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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2003年11月5日掲載>

「バック・トゥ・スクール(学校に戻ろう)」キャンペーン:
明日への希望をつなぐ第一歩
<リベリア>


 午前9時前。土曜日だというのに、すでに63の学校の代表者たちが登録簿に名前を記し、灼熱の太陽と湿気の中集まっています。ここはリベリアの首都モンロビアにあるペインズヴィル小・中・高等学校の校庭。突然、鉄製の校門が開き、2台のトラックがエンジン音を唸らせて入ってきました。トラックの前部には「バック・トゥ・スクール」の大きな横断幕が掲げられています。荷台には金属製の箱が詰められているはずです。

 この貴重な荷物は、数週間前にコペンハーゲンのユニセフ物資集積センターから送り出されたもの。長い道のりを経て、やっとここまでたどり着いたのです。コペンハーゲンから最初に到着したのがモンロビアのフリーポート。昨夜は、何人もの荷役が、この荷物をユニセフが雇ったトラックに積み込んだはずです。今、その荷物が学校に到着し、人々の手で倉庫に運び入れられています。銀色の容器には、リベリアの子どもたちの希望がぎっしり詰まっています。そう、ユニセフの「スクール・イン・ア・ボックス(箱の中の学校)」は、教材をひとつの容器(箱)に入れた教育キットです。

 この数週間、教育省の担当官からなる、学習スペース迅速評価(RALS)チームは、リベリアのアクセス可能な地域に出向き、学校の教育ニーズの調査をしてきました。調査対象となった学校は登録され、その登録書をもとに、こうしてペインズヴィルの学校にも教育キットが運び入れられているのです。このキットが学校の代表者に渡るのも時間の問題。でも、最後の目的地にたどり着くのにはまだ時間がかかります。最後の目的地?それはペインズヴィル地区の「赤信号」地帯、そのほかの地域です。

 「ここ一帯が『赤信号』地帯と呼ばれているのは、この先の交差点にこの地域唯一の交通信号があるからなの」この地域で教師をしているエリザベスが言います。「14年前、1989年に内戦が勃発して以来、作動してないわ。夜、この一帯を照らしていたのが唯一あの信号だったので、ここ一帯は『赤信号』と呼ばれているの。最近はリベリアも少し落ち着いてきたから、あの信号もそのうち作動しだすかもね」

 忍耐と楽観主義。ペインズヴィルの赤信号だけでなく、リベリアの教育制度そのものを破壊してしまった14年にわたる戦争。その間、リベリアの人たちは、できるかぎり前向きな気持ちでがんばってきました。忍耐強く、楽観的なだけでなく、意思が強く、勤勉なのがリベリア人です。平和と安定が戻った今、親たちは子どもたちを学校に戻そうとやっきです。そのために必要なことは、どんなことでもやろう、と。最初の仕事が、教材をそろえることで、教育キットを各学校に運び入れることです。そのために駆り出されているのがジョニーやハリスといった若者たちです。

 ジョニーは強い意思と勤勉さをあわせ持っている典型的なリベリア人です。あまりの速さで駆けていくので、シャツをたなびかせながら通り過ぎる彼を写真におさめるのは大変です。疲れ知らずのジョニーは、校庭に集まった各学校の代表者をかきわけ、教育キットを頭に載せながら、目の前を走りすぎます。ジョニーは教育キットの配布に重要な役割を担っているのです。各学校の代表者が雇ったタクシーのところまで、この教育キットを運ぶのが彼の仕事です。「写真なんて撮っている暇ないよ」彼は汗をかきながら走り去っていきます。「荷物が多すぎてそれどころじゃない」教育キットを運んだタクシーも、月曜日の朝に予定されているリベリアのバック・トゥ・スクール・プログラムの開始に間に合わせるために、ものすごい勢いで現場を走り去ります。

 ハリスもまた、バック・トゥ・スクール・プログラムで重要な役割を担っています。彼は小さな荷車に教育キットを2セット積んで運びます。ジョニーと同じように、1キロ先の小さな小学校まで、この荷物を、文字通り走りながら運んでいるのです。学校の代表者は、汗をかきかき、肩で息をしながら、ハリスについていきます。「早く運べば運ぶほど量がさばけるからね」ハリスは言います。「甥っ子や姪っ子が月曜日には学校に戻るんだ。こうして手伝えることはすごくうれしいね」

