そんな人間なのです。「ある男が銃をとりだして、俺に車から降りろと言い出したことがあった」彼はある晩、話をしてくれました。翌日引き返し、水を配達しました。そこで道を間違え、見てはいけないものをみてしまったんです。「殺されても仕方のない状況というのが分かったよ」と彼は言います。

 しかし、一番怖かったのは、最初の配送のときに、待ちきれない群集が彼の車を見つけたときだったと言います。群集は、次の給水がいつになるか分からないので必死なのです。「エル・ズバイルに到着した運転士は、本来、米英軍に守ってもらえるはずだったのに、その米英軍がいないことに気づきます。群集がほとんど「弾道」状態で押しかけてきたと言います。運転士は慌てて車を道路から逸らそうとしたそうですが、車軸が壊れてそれ以上進めなくなってしまったそうです」

 法と秩序がなくなった場合、コミュニティ自身に、それを求めるしかありません。古い秩序はもう効力がないわけですから、「その場のリーダーシップ」が必要となります。まさに、それがエル・ズバイルでは起きました。地元のイマームが責任をとり、群集の中の6〜7人をボランティアで、群衆整理にあたらせたのです。「混乱はしていましたが、どうにかなりました」とグレンは言います。給水車4台を男性用2台、女性と子ども用2台に分け、小さくて一番元気な者だけが支援物資を受け取れるようなことが起きないよう、工夫をしたのです。

 安全確保がどれだけできるかにもよりますが、給水タンカーのコンボイは、保健キットやORSの箱を、地域の病院や保健センターに持っていくことがあります。理由は、給水車ならば略奪にあいにくく、これらのものを積み込んでも安全だからです。

 給水車の内1台は必ず、ウムカスル総合病院を回ります。ウムカスルに水道を通して給水される水は不十分か、飲み水に適さないからです。ユニセフの水と衛生技術担当者イスマエル・エル・アザリは、ウムカスルにほぼ毎日出向きます。国連の国際スタッフが仕事を許されている唯一の場所です。彼を支えているのは、ノルウェー教会エイドから来ている水道技師たちや浄水場で働く地元の従業員です。みんなで力を合わせて、10,000リットルの水タンク(ふくらます形のもの)を、病院の敷地に設置しました。その次が、小型の5,000リットル用の水タンクです。どちらも病院専用で、英軍に守られています。

ユニセフの水と衛生担当管: ウムカスル病院に設置された10,000リットルの水タンクを点検するイスマエル・エル・アザリ。これはNGOのノルウェー教会エイドとの協力で実施されました。水は給水車のものを使いますが、その給水車の一行を率いているのがグレン・ケリガン(ドアの近くにいる男性)です。

 「地元の人たちを巻き込むのが大切なんです」イスマエルは言います。「基礎的な保守点検を彼らができるようになれば、私たちも次の拠点に移れますから。ほかの町で起きている略奪を防ぐには、周りに軍隊がいて、守ってくれることも大切です。水タンクも、病院の中にあれば大丈夫でしょうし。でも、いずれはコミュニティにすべてを任せて、その使用と安全について責任を持ってもらうしかありません。これがうまく行けば、次の水タンクを追加して持ってきても大丈夫でしょう」次の段階は、すでに始まっていますが、町の給水システムの修理です。その後がウムカスルの水道の修理、そして給水すべての再建となります。バグダッド事務所から来ている者として、イスマエルは自分がやるべきことをしっかり心得ています。「ウムカスルは地図で言えば、ほんの小さな点に過ぎません。でも、ここでやっていることは、全国の、いえ、少なくともイラク南部のパイロット・プロジェクトと言ってもいいでしょう。コミュニティの給水活動に関して、何をして良いか、何をしたらダメなのかを学んでいるところなのです」

ユニセフは、戦争前と同じように、コミュニティ・レベルの人たちと一緒に努力していくことになります。これは、やがて給水車や水タンクがいらなくなることを意味します。でも、水や物資を届け続けたグレン・ケリガンやエル・アザリたちは、確実に自信を持って次のことが言えるでしょう。2003年3月、4月に、イラク南部に子どもたちのために水を運び入れたのは、自分たちなのだということを。

ウムカスル、イラク南部
2003年4月13日(UNICEF)
マルク・ベルガラ(広報官)

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