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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2001年7月2日信濃毎日新聞夕刊掲載>

遊牧民のための学校プロジェクト(その1)
<スーダン>

遊牧民学校におけるジェンダーと教育

 スーダンでは、1980年代から90年代に初等教育が普及しましたが、同時に北部と南部、また都市部と地方の間の格差も拡大しました。格差の影響がとくに深刻なのが、内戦で大きな被害を受けている南部と、遊牧民のコミュニティです。たとえば1990年代半ばの時点で、遊牧民コミュニティの子どもで小学校に通っているのは、男の子で5%足らず、女の子にいたっては皆無に等しい状態でした。一方、北部の平均就学率は男女ともに80%を超えていました。

 スーダンの総人口は2,880万人ですが、そのうち約8%を遊牧民が占めています。遊牧民子ども教育プロジェクトは、極度の貧困状態にある遊牧民コミュニティの子どもの就学率がとても低い、ダルフール州で1993年に始まりました。このプロジェクトは、コミュニティや州の教育局、それにユニセフの協力関係を基盤として、教師ひとりで複数学年を教えられる学校を設立し、コミュニティに根ざした教育を第4学年まで実施するものです。物理的・経済的に利用しやすく、魅力的でかつ学習にふさわしい環境を提供することで、とくに女子の就学率を高め、中退者を減らすことがこのプロジェクトの狙いでした。

 遊牧民子ども教育プロジェクトでつくられた学校は、遊牧民とともに移動し、乾季に彼らが数か月滞在する地域にあるので、子どもが通いやすくなっています。費用は政府と自治体が折半し、教師には給与に加えて奨励金も出されるので、経済的な負担も重くありません。奨励金のおかげで優れた教師が集まり、ユニセフが提供する質の高い教材を使用するため、授業も楽しいものになりました。さらに、女の子が安全に学習できる環境も整ってきました。ちょうど遊牧民のあいだで子どもたちに教育が必要だという意識が高まっていた頃だったので、このプロジェクトは時宜を得たものになりました。

 2000年までに、2万人以上の子どもたち(そのうち3割は女子)が、ダルフール各州およびコルドファン各州の遊牧民学校で学んだことになります*。現在この地域は干ばつに見舞われていますが、遊牧民コミュニティの学校を求める声は大きくなる一方です。域内に学校のあるコミュニティは、家畜のための水や草があるかどうかだけでなく、今では子どもたちの教育のことを考えて移動地を決めることもあります。あるコミュニティの代表は、「いままでは年に4回移動していたが、いまは2回だけだ。そうしないと学校に支障が出るから」と語っています。

<コミュニティのリーダー達の声> カワール民族のアバドバ支部

 保護者協会の代表を務めるモハメドが、自分たちのコミュニティについて話を始めてくれました。「このコミュニティは600人で構成されている。ここにいる みんなが親戚で、全員でひとつの家族だ。年長者のアドバラとオメール兄弟は、1984年から85年にかけての大干ばつのとき、家族とともにこの場所にやっ てきた。ここに着いた時には、家畜やロバはみんな死んでしまい、ラクダが1頭と、ヤギとヒツジが少ししかいなかった。水運びにラクダを使うこともあった が、ほとんどは人の手で水を運んだよ。」
 
 「私たちには水が必要なんだ」とオメールが口を挟みます。 モハメドは話を続けます。「干ばつの前も、たまにここに来てはモロコシを植えていた。干ばつを境に毎年ここに来るようになったのは、よそより土地が肥えて いるからだ。1992年、手押しポンプが設置されたので年長者たちはここに定住したが、ほかの者は移動を続けた。雨が降ると、動物と家族、子どもたち、そ れに学校も一緒にここから6キロ離れた場所に移る。そこに家族を住まわせ、学校を再開して、男たちと12歳以上の男子は家畜を放牧する。」

  「そんな話なんかどうでもいい」オメールが言います。「俺たちは水が必要だ。水がないと何もできない。水がなければ教育もできない。」

 「水のことは問題だ」モハメドもうなずき、さらに話を続けました。「教育長官が、遊牧民の学校の話をしにやってきた。男も女も大勢が集まったところで、 教育長官は俺たちのところは遅れている、医者や弁護士、政府で働く人間がひとりも出ていない、と言った。たしかにその通りだ。600人のうち教育を受けた ことのある者は男で10人か11人、女はたったひとりだ。俺たちはその後すぐ集会を開いて、年長者たちの意見を聞いた。年長者は、何であれ実行する。彼ら は学校を作るべきだと言ったよ。」
  「教育はいいことだ」とオメール。「教育があれば、何が良いことなのかが判断できる」

  「自分たちで金を出して教師を呼ぶことで、私たちの意見がまとまった。これは我々全員で分かち合わねばならない義務だ。金を出せない家があれば、ほかの家が払う。学校を作ることが決まってから1か月後に、教師がやってきた。この学校から、医者と弁護士を出してみせる。」

 「これまでは女の子を目の届かないところに行かせることはできないから、学校に通わせることもできなかった。だから第5学年から第8学年までの学校も、 このコミュニティ内に作らなくてはならない。教育のために、女の子を遠くにやるわけにいかない。そのために必要なものには、俺たちが全部金を出す。さもな いと女の子の学校がつくれなくなってしまう。」

内戦と遊牧民の生活

 南コルドファン州と南ダルフール州は、スーダンで30年以上も続く内戦の影響を受けています。かつて遊牧民がたどっていたルートの一部は、内戦のために失われてしまいました。「ハワジマ(Hawazima)部族はとても大きい部族で、30以上の氏族で構成されている」とモハメド・イドリスは報告します。「彼らはかなり南のほうまで広く遊牧していたが、現在はそこまで移動することができない。男や少年たちが家畜に草を食べさせるため、紛争地域に入ることもあるが、女性と子どもは安全な地域に残っている。」
 南コルドファンに住むロワジ(Rowagi)という部族は、スーダン人民解放軍 (SPLA)地域に豊富なコネクションを持っていましたが、戦いはもうたくさんだというので、北コルドファン州に完全に拠点を移しました。昨年彼らは3か所に遊牧民学校を開いています。

ハルツーム、2002年3月11日(ユニセフ)
ハルツーム、2002年3月11日(ユニセフ) サラ・キャメロン

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