 学校の外では、小さな野次馬の群れができています。別のトラックがまた2台、学校の敷地に入っていくのが見えます。午前中には全部で500セットほどのスクール・イン・ア・ボックスが運び入れられる予定です。3人の娘を連れたデビッドもこの野次馬の中にいました。 「このバック・トゥ・スクール・キャンペーンは希望をもたらしてくれるものですよ」と、彼は言います。「娘たちは、5月からずっと学校に行っていません。モンロビアのあたりで勃発した戦闘で学校が閉鎖されたからです。学校に行くのは危険でしたから、自分で娘たちにあれこれ教えようとしましたが、うまくいきませんでした。何しろ、私は先生ではないし、娘たちも学校で学んだほうが分かる。それに、クラスの友達と学ぶほうが楽しそうでしたからね。月曜日に学校が再開されるのを娘たちもとても楽しみにしています。それは私も同じです!」

 デビッドは自慢の娘たちを紹介してくれました:サラ、メアリー、それにメイビー…。え、メイビー=Maybe(もしかしたら、〜かもしれない)? 「メイビーが生まれたのは8年前。戦争下のことでした。当時のリベリアはいろいろな問題を抱えていて、この子が生まれたときは、医療も行き届かない状態のときでした」とデービッド。「彼女は未熟児でしたから、すごく心配でした。生きてさえくれたら…そんな気持ちでありとあらゆる手を尽くしました。で、いつも、『生き延びるかもしれない』『だめかもしれない』…いつもメイビー、メイビー(かもしれない、かもしれない)と思っていたんです…。元気に育ってくれそうだという確信が持てるようになって初めて、名前をつけたんです。この子が生きていてくれて、私たち夫婦はどれほど幸運か…それを思い出したくて、メイビ−と命名したんですよ」

 月曜日にバック・トゥ・スクール・キャンペーンが開始されると、メイビーも、その姉たちも、数カ月ぶりに学校に戻ることになります。ユニセフとリベリア政府が協力して実施した、スクール・イン・ア・ボックスの配布が終わった学校に戻るのです。メイビーは将来何になりたいのでしょうか? 聞いてみました。「先生になりたいの」黄色いタクシーに運び入れられるのを待つ教育キットの上に、ちょこんと座わりながら、メイビーは言いました。

ユニセフのリベリアでの活動:バック・トゥ・スクール・キャンペーン

 ユニセフは教育省と協力して、11月1日に、リベリアでアクセス可能な5つの州(モンセラード、ボミ、ボン、マージビ、グランド・バッサ)に4,662セットのスクール・イン・ア・ボックスを配布し終わりました。リベリアの教育を再開するにあたって重要となる緊急支援——リベリアのバック・トゥ・スクール・プログラム——にとって、教材の配布は重要なステップです。11月3日に開始されるリベリアのバック・トゥ・スクール・プログラムは、75万人に及ぶ子どもたち、教師2万人、学校数3,700校に、効果的な学習に必要な教材を提供しようというものです。バック・トゥ・スクールは教育キットの緊急配布だけで終わるものではありません。ユニセフ・リベリア事務所は、14年の内戦で破壊寸前となったリベリアの教育の再開に向けて、教育省、そのほかの国連機関と一緒になって、さまざまな活動を展開しています。教育キットの配布のほか、ユニセフは、教師を対象に、緊急事態下での教育についてオリエンテーションを行ったり、そのほか算数、識字教育、スポーツ、レクリエーション、心理社会面、カウンセリングの面で気をつけるべきこと、音楽、ドラマなどの教育についてもアドバイスしています。ユニセフは、また、ビニール・シートを提供し、校舎が破壊されてしまった学校でも、雨や灼熱の太陽から子どもたちを守り、9,000人近い生徒たちが学習に専念できるようにしました。ユニセフ・コペンハーゲンからは、さらに3,000セット近いスクール・イン・ア・ボックスが送り出され、最初の配布対象に入らなかった学校に、納品される予定になっています。11月3日(月曜日)、リベリアのバック・トゥ・スクール・キャンペーンの開始により、何万人もの子どもたちが学校に戻ることになっています。14年にわたり続いたリベリア…。その中で、今まで一度も学校に行ったことがない子どもたちが、このキャンペーンのおかげで「初めて」学校に行けるようになるのです。

2003年11月1日
ユニセフ・リベリア事務所発
文・写真/ケント・ページ(ユニセフ西・中央アフリカ地域広報官)

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