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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2001年9月3日>

子どもにやさしい村<その1>
<フィリピン>

ボランティアが支える村の保健センター

 ここは「第8地区」、ミンダナオ島北部の南アグサン州タラコゴン行政区にあるジロービア村の中心から一番離れたところにある集落です。ジロービアは、「子どもにやさしい村」として州が試験的に指定した6つの村の1つです。

「子どもにやさしい村」計画は、フィリピン政府とユニセフの共同計画である「子どものための第5次国家計画(CPC-V)」の大きな柱の1つです。「子どものための第5次国家計画」は、1999年から2003年までを対象としており、「子どもにやさしい環境づくり運動」を押し進め、子どもの権利条約に書かれている子どもたちにとっての理想を具体的に実現することを目的としています。

この第8地区に住む23才のアルマ・ペドロサは、ボランティアで村の保健婦(BHW)を務めています。第8地区のほとんどの住民がそうであるように、アルマもアグサン州に住む5つの原住民族の1つであるマノボ族の生まれです。

第8地区の土地は、プロビデント・ツリー・ファーム社が25年の契約期間で結んだマッチの軸となる木材の伐採許可契約に基づいて、1967年に購入した土地の一部です。その後1992年に、この契約は産業目的に森林を管理するための契約に変わりました。プロビデント・ツリー・ファーム社は、今ではここで商業用樹木や籐を栽培したり、マッチの軸を生産したりしています。ジロービア村の労働人口の30%がプロビデント・ツリー・ファーム社の労働者として働いています。

その他の住民のほとんどは農業を営んでいます。この地区の土壌は、高地米やとうもろこし、さつまいもといった野菜に適しています。アグサン川の支流にもさまざまな種類の魚がたくさんいます。

マノボ族の村の保健婦「暮らし向きはまあまあです」とマノボ族のアルマは言います。アルマは農業を営む夫と一緒に暮らしています。二人は双方の父親同士の取り決めで、派手な演出がほとんどないマノボ式の結婚式を挙げました。アルマにまだ子どもはいませんが、保健婦としての研修を積むことによって、母親や乳幼児の面倒を見るための知識をたくさん身につけました。

アルマは、第8地区の他の母親たちも、自分と同じようにすぐに健康管理に関する正しい教育を受けられるようになると信じています。「私たちの暮らしは確かに豊かではありませんが、貧しくて死ぬということがあってはいけません。子どもたち、特に小さな子どもたちが死ぬようなことがあってはいけないのです」とアルマは言います。

村の保健センター

生まれて3週間のジェフリーは、生まれた次の日にもう少しで出血多量で死ぬところだった。ジェフリーの母親であるビルマは、ジェフリーの健康と発育をもっと気をつけて見守ると心に固く決めている。アルマのこの言葉には、警告としての意味合いも含まれています。というのは、生まれたばかりの男の赤ちゃんが、へその緒からの出血がひどくて死にそうになったときの様子をアルマは思い出していたからです。ジェフリー・ブンタスは、31才になるビルマの4番目の子どもです。昔ながらの助産婦がビルマの出産に立ち会っていましたが、ジェフリーは生まれた次の日に保健センターにかつぎ込まれました。ジェフリーはすぐにプロスペリダッドのパチンアイにある診療所に連れて行かれ、そこで適切な治療を受けることができました。

ビルマは、家族と一緒に最近第8地区に移ってきたばかりでした。ビルマの夫のロティロは、農業を営んでいます。夫婦は適切な間隔をあけて子どもをもうけていましたが、本人も認めているように、ビルマが妊娠中に保健センターに行ったことは一度もありませんでした。

「今では私も以前より賢くなりました」とビルマは控えめに語ります。ジェフリーの呼吸が夜になると特に苦しそうだったので、つい2日前にもビルマはジェフリーを保健センターに連れていったばかりです。

プロビデント・ツリー・ファーム社で働くボランティアの内科医、ローランド・メンドーザ医師によれば、せきや肺炎といった呼吸器系の障害は、ジロービアの住民が訴える症状の中でも最も多いものです。メンドーサ医師は、1994年ジロービアで働くようになってからずっとこの地区の人たちを無料で診療してきました。

メンドーサ医師は、月に2回、水曜日に健康センターを訪れ、妊娠中の母親や子どもたちを診察します。メンドーサ医師によれば、健康管理に関するこの地域の住民たちの行動には大きな成長が見られるといいます。

「以前は特に女性たちの間に抵抗がありました」とメンドーサ医師は語ります。メンドーサ医師が男性であり、しかもよその土地から来たということで、信用できないという気持ちが住民たちにあったのです。しかし、何年も経つうちにメンドーサ医師は住民たちからだんだんと信頼されるようになりました。

「ジロービアの住民たちは、均質ではありません。」メンドーサ医師はこう語ります。
住民はさまざまな州から来ており、民間療法や神様に家畜をいけにえとして捧げる慣習など、住民の文化的な習慣や考え方はいろいろです。そのうえ、多くの家族は貧しいのです。一軒の家に家族がたくさん住んでいるため、家族に病人がいる場合、他の家族、特に子どもに病気が移ってしまうということがわかっています。

母親たち、そしてボランティアの保健婦たち

2回目の妊娠をしている17歳のマリセルメンドーサ医師は、さらにマノボ族の女性の10代での妊娠について話を続けます。この一族の慣習では、わずか12才の少女でも結婚させます。たとえば、17才で現在妊娠5カ月のマリセル・モルガデスの場合を見てみましょう。

マリセルは、プロビデント・ツリー・ファーム社で働くエドウィンと結婚しました。エドウィンは、子どもっぽく見える10代のマリセルよりも5才年上です。もし見た目に妊娠しているとすぐわかる状態になければ、マリセルは12才の女の子と言っても通用するくらい幼く見えます。

今回の妊娠はマリセルにとって2度目の妊娠です。マリセルの最初の子どもは、わずか9カ月前、出産のときに亡くなりました。「今度の子どもは無事に育って欲しいと思っています。歩くことは、私にとっても、赤ちゃんにとってもいいことだそうです」とマリセルは言います。マリセルが、定期検診を受けるために第8地区からいつも歩いて通うようにしているのは、そのためです。

「でも、私たちは運動として適度に歩きなさいということだけを妊婦さんに指導しているわけではありません」と32才のリナ・トラルバは言います。リナは、1991年から村の保健センターに常駐助産婦として勤めており、メンドーザ医師からの支援にとても感謝しています。

リナによれば、この村の家族たちは、ここ5年で健康と栄養の大切さをゆっくりではあるけれどもだんだんと理解してきているといいます。リナは、アルマやルス・キャビントイのようなボランティアの保健婦が熱心に手助けしてくれることについても感謝しています。

ナナイ・ルスは53才です。ナナイがボランティアの仕事を始めてから3年になります。ナナイの月給は100ペソ(約300円)です。「私たちがやっているような仕事への報酬としては、多い額ではありません」とナナイは言いますが、不満を言っているわけではありません。「それでも、それぞれの集落の保健・栄養相談所が毎日の仕事をうまく進められるように、資金をもっと受けられるようになればいいのですが」とナナイは続けます。

保健・栄養相談所に集う母親たち他のボランティア保健婦と同じように、ナナイ・ルスも集落の保健・栄養相談所で仕事を手伝っています。こうした相談所は、8つの集落にそれぞれ設けられていて、ボランティアの保健婦たちが子どもたちの成長と発育を見守る役目を果たしています。「資金があるときには、子どもたちに食事を提供する集いも開きます」とナナイは言います。こうした集いでは、米かゆやとうもろこしといった主食がふるまわれ、手に入ればチーズやインスタント麺といった栄養強化食物が出されることもあります。

リナによれば、この村で住民の健康と衛生状態が改善されたのは、32才になるジロービアの村長、サンディ・トートーの優れた指導力のおかげです。住民から尊敬され、2人の子どもの父親でもあるこの村長が、正看護士であったことも、村民の健康や衛生の改善に役立ちました。

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